はたからみたはなし   もしドラ設定


 撮影も残すところ僅かとなり、“監督”こと“私”はいささか緊張していた。なぜならば、残すは、炎上シーンだったからだ。
 このシーンで全裸を晒す都合、“ギルガメッシュ”役に検討していた有名俳優はことごとく事務所からNGとなったわけだが、たまたま道をすれ違ったアーチャーに私が一目ぼれしたことで、無名の新人が異例の大抜擢になったことは、業界内でも記憶に新しい事実であると思う。
 私は雑踏でアーチャーを見つけたとき、異様な興奮を覚えたのだった。この子こそ歴史を変えるような俳優になるに違いない。
 そのとき、ちょうど電車に乗ろうとしていたアーチャーは、名も知れない劇団であるかなきかの出演と、私の勧誘のどちらを優先すべきか悩んでいたようだが、電車が発車してしまうと、困ったような苦笑を浮かべて、私の後を付いてきた。
 実際、アーチャーは優秀だった。引っ込み思案で失敗も多いが、演技のときに見せる、まるで“ギルガメッシュ”が乗り移ったかのような異様なカリスマ性、それこそは、アーチャーがいずれ大俳優になる証だった。
 のだが。
 昨今、編集作業で画面にアップになったアーチャーを――特にその首筋や鎖骨を――見るたび、私は思うのである。現に、今だって、繰り返し映されるアーチャーの画像を見て、スタッフたちとともに画像処理用のペンタブを走らせながら、思うのである。
 バレンタイン以降やたら放つようになったこの鮮烈な色香と、ファンデーションでも隠しきれていないキスマーク。
 これは、有名にならない方が、アーチャーのためかもしれない。
 これでは、変な意味で、有名になってしまう。
 「…撮影もあと少しなのですから、ちょっと、ランサーに釘を刺した方が良いですかね。」
 隣で同じことを思っていたのだろう。助監督がキスマークを肌色に塗り潰しつつ、苦笑をこぼした。
 「そうだなあ。あと少しだからなあ。」
 私は答えながら、椅子の背もたれへ体重を乗せた。
 撮影は残すところあと僅かではあるのだが、相手はあの“ランサー”だ。モデル“ランサー”の武勇伝といえば、もはや伝説で、この世情に疎い私ですら耳にしたことがある。あの“ランサー”が監督にたしなめられた程度で性欲を抑えられるものだろうか。大いに不安だ。
 正直に言ってしまえば、私は現状にびっくりしていた。畑違いの私ですら聞き及んでいるあの“ランサー”が、無名の劇団員にすぎなかったアーチャーに心底惚れ込んでいるのだ。どういうわけか当の本人であるアーチャーは先日まで気付いていなかったようだが、恋愛音痴の私にもランサーから放たれる色惚けしたピンク色の空気が見えたので、この想いは本物だろう。
 ううん。そうなるとますます、ランサーの性欲を阻止できる気がしない。セイバーでもぶつけてみるか?
 呻く私の心情を察したのか、助監督が大きく溜め息をこぼした。
 「せめて見えないところにキスをしてくれれば良いんですけどねえ。」
 「そうだなあ。アーチャーの肌は色が白いから、目立つんだよなあ。」
 「そうですよ。だからこそ、来週、最後のシーンを取る前に、監督から注意していただかなくては。そんなあらぬところにキスマークなんてあったら、画像処理する私たちの方だって、処理されてしまうアーチャーだって、恥ずかしいでしょう。」
 「そうだなあ。うーん、やっぱり私が出るしかないのかあ。」
 「そうですそうです。ぜひとも出ていただかなくては。ツイッターを見ると、ランサーはセイバーとアーチャーが揃ってコンビニへ出かけてしまって暇みたいです。ほら、行って一言言ってやってください。」
 助監督をはじめとしたスタッフ一同に促され、私はしぶしぶ重い腰をあげた。俳優たちの言動を統率し、一番良い撮影へ臨めるよう調整するのも、いわば私の仕事の一環ではあるのだが。でも、他人様のセックスに口を出すのもなあ。ううん。大体、みんな自分がやりたくないからって、こんなときばかり私を担ぎ出してひどくないか。
 ひどい。
 ひどすぎる。
 そんなことを思いあぐねているうちに、いつの間にか私はランサーの控室に辿りついていた。困った。今なら、アーチャーは不在だろう。だが、どうやって話を切り出せば良い。あまり目立つ所にキスマークをつけてくれるな、などと、純情な私が口に出来るはずもない。
 さて困ったぞ、と、ランサーの控室の前でうんうん唸っていると、中から扉が開かれた。現れたのは、推して知るべしイケメンだ。
 「…一体どうしたんですか、俺に話でも?まあ、とりあえず、中へどうぞ。俺も、監督にご相談したいことがあったんです。」
 これはちょうど良かった。
 私はランサーに招かれるまま、控室へ足を踏み入れた。ランサーが折言って話したいことなどまったく思い当たる節などないが、二人きりになれば、キスマーク禁止について話すきっかけも出来るだろう。
 勧められるまま椅子へ腰かけた私は、ランサーの熱視線に思わずどぎまぎした。同性すらも魅了するとは、恐るべしイケメン。だからこそ起用したわけだが、こんなときまでイケメンでなくても良いではないか。
 うっかり道を踏み外してしまったらどうしようと恐れおののく私の前で、ランサーが小さく咳払いをした。これは、いよいよ本題に突入するようだ。一体どんな話が出て来るのかまったく予期できなかった私は、ひとまず静聴してみようと背筋を伸ばした。
 「実は、来週の撮影のことなんですけど。」
 来週の撮影とは、つまり、件の全裸シーンである。
 「アーチャーが脱ぐシーンがあるでしょう。」
 肯定するため、私は頷いた。
 そのとき、ひどく言い難そうに口ごもるランサーに、恋愛音痴の私ですら察するものがあった。
 もしや、ランサーは恋人の全裸を人目に晒したくないのかもしれない。だから、あのシーンを削除してくれないかと私に懇願をしてきたのだろうか。
 だが、あのシーンこそが、アーチャーが“ギルガメッシュ”役に大抜擢された理由なのだ。そんな、恋人の肌を見せたくないというランサーの言い分だけで削除できるほど単純なシーンではない。
 反論しかける私を、ランサーが真正面から見つめた。うぐっ。イケメンが眩しい。あまりのイケメンぶりに思わず目を細める私へ、居直ったらしいランサーがきっぱりはっきりどや顔で告げた。
 「俺は、炎に照らされたアーチャーの裸を見たら、絶対おっ勃つと思うんです。」
 待て、このイケメン、今すごい良い顔でさらっと何を言い放った。
 なおも、ランサーが熱弁を振るう。
 「監督も扇情的だと思いませんか。白い肌が橙に照らされて、立ちのぼる煙と昂揚感に頬を上気させたアーチャーを見たら、俺は、絶対おっt」
 「ちょ、ちょっと待て!きみの言い分はよくわかった。繰り返さなくても良い。」
 「じゃ、わかってくれたんですね。」
 話が早くて助かる、とランサーは微笑を浮かべた。言動は明らかに変態だというのに、このイケメンっぷりである。それとも、イケメンすぎるから思考回路も常人とは異なるのか。
 私も同じくらいイケメンだったら、どんなにぶっ飛んだ言動をしても許されたことだろうに。
 考えるだけで、さめざめと泣きたくなってくる。
 「その気になってしまうというのであれば、きみは席を外したら良い。予定だと、きみの撮影はその1時間前には終わっているはずだ。別にスタンバっている必要はない。控室で大人しく鎧でも脱いでいたらどうだ?」
 「監督も俺に酷なことを言いますね。アーチャーが乱れるシーンを見ないなんていう選択しか端からありませんよ。」
 「乱れると言うな、乱れると。」
 これではらちが明かない。私は頭が痛くなってきた。
 ランサーが残念なイケメンであるという話は常々聞かされていたのだが、私自身はあまり彼と撮影以外で絡むこともなかったので、こんなに残念だとは思いもよらなかった。噂に聞くエロテロリスト“ランサー”とはまた別次元のエロさだ。禁忌を許さない妖艶さというよりも、どちらかといえば、思春期の発情に近い。
 ランサーの目はぎらぎらと野望に輝いている。これはまずい。ここに来るべきではなかったのかもしれない。早くも後悔し始めている私に、ランサーがのたまった。
 「1週間も禁欲した後に、恋人のあんな恰好見せられて勃たないようだったら、男じゃないですよ。」
 アーチャーとの関係を伏せようともしない恋人発言で苦笑が漏れ出たが、私の関心は他のところにあった。今、ランサーは一週間の禁欲と明言したのだ。一応、ランサーにも全裸の撮影に際して、キスマークをひかえてしかるべきだという認識はあるらしい。
 「じゃあ、きみは一週間そういうことをひかえるつもりなんだな。」
 わらにもすがりたい気持ちと、これ以上やぶへびを突きたくない気持ちの板挟みにあった私は、迷わず、ランサーの言質に乗っかった。
 ランサーが肩を竦めて言う。
 「勿論、俺だってこのシーンの撮影がどれくらい重要かぐらいはわかっています。」
 「費用もかさむし、舞台も燃やしてしまうから、撮り直しもきかないしなあ。」
 私が頷いていると、ランサーが口端を弓なりに歪めた。いまだ、ランサーの目は激しくぎらついている。ここは肯定すべきではなかったのかもしれない。あまりの恐ろしさに私は息を呑んだ。
 「ところで、監督。」
 「何だね。」
 「来週の炎上シーンを撮り終えた後にも、鎧を着用する機会はありますか?」
 思いの外普通の質問に、覚悟を決めていた私はすっかり拍子抜けして瞬きを繰り返した。
 「…いや、別にないなあ。編集してみて、あまりに粗が目立つシーンがあったら、アーチャーにはもう少し着用してもらう機会もあるかもしれないが。」
 「ものは相談なんですが、俺がこの鎧をもらっても構わないですか?」
 「そうだなあ。仮に映画化するとしても、そのときには大画面でもっと映える造りに変えないといけないから、ドラマのものをそのまま使うこともないだろうし、構わないんじゃないか。」
 「監督。」
 「何だね。」
 「クランクアップの打ち上げはそれからになるから、炎上シーンの日にはやらないですよね。」
 身を乗り出して確認するランサーに、私はどう返したものか思い悩んだ。ランサーの言う通りなのだが、これは肯定すべきなのだろうか。眼前のイケメンがなぜか期待に発情しきっていて怖いんだが。
 私は大きく深呼吸すると、期待に目をぎらつかせているランサーの思惑を読み取るべく、これまでの会話を整理することにした。
 「とりあえず、きみは撮影のために、一週間禁欲してくれるんだな?」
 「もちろん、しますよ。あまりしたくないですけど、しょうがないでしょう。」
 「だから、来週裸のアーチャーを見たら、催してしまうというんだな?」
 「逆に、おっ勃たない方がおかしいでしょう。」
 「それで、鎧が欲しいと。」
 「だって、汚したら大事でしょう。あまり汚さないようにはするつもりですが。」
 あまりに平然と言い放つものだから、私も「そうか。」と聞き流しそうになったが、聞き流してはいけない内容だった。心底度肝を抜かれた私は、ランサーの顔をまじまじと見つめた。
 ランサーが必殺イケメンスマイルを浮かべた。
 「ギルガメッシュ姿のアーチャーと出来るのもこれが最初で最後でしょうから。」


 それから10分としないうちに、炎上シーンのあとは教会に近づかない約束を取り付けさせられた私は、這う這うの体でランサーの控室から編集室へと逃げ帰った。
 とりあえず、1週間の禁欲の約束を取り付けた私に、スタッフ一同は感謝と尊敬が入り混じった眼差しを向けてきたが、当の私は気まずさから頬を掻いて、顔を背けた。私はイケメンの皮を被った悪魔に魂を打ったのだ。ああ、どんな顔をしてアーチャーに顔を合わせれば良いのだろう。スタッフたちが入念に作り上げた鎧が、いわゆるコスチュームプレイの道具となってしまうのだ。決して許されることではない。
 激しく動揺しながら定位置となっている椅子へ腰を下ろすと、助監督が気遣うように紙カップに入ったコーヒーを差し出して来た。助監督には私の心の迷いなどすべて筒抜けのようだ。長く一緒にやっているせいだろう。
 私は黙って、差し出されたコーヒーを飲み下した。
 あの“ランサー”をあんな風に固執するなんてますますすばらしい、と、アーチャーの未来に期待しながらも、その未来に待ち受ける前途多難に嘆息せざるをえなかった。











初掲載 2012年4月6日