おかえしのはなし   もしドラ設定


 「くちん。」


 セイバーはくしゃみをすると、携帯を握った手で鼻をこすった。油断していた。ここ最近、暖かな日が続いていた。それが今週も続くに違いないという先入観を胸に、泊りこみのロケだと知りながら薄着で来たのは、完全にセイバーの落ち度だ。
 幸い、今日でロケは終わる。帰宅したら、こたつと心行くまで愛し合おう。
 そう固く決意するセイバーへ、同じくスタンバイ中のアーチャーがいぶかしむように目を向けた。こちらは、セイバーと違い、白いダッフルコートを羽織っている。セイバーの記憶が正しければ、アーチャーにベタ惚れしているランサーがどうでも良い理由をつけて貢いだ品だった。
 アーチャーが問うてくる。
 「あれ、セイバーって花粉症だったか?」
 「いや、違う。少し肌寒くて。」
 あとどれくらいで出番が来るのだろう。ドラマは佳境に入っている。出番さえくれば、否応なしに走りまわされるので、自ずと暖は取れるはずだ。
 現場へ顔を向けながらセイバーが返答すると、アーチャーが立ち上がった。思わず、セイバーがアーチャーの方を見るのと、その華奢な肩へコートがかけられるのは、ほぼ同時の出来事だった。
 目を丸くするセイバーに、アーチャーがてらいなく微笑みかける。
 「やっぱり、そういうのは女の子が着てた方がかわいいよな。」
 重厚な鎧を纏ったセイバーよりも、露出度の高いキャラを演じるアーチャーの方が、よほど寒いだろうに。セイバーは煩悶した。自分にtnkがあれば!ああ、ランサーみたいな立派なtnkさえあれば!迷わず抱くのに!
 断っておくが、当然のことながら、セイバーはランサーのそれを見たことはない。だが、先月のバレンタインを契機に、アーチャーがランサーに抱かれた事実は知っている。
 セイバーの他にも、こういうことに敏い葵やバーサーカーが気付いている節がある。スタッフの中にも勘付いたものはいるに違いない。
 そして、セイバーは二人の関係を知るからこそ、アーチャーの優しさにときめきつつも、「あいつも何考えてるんだろうな。」とぼやくアーチャーへ、尋ねずにいられなかった。
 「ランサーからの贈り物だろう。ほいほい私に貸したりして良いのか?」
 セイバーの思い違いなのかもしれない。しかし、少し足を伸ばせば、スタッフから毛布を借りることだってできる状況下で、人の良いことで知られるアーチャーが、恋人からの贈り物をこうも簡単に他人に貸したりするものだろうか。
 セイバーの問いかけに、アーチャーの目が見開かれた。きょとん、という効果音が相応しい顔つきで、アーチャーが瞬きを繰り返した。
 「?え、駄目か?」
 「私は駄目だと思う。だから、これは返そう。」
 アーチャーは困惑した様子で、突き返されたコートとセイバーの顔を交互に見やった。やがて、心底わからぬという風にしぼり出された疑問に、セイバーは心底驚いて手の中の携帯を取り落とした。
 「何で、ランサーからの贈り物だと、貸したら駄目なんだ?」
 プギャアwwwちょwwwどゆことなのこれwww
 セイバーは取り落とした携帯を拾い上げ、付着した汚れを払うと、一言断ってからアーチャーへ背を向けた。ツイッターの画面を開く。考えるより先に、指が動いていた。
 『解せぬwwwえ、どゆことなのwww誰か教えてくれwwwこんなの絶対おかしいよ(???)』
 セイバーの奇行に、アーチャーが首を傾げる。だが、首を傾げたいのはセイバーの方だ。セイバーはひとしきり呟き、腹をくくると、背後のアーチャーを振り返った。
 「一つ確認させて欲しいんだが、アーチャーはランサーと付き合ってるんだよな?」


 一体、自分の撮影中に何があったのだろう。
 スタッフからタオルを受け取りながら、ランサーはアーチャーとセイバーの様子に首を傾げた。セイバーは笑いを噛み殺しながら携帯に夢中だし、一方のアーチャーはといえば、困惑交じりの気難しい顔で頬杖をついている。途中、耳の早い葵に「ふふっ、頑張りなさいよ。」と肩を叩かれたのも、解せなかった。葵は、ランサーとアーチャーの関係を知っている。
 首筋に浮かんだ汗を拭いながら近寄るランサーに、アーチャーがすがる視線を向けて来る。迷子のようなそれに、ランサーは固くなりそうなものを必死に抑えた。
 これまで、ランサーは肉体関係だけが目当てと取られても仕方のないような、手軽な恋愛しかしていない。両手で足りるほどだが、一度に複数と交わった経験もある。合意の上で、凌辱めいた真似さえしたことがあった。
 美貌が売りのモデル「ランサー」は、そんな軽薄で快楽主義の自分を誇りに思いながらも、心のどこかでは軽蔑していた。どこが好きなのか尋ねれば、決まって相手の口を吐いて出るのは、ランサーの顔や性技の話だ。ランサーはずっと自分の外見ではなく、中身を愛してもらいたいと思っていたが、関係を持った人間が三桁に突入すると、それも諦めた。諦めざるをえなかった、というのが、正しい。元来、ランサーは性欲の強い性質だ。こうなれば、相手の思惑など気にかけず、ほいほい食っちまう方が気持ちも楽だ。
 そんなとき、ランサーの前に、見目がストライクのアーチャーが現れた。アーチャーは、外見以上に心がランサーのストライクだった。
 鬼畜とののしられても仕方のないような半生を送って来たランサーは、生まれて初めて、恋に落ちた。
 当然、ランサーはたじろぎ、二の足を踏んだ。まさかこうなるとは思いもよらず、出逢った当初の明け透けなアプローチやセクハラに、後から思いを馳せて気が滅入ったこともある。
 そんなランサーの想いが成就してから、一ヵ月。
 「なあ、ランサー、話があるんだ。」
 ランサーの眼下で、アーチャーの長い睫毛が気まずそうに伏せられた。
 セイバーは携帯こそ手にしているが、あからさまに落ち着きを失くしている。聞き耳を立てているのは明白だ。もっとも、セイバーにはアーチャーとの関係を隠すつもりもない。
 「うん?どうした、言ってくれ。」
 先を促すランサーに、アーチャーが形の良い唇を薄く開く。が、声にはならない。
 あの唇にキスして、喘がせたい。ランサーの身体に甘い疼きが走った。どれだけ抱いても、ランサーの身体は満ち足りることを知らない。こんな経験は初めてだ。大抵は、1度関係を持てば飽きるのに。
 泊りこみの撮影に突入してから、今日で5日目になる。ランサーが最後にアーチャーを抱いてから、6日も経っていた。ランサーは一刻も早く、アーチャーが抱きたくてたまらなかった。
 思い悩むアーチャーが、ランサーのぎらつく視線に気付く様子がない。アーチャーはしばらく言い渋ってから、ようやく、言葉を口にした。
 「なあ、その、俺たちって、つ、付き合ってるのか…?」
 「……………ん?」
 「いや、悪い。俺の勘違いだよな。変なこと訊いてごめん、忘れてくれ。」
 一人で納得したらしいアーチャーは頬を指先で掻きながら、話を切り上げようとしている。ランサーはセイバーへ目で助けを求めた。一体、どういうことだ。唇に気を取られ過ぎていたのか。
 アーチャーが続ける。
 「セイバーが、あー、その、変なこと訊いてくるから…俺は違うって言ったんだけど、なあ、ランサーも何か言ってくれ。」
 もはやセイバーは噛み殺す努力すら放棄した様子で、腹を抱えて笑っている。衆目を集めていることにも気付いていないらしい。スタッフはおろか、他の出演者も、興味深そうにこちらを見ている。
 元々、ランサーがアーチャーにモーションをかけていたのは、有名な話だ。ランサーも、それでアーチャーを独占できるのならば、周囲に隠すつもりはさらさらない、の、だが。
 ランサーはぎこちない笑みを浮かべ、アーチャーの肩を掴んだ。
 「アーチャー、話がある。ちょっとこっちに来てくれ。」
 「え、でもそろそろ撮影が。」
 「良いから。5分で終わらせる。」
 有無を言わせず、ランサーはアーチャーの手首を掴むと、歩き出した。
 押し黙ったままのランサーへ、アーチャーが戸惑いの一瞥を投げかける。今まで、こんな風にランサーが沈黙したことはなかった。ランサーが腹を立てているのは、火を見るより明らかだ。アーチャーの何かが、逆鱗に触れたらしい。
 撮影場である教会の裏庭は、閑散としていた。これほど静かなのは、クランクアップ間近の撮影にみんな出払っているせいだ。
 人気がないことを確認すると、ランサーはアーチャーの手を離した。教会の壁へ身体を押し付け、居心地悪そうに身を竦めるアーチャーを見下ろす。
 「どうして、俺と付き合ってないと思うんだ?その根拠を教えてくれ。」
 「根拠って言われても…。」
 「言ってくれ。」
 いつになく尖った声のランサーに、アーチャーが顔を上げた。興奮しすぎて僅かに潤みを帯びた目、上気した頬。こんな状況でなければ、ランサーはいつまでも見入っていたことだろう。アーチャーが唇をわななかせて言う。
 「だって、ランサーは俺の顔がタイプなんだってずっと言ってたし。それに、はじめてのときだって、俺が男同士のやり方に興味を持ったから、寝ただけだろ?お前、すごい優しいし、気持ち良くしてくれるし、勘違いさせるようなことばっかいうし、キ、キスしてくるし、そりゃ、俺だって勘違いしそうになったけど…でも、いくら俺だって、お前の噂くらい聞いたことある。そんな勘違いするなんて馬鹿みたいじゃないか。俺はランサーのこと好きだけど、別に束縛したいとかそういうんじゃない、と思うし。」
 そう一気に捲し立てると、アーチャーは唇を噛み締め、顔を背けた。心底気まずかった。居た堪れない空気に、あれほど待ち望んでいた撮影すらどうでも良く思えて来る。
 早くこの腕の囲いから抜け出て、撮影現場へ逃げよう。
 意を決して顔を上げたアーチャーの頬に、ランサーの手が添えられた。影が落ちた、と認識する暇もなく、視界が肌色で塗り潰される。アーチャーは反射的に目を瞑った。
 顔を無理矢理上向かされ、唇を奪われる。逃げを打つ舌を舌で絡め取られ、激しく貪られ、呼吸すらままならない。
 アーチャーは腰から湧きあがる快楽にくず折れそうになったが、ランサーが邪魔をする。アーチャーは身動ぎした。押し付けられたランサーのものが、ランサーの望むところを伝えて来る。はじめて、アーチャーはランサーを怖いと思った。
 「…そろそろ5分経つな。」
 ようやく唇を解放したランサーが、口端を舐めた。ランサーの唇は赤く腫れて、キスしたばかりだと自己主張してはばからない。きっと、自分もああなっているのだろう。いまだキスの余韻に陶然としながら、アーチャーは思った。
 アーチャーの目元に浮かんだ涙を指先で拭い、ランサーが耳元で囁く。
 「噂を聞いたことがあるくらいだ。モデルの「ランサー」が一度寝たら二度と同じ人間とは寝ないという噂も、聞いたことがあるだろう。」
 「…え?」
 目を丸くするアーチャーに、ランサーはもう一度軽いキスをしてから、にっこり微笑みかけた。
 「帰ったらお仕置き決定だな。当然、バレンタインのお返しは三倍にしてくれるんだろう。」
 勿論、もらえなくても奪い取るんだが。
 そう言い捨てて去っていくランサーの背中を、アーチャーは呆気にとられたまま見送った。やがて、ランサーの発言が腑に落ちて、その美貌が瞳と同じ色に染まるのは、1分後のことである。











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初掲載 2012年3月14日