風はひたすらに強く、空は白かった。もたもたしていると雪に見舞われる、と天候に危機感を募らせる佐助の足も自然と速くなる。対して、未だ迷っているのか幸村の足は遅い。
「別に、旦那が責任感を感じて、わざわざ様子を行くこともないんだし。今更だけど、止めます?」
佐助が道中何度も放った問いを口にしてみれば、力なく首を左右に振る。佐助は胸中で溜め息を吐いた。
南の長曾我部が突然武田を攻めてきてから、二日が経った。海賊だから宝探しをしているという、何とも生暖かい理由で訪れた長曾我部は、言葉と見た目に反し礼儀正しかった。なので、別段、武田もそれほど迷惑をかけられたわけではない。襲撃は、試合のような模擬合戦として終った。
だから、幸村が伊達のことを長曾我部にもらしてしまったからといって、別段心配するようなことはないのだ。どうせ武田と大して変わらない戦をして、去っていくのだろうから。
(むしろ、あの大将だったらあの人と気があうかもしれないしね。)
佐助は後ろを行く幸村をちらりと見やり、再び胸中で小さく溜め息を吐いた。
心配なのは嘘ではないだろうが、それ以上に、幸村は政宗に会いたいだけなのだ。そして、同時に会うことを恐れている。あるいは、長曾我部の総大将だった眼帯の男に政宗と同じ気質を見て取って、政宗が元親に惚れてしまう危険性を感じている。
だからといって、幸村の手を放したのは政宗だが、そもそもその手を拒んだのは幸村だ。幸村が表立って嫉妬できるわけもない。
いずれにせよ難儀なものだ、と佐助は思った。
「わざわざ気にかけてもらって悪いな。」
「いえ、そのような!元々は某が。」
政宗の礼に慌てて首を横に振り否定する幸村の様子を、政宗が笑った。表面上は至って普通だが、政宗は元々佐助が推し量れるような人物ではないし、幸村もこの前の件でどうやら色々考えていることがわかった今となっては、実際はどんな感情を二人が抱いているのか、佐助には見当もつかなかった。
(難儀だねえ、ほんとう。)
佐助は幾度目かわからない溜め息を噛み殺し、片倉に差し出された熱い茶で暖を取りながら、蘭丸といつきに懐かれている元親を見た。厳つい顔に似合わず、あるいは兄貴気質に似つかわしく、どうやら子ども好きらしい。子ども二人を背にまとわりつかせて、それはとても楽しそうだった。
「なあなあ、全国回ってんだろ?何か面白い話しろよ!」
「そうは言ってもなあ。俺、そういうのは下手だからよお。別段、面白え話も思いつかねえし。」
髪を引っ張り催促する蘭丸の手を外しつつ、元親は煙管に葉を詰めていた政宗へと視線を向けた。
「そういうのはあいつにしてもらえよ。な?話、政宗は巧いだろ?」
「政宗は確かにうまいけど、あれは嘘とかはったりなんだって、濃姫様が言ってた。」
「…散々言ってくれるじゃねえか、蘭丸。」
蘭丸の言葉に政宗が不敵に笑い、煙管で灰皿の縁を数度叩いた。機嫌を損ねたとは思えないものの、平素よりは若干低い声色に、蘭丸が政宗を見た。
「だって、そういうんだったら政宗、何か話できるのかよ。いっつも忙しいっつって逃げるくせに。」
「マジで忙しいんだからしょうがねえだろ。」
「だったら今、武田と会ってるんだから仕事ないだろ。暇なんだったら、何か話しろよ。」
蘭丸と政宗の応酬を、いつきと元親が面白そうに眺めている。あの政宗のことだ。決して蘭丸の言葉に乗せられているわけではないだろうが、これは面白くなるかもしれない、と佐助も傍観に徹することに決め込んだ。隣の幸村も別段口を挟む様子ではないし、どうせ今日は宿を借りなければいけないのだ。暇は潰せた方がいい。
それに、なるべく佐助は幸村と政宗に会話をさせたくなかった。見た目は普通でも、二人の想いを知っている佐助にとっては、痛々しいものにしか映らないのだ。
「…どんな話がいいんだ?」
政宗の問いかけに、いつきが手を挙げて答えた。
「だったらおら、お姫様とか出てくるやつ!」
「姫なんてそんなんつまんねえよ。おれは、国盗りの話が良い!普通の話はやだ。」
「ok.真田、お前は?」
政宗に突然話を振られ幸村は戸惑い、はたと、今回真田主従が奥州へ訪れる切っ掛けになった元親を見て答えた。
「それでは、某は四国の話が。」
「I see.」
幸村の答えに政宗は思案するように顎に手を添え、しばらくしてから口を開いた。カコンと、煙管で小さく灰皿を叩く。
「そうだな、じゃあ。あるところに姫がいて、それから四国の大名の嫡男がいて、」
ちらりと元親を見やり、政宗は意地の悪い笑みを浮かべた。
「折角だし、どっちも隻眼っつーことにしよう。で、姫は北の出身で、…子息はそうだな。女になりたい願望があるとか、どうだ?」
「おい、俺を見ながら言うんじゃねえよ。」
呆れた様子で口を挟んだ元親を「shut up.」と黙らせ、政宗が人を食ったような顔で語った。
「姫は隻眼だから、政略結婚にも使えない。だからといって、育ててしまった今更になって間引くのも気が引ける。そういうわけで、北から遥々四国に捨てられるんだ。乳母と従者とを付けられて。一方子息の方も、最初こそ南の風習で女物の服を着せられ育てられてたんだが、戦が嫌だから女になりたい、なんて腑抜けたこと言い始めてな。当然親は呆れた。」
「それ、全然普通じゃねえじゃん。」
「お前が普通の話は嫌だっつったんだろ。」
蘭丸のもっともな意見を跳ね除け、政宗は可笑しそうに目を細めて笑った。
「まあここからはありきたりな展開なんだが、そう、どうやら何処其処に住んでる少女はどこぞの姫らしい。しかも隻眼だっていうんで、噂が気になって子息が姫を見に行くんだな。子息には他国の友人が、これまた大名の子息…とはいっても、他国に頻繁に来れる身分なんだから、長男じゃねえ。そうだな…次男。次男にしよう。その次男が、呆れた様子ではあったが子息に付いてきてくれた。そして、三人は友人になった。そりゃあ、面白おかしく暮らした。それまで隻眼を思い悩んで暗かった姫は、隻眼仲間が出来たことで生来の明るい性格を取り戻してきて、乳母と従者は大喜びだ。一方子息の方は、姫の従者に影響されて、突然男らしさに開眼する。次男の方は友人の変わりように驚きはしたが、女ものまとってる昔よりは断然マシだから素直に喜んだ。」
設定こそ滅茶苦茶だが、政宗が語っている話はどうやら内容的にはよくある御伽草子の類らしい。政宗ならばもっと破天荒でいて面白い話をするのではないかと思っただけに、政宗が定番の形にまとめようとしているらしい事実は、佐助には少し意外だった。
御伽草子や仮名草子において、尊い身分の人間が不遇な時代を送れば、当然、次に来るのは。
「ありきたりなんだったらさ、そこから何か復讐劇とか栄転でも始まるの?」
思わず出た佐助の言葉に、政宗が鷹揚に頷く。再び、カコンと灰皿が煙管で打ち付けられた。
「そうだな。復讐ってわけでもねえが、転進は当たりだな。まず、姫の実家の嫡子が死んで、他に兄弟もないから、しょうがねえってんで姫は嫡子として家に戻される。子息の方は女装しなくなったから、戦に出され、当主になるべく教育を施される。とくりゃ、次男にも何か欲しいな。…Ah―…姫と被るが、丁度次男の兄貴も死んでしまって、次男は国を継ぐことになる。これで全員、自分を見捨てた国を乗っ取ったことになるだろ?you see?」
自慢そうにそう締めくくった政宗は、これで話は終いだと、再び、カコンと煙管で音を立てた。
突然、身内の不幸の多発という不条理な展開で迎えられた話の結末に、蘭丸が顔を顰めて唸った。
「政宗、それうまくねえじゃん。」
「shut up.政事の嘘とかはったりと、こういうのは勝手が違うんだよ。」
頬を膨らませた蘭丸同様面白い話を期待していたらしいつきの頭を、元親が撫でながら苦笑した。
「それにしたって、他の話があったろうが。」
「姫で国盗りで四国。注文は全部clearしたはずだぜ?」
「そうはいっても、子供向けの話じゃねえだろ。」
そう言って元親は、不貞腐れる蘭丸を宥め透かし、部屋を去っていった。手に鞠を持っていたから、庭で遊ぶのだろう。教養の有り余る政宗らしく綺麗にしつられられた庭が、もしかしたら見るも無残なことになるかもしれない、と、先程の蘭丸の様子を思い浮かべながら、どうにも釈然としないまま、佐助は政宗に尋ねた。
「そのさ、」
「what?」
語り始める前に既に葉を詰めてあった煙管に火を点し、政宗が横目で佐助を見た。
「確かに国主にはなれたかもしれないけどさ、…その子達は幸せだったの?」
「さあ?まあ、普通の御伽草子とかだったら、最後は、末永く幸せに暮らしましたとさめでたしめでたしで終了だけどな。」
煙管に口を付け、心底どうでも良さそうに答えた政宗にそれ以上何も言えず、佐助は幸村へ、そして幸村の視線の先へと視線を移した。窓から臨める白い空からは、とうとう雪が降り始めていた。
「これくらいなら明日は未だ平気だろうが、吹雪く前に帰った方が良い。」
紫煙を吐きながらの政宗の言葉に、幸村が空を見上げたまま頷いた。
「そうでござるな。」
「面倒臭えけど、元親にもそう伝えねえとな。」
そう言い捨てて、政宗が大儀そうに立ち上がった。南の出で雪に不慣れな元親に、明日出航できるよう準備を済ませておくよう、今から伝えに行くのだろう。情報は早ければ早いほど良い。そういう点が黒ハバキのあの諜報力に通じるのだろうか、と忍隊の隊長として思いを馳せながら、佐助はふと気付いた事実に心中で盛大に溜め息を吐いた。
一見普通にやり取りをしているように見える政宗と幸村は、先程から一向に視線を合わそうとしていなかった。