緊張していた。珍しく、煙草を吸いたい気分だった。
ジーンズの尻ポケットへ煙草とライターを突っ込んだランサーは、盛り上がっている撮影場を後にした。今日ランサーが撮影現場に足を運んだのは、自分の出番があるからではなかった。美貌ゆえ非常にもてるランサーは、面倒に巻き込まれるのも嫌なので、毎年2月14日はオフにしている。それは、モデルになった今でも変わりなかった。それにもかかわらず撮影場へ顔を見せたのは、単純に、アーチャーの顔が見たかったからだ。バレンタインなので厳しいことは重々承知の上で、あわよくば、アーチャーをディナーへ誘いたいという思惑もあった。
雪こそ降っていなかったが、外は驚くほど寒かった。ジャケットでも羽織れば良かった。ランサーは後悔したが、今更撮影現場へ引き返す気にもなれず、屋上の鉄柵へ身を預けると、煙草に火をつけた。
最近、ランサーは自分のアーチャーに対する感情の指向性が変わり始めた事実に気付いていた。最初は、アーチャーの顔がタイプだから、気紛れに誘いをかけていただけだった。生真面目でストレートなアーチャーに返答を期待していたわけでもない。第一、ドラマの撮影という状況下で、仕事に支障をきたすほど深入りするつもりもなかった。
それがいつからか、こんなにも、アーチャーの言動に一喜一憂するようになっていた。あの唇に咥えさせたら、どれだけ気持ち良いだろう。頑なに閉ざされた身体を開いて、俺色に染め上げたら、どれだけ楽しいだろう。外見ばかりに気を取られた卑猥な妄想は、アーチャー自身を知ることで、実態を伴った恋心へと昇華されていった。
撮影中の傲岸な演技、困ったようなはにかみ、小声で台本を読み込む真摯さ。膝かっくんをすると、僅かな戸惑いを浮かべて見詰めてくるその眼差しはそそった。
ランサーはアーチャーやセイバーと触れ合うことで、自分のような人間が、こんな風に他愛なく笑い返せるのだと知って、驚いた。それまで、ランサーは心のどこかで、自分は人間のくずだと思い込んでいた。周囲には、ランサーの美貌を目当てにした者しかおらず、また、ランサーも好き好んでそういう輩と付き合っていた。誰も、美貌の裏側に隠されたランサー自身を見ようとはしなかった。
そこに踏み込んで来たのは、アーチャーとセイバーだ。
今では、年や性別の垣根を飛び越えた親友であるセイバーが、土足で踏み込んで来たとき、当初は良い気がしなかったが、今まで隠して来たものを曝け出したことでほっとしたのも事実だ。アニおただとばれてから、ランサーは気兼ねせずアーチャーにセクハラをするようになった。まだ、ランサー自身がアーチャーにコスプレを強要したことはなかったが、ランサーの性癖をしっているセイバーが、面白がってアーチャーにコスプレを乞うようになった。その写真をおかずに、抜いたことは、秘密だ。
煙草を吹かしながら、ランサーは回想する。男女問わず数々の人間と寝て来たが、こんなに心動かされた経験は初めてだった。そして、こんなにそそられることも。
撮影の終わりが近付くにつれ、ひどくやりきれず、惨めな気分になる。アーチャーのことを気に入っているセイバーがいる限り、三人でつるむ機会はこれからもあるだろう。薄々ランサーの本気を察しているセイバーのことだ。後押ししようと、無理矢理にでも機会を作るに違いない。
だが、こんな風にアーチャーと確たる理由なしに会える機会はなくなってしまう。
ランサーは自分から他人にアプローチした覚えがなかった。今まで、胸震わせる存在に邂逅したことすらないのだから、それも当然だ。それまで、様々な男女から誘いをかけられ、それに応じるばかりで、これから先どうしたら良いのか皆目見当つかない。今まで受けて来たアプローチをなぞらえて、他人の真似をするのも嫌だった。
幾度目かわからない溜め息を零して、ランサーは携帯画面を開いた。ツイッターのセイバーの実況からするに、そろそろ撮影は終わりそうだ。落ち着きなく髪を掻きあげたランサーは、携帯吸いがら入れに半分も吸っていない煙草を押し込むと、屋上に背を向けた。
「泊りで呑み?良いけど。」
2月とはいえ、撮影中はライトで夏かと思うほど暑くなる。
背を向けたままタオルで汗を拭いながら、二つ返事で承諾したアーチャーに、ランサーは眉を潜めた。眼下には、アーチャーの剥き出しの項がある。汗で濡れた襟足が項に張り付くさまや、どこか甘ささえ感じさせる汗の香りが、ランサーを刺激した。
「お前、警戒したりしないのか?」
「別に今日予定ないし、明日は撮影オフだし、ランサーの手料理上手いから。」
そこで、アーチャーは怪訝そうにランサーを振り返った。
「え、ここで俺は警戒すべきなのか?だったら断るけど。」
「いや、そう言わずに、来い。」
「…変なやつ。セイバーは来ないのか?」
少し警戒心を催したのか、アーチャーが控室に設けられた洗面台でメイクを落としているセイバーへ声をかけた。常々、ランサーが口にしているセクハラ発言を思い出したようだ。ランサーは残念に思う反面、ほっと胸を撫で下ろした。相手が警戒を見せない状況下では、据え膳を食わないでいられる自信がなかった。
アーチャーの問いかけに、セイバーが顔を上げた。前髪から水滴を垂らしながら、興味深そうにランサーを見る目は、密かに笑っている。セイバーは微かに笑いを湛えた声で言った。
「私は遠慮しておこう。どうせ私が行ったところで、呑めも泊れもしないからな。二人で気兼ねなく飲み明かせば良い。」
アーチャーは不審そうに、笑いを噛み殺すセイバーと緊張に顔を強張らせたランサーを交互に見た。それでも、何かしらかの疑念は解けたらしい。元々、甘い男だ。アーチャーは相好を崩すと、ランサーへ笑いかけた。
「飯、期待してる。」
アーチャーにとんと軽く小突かれた胸が、幸せで満たされる。ランサーは重々しく頷いた。
「ああ、任された。」
そんな二人を、セイバーが笑って見ていた。
ランサーの住むマンションはいくつかの個室に分かれているため、その嗜好にもかかわらず、リビングはシックでモダンな落ち着いた造りになっている。連れ込んだ相手が引くことがないよう、ガンプラや美少女フィギュアは別室に飾られていた。
そのリビングで、よりをかけて作った手料理を、アーチャーが食べている。子供味覚の傾向にあるアーチャーが、以前好きだと言っていたハンバーグに、ドラマの設定では好んでいる赤ワインだ。
「これ、美味い。」
感心したようにアーチャーが言う。早くも酔いが回り始めているのか、頬には仄かに赤みが差している。
「いつも思うけど、ランサー、本当に料理上手いよな。教えてくれっていっても、覚えられそうにないのが残念だ。」
「嫁に来れば、毎日食べられるぞ。」
「ははは、またそんなことを言う。」
そう言って、アーチャーはワインを飲み下した。ごくりと象牙の咽喉が上下する。仰け反る首筋に、ランサーはぞくぞくした。アルコールに溶け始めたピジョンブラッドの目を向けて、アーチャーが小首を傾げる。
「お前、気をつけろよ。いつもそういうこと言ってると、誤解されるぞ。」
「誤解してくれないのか。」
「するわけないだろ。俺もお前も男だ。大体、男同士でどうやってするんだよ。」
本当に皆目見当つかないらしく、アーチャーが下唇へ人差し指を押し当てて考え込む。ランサーも、その発言を流すにはいささか酔っていた。もしかしたら女とも経験がないのかもしれない。まだ年若いから、十分考えられることだ。その可能性に興奮したランサーは身を乗り出して、アーチャーの耳元へ囁いた。
「…なあ、それを知りたいとは思わないか?」
アーチャーの目が驚きに見開かれる。だが、ランサーはその目に好奇の色が浮かぶのを見逃さなかった。
頭を引き寄せて唇を重ねると、アーチャーの肩が僅かに跳ねた。薄く開かれた口へ舌を入れながら、形の良い耳たぶを触る。雁夜に無理矢理キスされたときとは反応が違う。時折聞こえて来る鼻から抜ける声に、ランサーは否応にも興奮が募るのを感じた。力なくランサーの肩を掴んだ手が、細かく震えている。
やがて、ランサーは唇を離した。二人を結ぶ銀糸が、真ん中で途切れ、ぱたりとテーブルへ垂れ落ちる。顔を紅潮させ、肩で息つくアーチャーへランサーは笑いかけた。
「ベッドへ行こう。絶対、気持ち良くする。」
アーチャーがごくりと咽喉を鳴らして、唇を噛み締めた。ランサーは破顔した。ランサーの提案に、アーチャーは小さく頷いた。ランサーから不安げに逸らされた眼は、欲情に濡れていた。
キス一つで足腰の効かなくなっているアーチャーの細い体を抱き上げて、ベッドへ運ぶ。頭のどこかで性急すぎる真似に対して警鐘が鳴り響いていたが、愛しい人を抱ける喜びにそれも掻き消された。ランサーはアーチャーの身体を壊れ物のようにベッドへ横たえると、その頭の横へ肘を突いて、再び唇を重ねた。舌を絡めると、ぎこちないながらも、反応がある。ランサーはそれが嬉しかった。
「…お前、手慣れてるな。」
息継ぎの合間に、アーチャーが零す。嫉妬だろうか。ランサーは頬を緩めて、愛しいアーチャーの頬へ手を添えて、囁いた。
「そんなの気にするな。俺が愛しいのはアーチャーだけだ。」
「そういうところが手慣れてるんだよ。」
耳が敏感なのか、指の腹で擦るたびに、細かな震えが走る。ランサーは耳を愛撫しながら、再びキスへ没頭した。初めて他人から与えられる快感にもじつくアーチャーの股間を膝で擦り上げて、追い立てていく。ランサーが前をくつろげた時には、アーチャーのそれは今にも暴発しそうなほど、固くなっていた。ベッドサイドの引き出しから取り出したローションを掌へ取りながら、その先端へキスを落とす。
「アーチャーはただ気持ち良くなってくれれば良いから。」
不安を隠しきれずどぎまぎしているアーチャーの先端を口に含む。口内の温かさに、呻き声が響く。ランサーは紛れもない自分がアーチャーに快感を与えているのだという事実に、目も眩むばかりの興奮を覚えていた。ローションを塗りたくった指を、後孔の周辺へ這わす。与えられる快感にはくはく動くそこは、美味しそうだ。指先越しにその事実を感じ取ったランサーは、小さく笑みをこぼすと、ぬるつく指を中へ差し入れた。
一体、どれくらいこうすることを夢見ただろう。
未通の後孔はきつく、ランサーの侵入を拒んだが、ローションの手助けもあって、すんなり入った。経験上知っている快楽の源を擦り上げると、アーチャーの腰が跳ねた。身を捩って逃げようとする腰を押さえ、更に増やした指で中のしこりを押す。
「やだ、ランサー、もぅ、いく…!」
「ああ、いけ。」
「口、放して…!」
腰を捻って逃げようとするアーチャーのものを、ランサーは強く吸い上げた。口内に熱い苦みが広がる。アーチャーはいったのだ。ランサーは満面の笑みを浮かべて、溢れ出たそれを全て舐め取った。信じられない、という顔でアーチャーが見ている。ランサーには、こんな愛しいものの一片たりとも逃すことの方がよほど信じられなかった。
「アーチャーのものだと思うと、甘く感じられるな。」
「この、変態…!」
「変態だということは、とっくに知っていたはずだろう。」
触れられてもいないうちからそそり立ったものへ、アーチャーの手を差し招く。びくんと跳ねる手へ半ば無理矢理握らせ、ランサーはアーチャーの耳元で囁いた。
「…ほら、お前の痴態でこんなに固くなってる。」
アーチャーの顔が首まで赤らんだ。ランサーは笑って、唇を重ねた。言いようのない青臭い苦みに、アーチャーが顔をしかめる間も、ランサーは何食わぬ顔で後孔を弄り続けた。次第に、アーチャーの息が弾んでくる。再び熱を帯び始めたアーチャーのものへ自分のものを摩り合わせながら、ランサーは熱く誘う中へローションを塗り込んだ。
「もう充分だろ。」
眼下のアーチャーは、ランサーにされるがままだ。激しく胸を上下させて、ランサーから与えられる快楽を忠実に貪っている。愛らしい想い人の様子に、ランサーは軽くキスを落とすと、コンドームを手早く己のものへかぶせた。アーチャーの狭い後孔へそれを押し当てて言う。
「力、抜いて。」
「そんなこと言ったって…。」
「大丈夫、絶対気持ち良くするって約束しただろう。手は背中に回して。痛かったら、爪を立てても良いから。」
ランサーの言葉に素直に頷き、背へ腕を回すアーチャーの眦は紅い。これほどひたむきに信頼を寄せられる経験は、ランサーにとって初めてのことだった。宥めるキスを繰り返し、アーチャーのものを手で擦り上げながら、強張るそこへ先端を埋めていく。
決して痛い思いをさせるつもりはないし、場数だけは踏んでいる。痛みはないはずだ。それでも、アーチャーを満足させたいという一心が、ランサーを慎重にさせた。
「アーチャー、大丈夫か?いくらか苦しいかもしれないが、それも最初のうちだけだからな。辛くはないか?」
全て収めきった状態で、アーチャーの髪を撫でながら問いかける。とろんとした眼差しで、アーチャーが身を震わせた。
「ふ…んんん、ランサー…っ。」
「どうした、大丈夫か?」
「どうしよ、俺、男同士なのに、すごいきもちい…。」
アーチャーの台詞に、ランサーは身を強張らせた。喘ぎにも似た荒い息を漏らしながら、アーチャーが首を傾げる。
「俺、おかしいのかな。」
アーチャーの愛らしさに呼吸すらままならない状態で、ランサーは言い返した。
「…だから、絶対気持ち良くするって言っただろう。」
「はは、そうだったな。」
ずいぶん時間も経っている。もうアルコールなど飛んでいるだろうに、本来小心者のアーチャーは、鷹揚に笑った。額に汗で張り付いた前髪を掻き分けてやりながら、ランサーが囁く。
「なあ、そろそろ動き始めても良いか。」
「うん、ちょっと怖いけど…絶対気持ち良くしてくれるんだろ。」
ランサーは笑みを零して、アーチャーの唇を奪った。
勿論、気持ち良くしないわけがなかった。
『昨夜はお楽しみだったようですね(^p^三^p^)kwsk』
眼前に携帯を突き付けられたセイバーは、腑に落ちない様子で首を傾げた。険しい表情のランサーの応対をしながら、ちらりと時計を一瞥する。親友のためならば割くことも厭いはしないが、撮影前の貴重な時間を台本の読み込みに当てたいのが本当のところだった。
「何だ。昨日私が送ったメールじゃないか。それがどうかしたのか。」
「何故ばれた。」
「何故も何も、バレバレだろう。バレンタインだぞ。あんなベタな誘い、気付かないのはアーチャーくらいじゃないのか。それに、全然返信が来なかったし。」
沈黙が落ちる。セイバーは肩を竦めて、ランサーへ不審がる視線を向けた。撮影まで、あと1時間切っている。こんな時間にもかかわらず、まだランサーが私服でいるのは珍しい。それに、もう1時間前からスタンバっているアーチャーに付きまとっていないのもおかしい。
セイバーとしても、まさか、ランサーとアーチャーの煮え切らない関係が一気に進展したと思って、このメールを送ったわけではない。アーチャーの貞操を心配して、何度か連絡したものの、返事一つないから、よほど差し呑みを愉しんでいるのだろう。そう思ったのだが。
「それより、着替えないのか。」
「……お前がいなくなったら着替える。」
「まさかそんなアーチャーみたいな台詞をお前の口から聞くことになろうとは。今まで気にしたことなどなかっただろう。」
セイバーは眉間にしわを寄せた。これはいよいよおかしい。不自然な沈黙が続いた。珍しく煙草でも吸おうというのか。尻ポケットに手をやったランサーが苦し紛れに背中を向けた隙に、セイバーは勢い良くランサーの服を剥いだ。
「……………………。」
ランサーの背中には、蚯蚓腫れの跡が大量にあった。セイバーも無知ではない。場所も場所だけに、それが行為の最中に爪で引っ掻いた跡だということくらい、判別がつく。それに、この手の形をした痣。セイバーは慄いた。
「……お前、まさか、ガチで。」
ランサーが幸せそうに笑った。
「すまん。お楽しみだった。」
その日、撮影現場には、セイバーの絶叫が響いた。
初掲載 2012年3月11日