「それもう5杯目じゃない。トイレ行きたくなるよ。」
たしなめた俺に、旦那は「お、おお。そうだな。うむ。」といったんはストローから口を離すものの、暫くすると、落ち着きなくストローに口を付けた。余程緊張しているのだろう。
こんなやり取りを、この30分間で、既に何度したことか。
俺は溜め息を吐いた。
今俺たちがいるのは、少しリッチ嗜好ではあるけれどどこにでもあるファミレスだ。映画「戦国乱世」の打ち合わせのために、打ち合わせの1時間前からこうして俺たちはここにいるのである。時代劇を中心に活躍してきたものの流石に旦那も映画は初めてかつ初主演、ということもあって、道中何事かあっては遅れてはいけないと早めに事務所を出た結果が待ち合わせ1時間前の到着、だった。
「ほら、お館さまも気張らないで楽しんで来い、って言ってたでしょ?そんなに固くならないでさ。」
マネージャーとして旦那の緊張を解そうと試みるが、旦那は、ギギギとおかしな音が立ちそうなぎこちない動きで俺を見た。
「そ、某に、できるであろうか?某にはやはり大役なのでは…。」
何もかもが初めてだししょうがないとは思うけれど、流石にオファーを受けてからずっとこんな調子につき合わされている身としては、正直しんどい。「某」という第一人称からもわかるけれど、口調が時代劇調になってるし、本当に緊張してるのは察するけれど。
「大丈夫だってば。監督直々、お声がかかったんだからさ。ね?」
この数日間何度こうして宥めたかわからないけれど、旦那は「う、うむ。そうか。」と一応は納得したようだった。まあ、こんな掛け合い忘れて、すぐさままた繰り返すんだろうけど。
「しかし、この政宗殿、というのはどのような方なのだ?」
暫く台本を眺めて静かにしていると思ったら放たれた台詞に、俺は芸人みたいにキレイにずっこけるかと思った。
「え?!知らないの?」
「?う、うむ。某、時代劇以外は不慣れなので。」
「不慣れっつったって、今、人気絶頂の女優さんじゃない!」
このお館さまバカめ!と心の中で旦那の無関心を罵りながらも、それも旦那らしいか、なんて思ってる自分が嫌だった。この世界で働いてる人間を把握できないだなんて、そんなの、男優失格じゃないか!俺は無理矢理咳き込んで、吐きそうになった溜め息を掻き消した。
「1年半前にやってた、昼ドラの『蝶の変身』って知らない?」
「む?」
「昼ドラだから授業あったし見てはいないだろうけど、名前くらいは知ってるんじゃない?」
昼ドラ『蝶の変身』は、病弱で気弱な少女が母とその愛人によって家を追い出され、その後、パトロンの手を借り復讐を果たすというものだ。昼ドラにはよくある展開でよくある内容だったのだけれども、主役の政宗の美貌と演技が冴え渡り、かつてないほどの人気を博した。
俺の言葉に、はたと何かを思い出すように、旦那は斜め右上を見た。
「…そういえば、母上と兄上がはまっていたドラマがそんな名前だったような…?気付いたら、家にDVD全巻揃えられていたのが、そんな名前だった気がするぞ。うむ。」
「…すんごいはまってたんだ…。」
「うむ。よく知らぬが。」
旦那のお母さんと信之さんの顔を思い出して、ああ、好きそうだよね、と俺は納得した。確か、元々は歌舞伎の名門出である旦那がこの世界に入るのを許したのも、あの二人じゃなかったか。
「まあ、あるんだったらさ。全部それ見てみれば?今回共演する政宗さんは、政宗さんをモデルにした主役の政子を、ドラマ化の際に是非にってんで、請われて演じた『蝶の変身』がすごく評価された人で。今は演技派を背負ってるような大人気女優だよ。元々モデルだったからすごい美人だし、大人気だよね。」
「ふむ。」
「モデル以前の前歴は不明で、どこぞのセレブの娘だとか経済の博士号もってるとか色々言われてるけど。まあ、そこら辺は眉唾物かな。芸能人らしい都市伝説みたいなもんじゃない?」
要らぬゴシップネタまで披露したとき、店の入り口の方がざわついた。店員の感動したような上ずった挨拶に、客の歓声までもが聞こえる。
「あ、噂をすれば何とやら…来たみたいだよ。」
耳打ちすると、間も無く、店員を引き連れて政宗さんがやって来た。政宗さんの後ろにいるやたら強面のお兄さんは、ガードマンか何かだろうか。
政宗さんの到着に、まだまだ身分が高いとはいえない旦那とそのマネージャーである俺は席を立った。直角になる勢いで、挨拶をする。
「は、初めまして!某、真田幸村と申す!宜しく頼もう!」
「はじめまして、真田のマネージャーをしております、猿飛と申します。あ、こちら名刺です。以後お見知りおきを。」
我を忘れしどろもどろの旦那に内心苦笑しつつ、俺は旦那の分まで名刺を渡した。
「ふうん?あんたが噂の真田幸村か。」
「噂?」
政宗さんは旦那の質問には答えず、名刺を後ろに控えている強面のお兄さんに渡した。
「俺は政宗。こっちは俺のマネージャーの小十郎。宜しく。」
「片倉景綱です。宜しくお願いします。」
「…小十郎さんではなく?」
「はい、本名は景綱と申します。が、小十郎とお呼びください。」
「はあ。」
なんだかよくわからないがそれ以上追求はせず、政宗さんが腰を下ろしたのを見届けてから、旦那と俺も席に着いた。
それから、とりとめもない話を30分もしただろうか。政宗さんが来たのが待ち合わせの5分前だから、待ち合わせから25分経っている計算になる。
「…監督来ませんね。」
「そうだな。まあ、あいつのことだから。」
「?」
片倉さんの言葉に俺がそれはどんな意味かと尋ねようとしたとき、ようやく前田監督が訪れた。
「いやー、悪いねえ、待たせちまって!ちょっと可愛い子がいてさあ!」
のしのしと歩いてきた前田監督に、片倉さんが眼光鋭くドスの聞いた声で言った。
「言い訳になってねえぞ小僧。テメーの軽々しいナンパ如きで、よくも政宗様を待たせやがって。」
この30分で思ったけれど、片倉さんは政宗さん至上主義のようだ。
というか、監督に対してこの言葉の使い様、これは何なのだろう?
「片倉さんも、変わんないね。相変わらず怖いし。政宗は相変わらずキレイだよな!」
けれど一向に気にした様子もなく、前田監督はからからと笑うと、政宗さんを抱きしめた。
「お前も変わんねえよな。4年ぶり、か?監督になったんだな。」
「うん、まあ日本ではこれが初作品だけどね。」
元々は世界各国の放浪が趣味で、ステイ先のアメリカで映画の才能が開花し、去年大きな賞を取った前田監督は、確かに日本では初めての作品になる。それ以前は、知る人ぞ知る監督者だった。どうやらこの3人は昔からの知り合いらしい。しかし、一体どういう関係なのだろう。4年前といえば、政宗さんはまだモデルでもなかったはずだ。
勝手にぐるぐる考えていると、政宗さんたちとひとしきり邂逅を懐かしんだらしい前田監督が、ぐるりとこっちを見た。
「アンタ!」
突然指され、驚いた旦那が若干身を後ろに引いた。けれど少しも気にした様子はなく、前田監督が旦那の手を取った。
「アンタのこと、是非是非使いたかったんだ!まだ演技は荒削りだけどさ、迫力っていうか威勢が良いよね!オレ、前田慶次。よろしくな、真田幸村!」
「よ、宜しく頼もうす。」
前田監督の勢いに呑まれた旦那と、暫く前田監督はぶんぶんと音を立てながら握手を交わすと、俺の方へ顔を向けた。少し唖然としている俺の手を取り、やはり凄まじい勢いで手を振る。
「アンタはマネージャーさん?よろしく!」
「よ、よろしくお願いします。」
手が痛くなった。
その後は、恐れていたほど変ではな…いや、…ごほん…普通の打ち合わせだった。
映画「戦国乱世」のストーリーやキャラの設定、注意事項などを、前田監督はいつの間にか注文した苺パフェを頬張りながら、一通り説明した。
「一応、引き受けてくれるってことだったけど。どうだい?やれそうかい?」
「ha!俺を誰だと思ってやがる!」
生クリームを口端につけた前田監督に、政宗さんは当然と胸を張った。
「アンタは?」
「ぜ、是非やらせていただきたい。」
少し上ずった調子で告げられた旦那の言葉に、前田監督は嬉しそうに笑った。
「よし!じゃあ、よろしくな。」
前田監督と旦那の間で交わされた握手はさっき以上に勢いがよく、傍目から見ていてもかなり痛そうだった。