第三話   現代パラレル


 何処をどう通れば元居た部屋へ戻れるのか、探偵の性というより現状によって逃げ道を暗記しながら片倉の後をついていった佐助は、縁側沿いの簡素な和室に辿り着いた。簡素とはいえ豪奢な屋敷に相応しく、床の間には椿が青みを帯びた灰色の花瓶に納められ、その後ろには日本刀が一振り飾られており、それは門外漢の佐助にも趣味が良いと分かるコーディネートの施された部屋だった。
 しかし佐助が着目したのはその、おそらく片倉の自室だと思われる部屋の静謐な美しさではなく、床の間の椿と刀だった。椿といえば首が落ちる様に似ていることから武士に縁起が悪いと嫌われていたことは、佐助もドラマか映画で知識を得ていたし、何より刀だ、ここでばっさり斬り捨てるために部屋へ連れてこられたのではないかと思うと足が竦んだ。
 (お、俺の首を落としてやるぜ!って暗示…?)
 裏に山まで持っている土地持ちの金持ちにかかれば、実際、男の死体1つ処理することくらい簡単なことだろう。警察御用達ということなのだから、つまりは警察上層部にまで影響力を持っているということでもある。佐助は試しに己が片倉によってスコップで土をかけられている場面を想像してみたが、それはあまりにも呆気なく、そしてリアルに思い描くことが出来た。
 だがそれでもまさか、佐助が片倉と最期に会っていたことは政という証人だっているし今ここで殺されることはないだろう、と頭のどこか冷静な部分が佐助に告げていたので、佐助は片倉に命じられるまま座布団に腰を下ろした。座った気がしなかった。
 「お前、」
 「はっ、はい。」
 「飲め。」
 「はっはい!頂きますありがとうございますっ!」
 佐助は片倉の逆鱗に触れぬうちにと手渡された杯を一気に空けた。食べ物の詰め込まれたばかりの胃はそれなりに衝撃を和らげたが、北の大地の酒らしくアルコール度数が高かったようで、酒は強かに佐助の胃壁を焼いた。
 片倉は、佐助が杯を呷る姿を目を細めて見ていたが、佐助が空けた杯に再び縁一杯まで酒を注ぐと、もう興味は尽きたとばかりに部屋から臨める庭へ視線を向けてしまった。
 しかし、どうやらこれは片倉のスタンスらしいことが段々分かってきた、というよりそう思いたかった佐助は小さく身を縮こまらせながらも片倉の視線の先を追った。先には、おそらく現在政や成実や鬼庭が居るであろう、皓々と灯りのついた道場があった。
 「政様はな、」
 「は、はい。」
 片倉は杯の中の酒を睨みつけ、腹の底から吐き出すようにして、重々しく言葉を口にした。
 「政様はな、幼い頃、小十郎と結婚すると言ってくださって…それはそれは可愛らしかったんだ。」
 「はあ。」
 当然といえば当然だが、佐助は返答に困った。
 「俺はそんな政様に、俺などではなく是非日ノ本一の男に嫁いでもらわねばと、」
 片倉はそこで一気に杯を呷り、再び視線を道場に向けたまま嘆息交じりに言った。
 「それがどうしてお前みてえなのに。」
 「はあ。」
 ここはすみませんと謝るべきなのだろうかなどと途方に暮れながら、佐助はやはり先程と同じ相槌を打つよりなかったが、どうやら片倉が政を嫁に取られる事に対し怒りよりも困惑と悲しみを抱いているらしいことが、ここに来てようやく読めてきた。
 「大学に上がるまで浮いた話一つなくて、そりゃあ政様だってあれだけお美しく中学に上がる頃にはその片鱗が垣間見えていたから想いを寄せる野郎は大勢居たが、それでもこれまでこんなことはなかったんだ。」
 「全く、なかったんですか?その、浮いた話。」
 ギロリと睨みつけられ佐助は内心臆したが、片倉はすぐさま視線を逸らしてしまったのでどうにか持ちこたえた。
 「今は海上保安庁で班長なんてやってる長曾我部っつうのが当時はまだ平で門下生としてうちに住み込みで居やがったが、」
 「はあ。」
 「何事もなかったな。あいつが、一番可能性があったといえば、あった。」
 すうと細まった瞳に佐助は、片倉が長曾我部を道場で散々叩きのめすか何かしたのだろうという憶測を立てた。おそらく、その憶測は大して間違っていないだろう。政の前で、という補足がつくか否かの違いに思えた。
 佐助はここで、片倉に政をおれのために守ってくれていてありがとうございますというべきなのか、同じ政に恋心を抱いた男として長曾我部とやらに同情するべきなのか迷った。勿論、片倉が佐助の登場を予期して政の男関係を完璧にガードしていたわけがないとは重々承知してはいるが、それでもつい口が滑って口に出してしまいそうだった。
 片倉はそんな佐助の様子に不審そうに視線を寄こし、誤魔化そうと佐助は慌てて酒を呷った。
 「政様を、」
 自らの杯と佐助の杯に酒を注ぎ、そして片倉は初めて佐助を真っ向から睨み付けるでもなく、見た。
 「政様を幸せにしなかったら、刀の錆にするからな。あの方は誰よりも幸せになるべきなんだ。」
 (やっぱり刀で斬り殺される運命なんだ俺ってば。)
 政と付き合えないが道場でしばかれるだけで済むのと政と付き合えはするものの下手したら斬り殺されるのとどっちがマシなんだろう、と佐助は2つの選択肢を挙げてみたが、当然佐助には後者しか選べなかった。
 佐助は初めて、片倉の前で心から笑った。
 「絶対、幸せにします。幸せに、絶対幸せになります!」




 「だからあんま飲みすぎんなよっつったのに。」
 朝だという事実など微塵も感じさせぬほど勢いよく大量に食事を取りながら、政がひどく呆れた様子で佐助に苦言を洩らすのも無理はなく、佐助は今にも死んでしまいたいくらい二日酔いが酷かった。朝食を取るなど考えられないし、目の前で食べられるだけで、正直これ以上ないほど責め苦だった。朝稽古に出た政によれば、佐助以上に飲んだはずの片倉はまるでそんな気配も見せず、佐助が頭痛と吐き気に苛まれながらも布団で丸くなっていた早朝から道場で鍛錬に勤しんでいたらしい。
 「まあでも、良い奴だったろ?小十郎。」
 ひょいと、一向に減っていない佐助の皿から塩鮭を奪い取り政が笑ったので、佐助も二日酔いに苛まれているため力ないものではあったが精一杯の笑みを浮かべた。
 「うん。」
 斬り殺される運命にあることなんてそんなのは佐助の努力しだいでどれだけでも先へ延ばすことはできるし、第一佐助は政を絶対に幸せにすると誓ったのだから不幸にするわけなんてない。
 「本当、来て良かったと思ったよ。」
 つまりは斬り殺されたりはしないと思う、と楽観的な未来を抱きながら佐助は心の底から、政の実家に来て良かったと思い、同時にまた来ようと決心するのだった。










>「番外編」へ


初掲載 2006年12月22日