隗より始めよ 第二話


 政宗の元に、武田の忍びが通うようになった。
 先だって、大坂で会った際に告げた言葉が効いたのかもしれない。佐助の来訪を告げる小十郎に、今行くと返し、政宗は緩んだ口元を掌で覆った。誰が見ているはずもないのだが、何と言うか、恥ずかしかった。
 政宗が佐助を想うようになったのは、随分前のことになる。切欠は秘密にしているので、小十郎だって知らないだろう。
 こんな男との関係なぞ無用の長物だ、と理性が告げる一方で、政宗の中の女は、喜びに胸がはち切れんばかりだ。政宗は改めて、異国から輸入した姿見で、己にどこか変なところはないか確認した。身嗜みは勿論のこと、態度もおかしくては困る。政宗は鏡の前に立ち、じっと己の影を睨みつけた。満面の笑みなぞ迷惑以外の何ものでもないが、こうだからといって、眉間にしわが寄っているのもおかしい気がする。
 思えば、佐助との出会いから既に数年が経っている。そのことにはたと考えが及んで、自然、政宗の目は胸元へと降りていった。もうあの頃のように、男に間違えられるような「壁」ではない。しかし、と政宗は不満に唇を尖らせる。しかし、佐助が頻繁に誉めるかすがのようにでかいわけでもない。
 「………知るか、んなこと。」
 政宗は吐き捨てると、鏡の中の己に見切りをつけ、すたすた歩き出した。たかが忍びだ。会うのに、わざわざ畏まる必要などない。部屋着で十分どころか、かえって、お釣りが来るくらいだ。
 女心と秋の空。それは、伊達家当主政宗には、尚更当てはめることが出来た。


 佐助は応接間にいた。
 佐助が奥州を訪れるとき、その手にはいつも贈り物が握られている。それは、幸村の好きな団子だったり、野に咲く花だったり、露天で買われた玉だったりと、毎回他愛もない贈り物ばかりだったが、毎回、政宗は舞い上がらんばかりに喜んだ。小十郎には瞑目され、成実にはふくれられるが、政宗は佐助からもらえるものならば、例え、それが道端の石ころであろうと喜んだことだろう。
 この日も例外ではなく、政宗は佐助からかんざしを受け取ると、内心、小躍りせんばかりに喜んだ。政宗の髪は辛うじて紐でくくれるかどうかの短さなので、かんざしなど使いようがないのだが、そんなことは関係ない。
 それがひどく高価で脆いものであるかのように触れるように政宗を、目を細めて見ていた佐助が、言った。
 「ごめんね、こんなものしかあげられない身分で。」
 一瞬で、喜びが失せた。
 かっとして、考えるよりも先に手が出ていた。ぱん、と小気味良い音が鳴ったのを、政宗はどこか遠くで聞いていた。何故だろう。まるで、他人事のように現実味がない。佐助は張られた頬を押さえようともせず、あの、いつものしみったれた笑みを浮かべている。へらへら笑うんじゃねえ。寸でのところで、こぼれそうになった罵倒をこらえて、政宗は唇を噛み締めてから吐き捨てた。
 「もう、今日のところは帰れ。」
 沈黙にぽつりと落とされたその言葉は、染み渡るように、広がっていく。へらりとまたあの笑みを浮かべて、佐助が腰を上げた。
 「うん。ごめんね。」
 政宗は去っていく佐助に一瞥すら投げかけなかった。
 言い訳一つしようとしない男に、どうして惚れてしまったのか。もっと気概のある、そう、小十郎のような男に惚れれば良かった。何なら、幸村でも良い。あいつの方がよっぽどマシな反応をするだろう。それか、慶次だって。
 政宗の心に後悔が渦巻く。それでも、政宗にはどうしようもない。佐助の頬を打った手が痛かった。それ以上に、よっぽど、心の方が痛かった。
 ぎゅっと手を握り締め、政宗は目を眇めた。やばい。泣きそうだ。これしきのことで泣くなど、高い矜持が許せない。というより、やはり、あの忍びが許せない。何より、そんな馬鹿な忍び一人許容出来ない己の底の浅さが許せない。
 政宗は佐助の後を追うべく、立ち上がった。


 見晴らしの良い丘の上で政宗が追いついたとき、佐助は、まさに凧で空に飛ぼうとしているところだった。
 「おい、そこの忍び!」
 政宗の不機嫌も露な声に、佐助が振り返る。佐助は一瞬きょとんと目を丸くしてから、困った様子で凧の紐を掴む腕を下ろした。
 「えっと…どうしたの?」
 佐助の疑問も当然だ。慌ててすっ飛んできたので、政宗は部屋着のままだった。何せ、忍びはそこらの武士や行商人と違う。急がなければ、さっさと煙のように消えてしまう。
 「うっせえ、どうしたもこうしたもあるか!テメエを追ってきたに決まってんだろう!」
 ぜえぜえと肩で息つく政宗を、佐助がやはり困った様子で見ている。目元と鼻頭が赤いのに、気付かれたのかもしれない。気遣いなど必要としていないのに、腫れ物にでも触るように、佐助は政宗に優しく接する。
 そんなのが欲しかったわけではない。
 政宗は無理矢理呼吸を整えると、佐助の胸にかんざしを押し付けた。
 「これ、返すっ!」
 「…そうだよね。殿さんには、やっぱ、安っぽいよね。」
 佐助が、押し返されたかんざしに目を落として、自嘲気味に呟く。予想の範疇とはいえ、それが癇に障って、政宗は押し倒すようにして佐助に馬乗りになった。胸倉を掴んで、一息に叫ぶ。
 「誰が、いつ、アンタに金目のもんを要求した!俺は、アンタにそんなのを望むほど馬鹿に見えんのか?いっつも貧窮で喘いでるアンタにんなもん強請るほど、俺はな、馬鹿じゃねえぞ?!」
 じわりを押し寄せる強い感情が目頭を刺激する。つんと沁みる鼻を意識せぬよう、政宗は顔を俯かせて口元を引き締めた。
 「…もう良い、飽きた。俺も暇じゃねえし、アンタみてえな馬鹿、いつまでも待ってられねえよ。」
 否応なしに、声が震えた。同時に震える肩に、佐助が憐れむような眼差しを注いでいる。
 「も、良い。アンタと俺の身分を考えりゃ、こうするのが当然だったんだ。それなのに、俺…。」
 力いっぱい、拳を握り締める。政宗は熱くひりつく咽喉を宥めて、大きく、深呼吸した。
 「佐助。」
 腕を回した背は、痩せて見える割にしなやかな筋肉がついていて、意外と頼りがいがある。政宗は肩口に額を押し付けて、ぽつりと呟いた。
 「アンタ、嫁に来い。」
 この台詞に、一瞬躊躇うような気配をさせてから、恐る恐ると言った風に優しく政宗に回されようとしていた佐助の腕が強張った。
 当然のことながら、沈黙が降りる。
 そして、当然のことながら、沈黙を破ったのもまた政宗だった。
 「俺、もう、アンタ相手に待ってても無駄だってよーくわかった。忍びのアンタに財力も血統も何にも期待してない、つーか、そんなの俺が全部補って余るほど持ってるってのに、アンタはんなくだらないことばっか気にしてるし…もう、俺やだ。」
 照れ隠しのつもりか、女の細腕が為しているとは思えないほどの力で抱き締めて、政宗がくぐもった声で言う。
 「アンタが欲しい。なあ、猿飛佐助をくれよ。」
 天下の独眼竜にここまで言わせるなんて、切腹ものだろう。武士じゃないけど。
 とうとう、にへら、と佐助が相好を崩した。その表情に、それまで押し付けていた面を上げた政宗が、むっとして唇を尖らせ、噛み付いた。
 「俺にここまで言わせといて、アンタは、好き、の一言もくれねえの?」
 「ううん、好きだよ。」
 どこかで、告げてはいけない言葉だと信じ込んでいたそれが、すんなり舌に乗った。その事実に、佐助の胸が熱くなる。
 「好きだよ。だーいすき。影で生きる忍びのくせして、こんなに好きで良いのかってくらい。愛しちゃってるんだよ。」
 背に回しかけていた右手で、政宗の頬に触れる。その目に、涙が縁ぎりぎりで留まっている様を見て、佐助はある決意を固めた。
 「俺、きっと、殿さんに相応しい奥さんになるよ。」
 「ならなくて良い。無理にアンタ以外になろうとすんな、馬鹿。…アンタがアンタでいるなら、それだけで良い。」
 「…じゃあ、その分、幸せにするよ。幸せになろう、…政宗。」
 初めて呼ばれた自身の名に、耐えかねたように、再び、政宗が肩口に顔を押し付けた。
 「…しみったれた笑み、浮かべてんじゃねえよ。」
 その細い肩が震え始める。政宗は女のくせして男勝りで、そこらの男では真似できないような六爪流なんて特技があり、佐助では太刀打ちできないような不当な実力の持ち主だったはずだ。だから、佐助は、政宗がそこらの女のように泣くはずがないと思っていた。
 天下の独眼竜が、そこらの女のように、恋に涙するなど。
 「うん、笑ってごめんね。…でも、嬉しくてさ。」
 政宗にそうさせたのは、自分だ。
 「ごめん。」
 そのまましばらく、佐助は政宗を抱き締めていた。








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初掲載 2009年5月5日