尾崎綺憚 第一話   転生パラレル


 村に至る山には満面桜が植えられていた。一見した限りでは、他の木は見当たらない。春という時期柄もあってのことだろうかと思いもしたが、少しも緑が見当たらないのは不自然だ。
 りょうは山に桜を植栽でもしたのだろうか、と首を傾げた。
 だが、日本で桜の植栽が本格的に行われたのは日露戦争以降だ。確か、富国強兵、日本精神の拠り所としての散り際の美しさが持て囃されてのことだった。決して植物に詳しい訳ではないが、りょうの見た感じでは、どうも桜は樹齢百年をゆうに超えているようである。桜同士の間隔は不自然ではなく、判断に困るところだが、これだけの数だ。誰かが植えたのだろう。自生とは思えなかった。
 りょうが向かっている村は「神木村」という。
 山は神の領域である。姥捨て山や、七つ以前の子が死ぬと山に捨てた例からわかるように、山は人間のものではなかった。その中で、墓の代わりに山に木を植える地方もある。桜を植えるというのは珍しいが、村の名からすれば、その類だろうか。
 りょうは大きく息を吐き、宿泊セットと上杉に頼まれた資料の詰め込まれた鞄を担ぎ直した。
 今回の調査に、きっと関係するだろう。


 先行隊として現地に赴いた上杉から、他学科生を相手にした民俗学の集中講義を行っていたりょうに連絡が入ったのは、一昨日のことである。
 元々、現在在籍する大学に来るまで米国で経済学を専攻していたりょうは、日本の民俗学にそれほど詳しい訳ではない。それでも、他学科生相手に初歩の初歩を論じる程度ならば支障ない程度の知識は既に持っていると自負していた。未だ学生の身でありながら、試験的にではあるが、指導する立場に立つことができたのは、りょうが優秀だからに他ならない。その上、集中講義の範囲に関する資料は総浚いしたため、他学科生の質問ではりょうを困らせることなどできる訳もなかった。
 「上杉教授から、連絡入ってたわよ。」
 ゼミ仲間から伝えられたとき、りょうは内心首を傾げた。あなたならばしんぱいするまでもなく、きっとやりとげてくれることでしょう。そう言った上杉の顔を思い浮かべ、信頼されているはずだが。そう思った。
 「りょうが講義してるところだったから、伝言を預かったけれど。」
 「thanks.」
 上杉は助手のかすがを連れ、狐憑きの家が存在すると言われている長野の山村に赴いている。電話線は引かれているが、当然のように携帯電話は通じない。フィールドワークに向かう場所は大抵携帯電話が使用できないため、今回のように、連絡手段は手紙か電話になる。
 りょうは友人から手渡されたメモを見た。
 「何でも、思うところがあるから、その資料をその住所に届けるようにって。」
 「期限は?」
 「集中講義が終ったら。なるべく早い方が良いみたいだったけれど。でも別にりょうに用事があるなら、滞在期間中に間に合えば良いって話よ。どちらにしてもお盆にまた行くから、無理なら無理しないでも良いって言ってたわ。」
 友人は、ああ、と自分用のメモから顔を上げ、りょうの目を正面から見た。
 「そういえばりょうに来てもらいたいそうよ。私などではなくて。理由は知らないけれど、次回の調査にも行くんでしょう?だからじゃないかしら?たぶん。」


 頼りない地図をどうにか推測で埋めながら辿り着いた神木村は、ひっそりと何かからか隠れるようにして山間に存在していた。山一面の桜が特徴的ではあるが、普通の山村だ。例外なく過疎に見舞われているらしく、ぽつぽつと見受ける人は年配の者ばかりだった。
 「すみません、道をお尋ねしたいのですが。」
 途中、適当な村人を捕まえ、りょうはメモに記載された住所を尋ねようとして止めた。このような閉塞された場所では、むしろ、名を尋ねた方が早い。
 「尾崎さん、と呼ばれているお宅はどちらでしょう?」
 尾崎は尾裂きに通じ、尾の分かれた妖のことを指す。今回は狐憑きと呼ばれる宅の通称だろう。改革の際苗字をつけるにあたって、尾崎狐から尾崎とそのままつけたのだろうかとも思うが、どうも判然としない。憑き物の家は、一概に憑かれていることを隠すものである。村八分なら未だマシな方だ。下手をすれば追放、罪科は血縁者にまで及んだ。その村長までもが監督不届きで処罰されることもあった。
 尾崎さん、としかメモには書かれていないから、屋号の類だろうか。元々、集中講義の関係もあり今回の調査には来るつもりがなかったりょうは、時間がなかったからという理由で予習を怠ったことを悔やんだ。本当は、次回、盂蘭盆に来るつもりだったのだ。
 「尾崎さん家だったら、ほら、あっちだよ。あんた、調査しに来た人の知り合いかい?」
 「はい。」
 「そおかい。若いのにこんな辺鄙で遠いとこまで大変だねえ。」
 タオルを首に巻きつけた老女のからりと乾いた笑いに、りょうは流されるようにして笑みをこぼし、老女に見送られるままその場所を後にした。
 おそらく、今のやり取りでりょうの到着は村中に知れ渡ることだろう。近代になり、都市はあまりに個人主義的で他人に無関心になったとはいえ、まだまだ農村では昔の封建的な色合いが強い。特に、民俗学のフィールドワークで向かう先は、村長や医者や寺社の権力が強く残っている場所が多かった。
 りょうがその家に辿り着いたとき、やはり村人から先に連絡が入っていたのか、上杉とかすがが玄関先で出迎えてくれた。
 「きてくれましたか。ながたびごくろうです。いそがせてしまったようですね。」
 「そんなことありません。」
 「こうぎはどうでしたか?」
 「無事、昨日終りましたよ。」
 「そうですか。」
 にっこりと微笑を浮かべる上杉とは対照的に、かすがの表情は暗い。かすがは上杉の前では常に明るい表情を振りまいているだけに、何故かすががそんな顔をしているのか、りょうは不思議に思った。
 「つかれたでしょう。よるまで、へやでおやすみなさい。それまで、かすがからはなしをきくのもいいでしょう。」
 確かに、上杉の言う通り疲れている。村最寄の駅からある程度まではタクシーを使用できたのだが、予期していた通り、山の入り組んだ細道は車では通れず、りょうは自力で歩くことになった。
 上杉のその言葉を好意として受けとめ、りょうは頷いた。
 「ああ、上杉教授。頼まれた資料ですけど、」
 上杉から頼まれた資料のことを思い出し、りょうは資料を渡すべく鞄を開けた。資料を入れたファイルを鞄の端に入れたのだが、どうも角が入り口に引っ掛かり中々出てこない。
 「あうのは、よるになるでしょう。」
 内心、資料相手に舌打ちをしていたりょうは、反応が少し遅れた。顔を上げると、木削りの古い狐面、能面には見えないから家の象徴だろうか、その面を背に上杉がとても嬉しそうに微笑んでいた。
 「やぬしが、あなたを、くびをながくしてまっていますよ。」











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