蔵の戸を開けると埃臭さが鼻に付いた。3ヶ月前、年末の大掃除で大々的に清掃を行ったはずなのだが、やはり、長い歳月を経ているだけあって、古さゆえの埃っぽさはいかんともしがたい。片倉は開けた扉から射す光の中をちらちらと埃が舞う様を眺めるのを止め、一つ腕まくりをすると、蔵の中へと入っていった。片倉の手伝いをする者は居ない代わりに、邪魔立てする者も居ない。多少、片倉の姉である喜多や主の従兄弟にして義弟である成実は窘めるが、片倉を止めるまでには至っていない。
それは2月25日。3月3日雛祭りを週末に控えた、日曜日のことだった。
片倉が蔵出ししているのは、子煩悩だった父輝宗が愛娘政のために作らせた雛壇である。
「そういうわけで、今年も出してるよ。」
『Ah-、そうか。』
受話器越しの政の返答は苦笑混じりだ。それはそうだろう。政は今年で28歳、雛壇を出す年でもあるまい。成実はコードを指先で弄びながら、ちらりと蔵の方へ視線を向けた。叩きを背に差し込んだ片倉が、慣れた手つきで蔵から運び出した雛壇の土台を居間に設置しているところだった。
「小十郎はさ、信じてるんだよ。」
襖に背を預け部屋を覗き込みながら、成実はポーズとして溜め息を吐いた。
一応、成実は喜多と共に窘めの言葉を口にするが、それは雛壇飾りを手伝いたくないせいである。既に遠方で就職しているとはいえ、大好きな従兄弟がこれ以上遠くに行って欲しくはなかった。
「毎年雛壇拝んでるしさあ。」
『…。…それは、出すと嫁き遅れるってやつか?』
「うん。だって毎年振袖も着させられるでしょ?見に行けないときは、わざわざ証拠写真までこっちに送らせてさ。」
片倉は真剣な眼差しで雛壇の土台が曲がっていないか検分している。ずるずると襖越しにずり下がり床に腰を落ち着けた成実は、くるくると再びコードをいじりながら答えた。
暫しの沈黙。
『…、なあ、成実。』
意外な政の口調に、成実はおやと目を見開いた。
何故、そこで神妙な様子を見せるのか。少しばかり嫌な予感がした。
『喜多と綱はもう知ってるんだけど、』
成実は胸中で大きく溜め息を吐いて、雛壇の飾りを出すため蔵へと向かった片倉の方へと視線を投げかけた。小十郎、真剣に拝んでも今回ばかりはご利益なさそうだよ。
政が言った。
『俺、結婚を考えてるやつが居るんだ。今度、挨拶に連れてくから。』
成実は憐憫の眼差しで三人官女の詰められた箱を持ち出してきた片倉を眺めることしかできなかった。
初掲載 2007年3月3日