第六話 地嵐


 「佐助よ、伊達は今どうなっておる。」
 「へ?伊達、ですか?」
 上杉の動向を報告し終え、信玄の執務室から今まさに退散しようとしていた佐助は、予期せぬ問いに忍らしかぬ声を上げた。
 信玄に問われはたと気付いたが、政宗が甲斐を去ってから一月半、今伊達はどうなっているのだろう。奥州に潜ませた草から、音沙汰は一切ない。部下たちの影も薄いし、下手に伊達を突いて主に嫌な顔をされても嫌なので気にしていなかったが、もしかしてこれは伊達に見付かり始末されてしまったのだろうか、と佐助は少し不安に思った。
 他国の忍なのだから始末されても致し方ないとはいえ、一人残らず口封じしているようであれば、伊達が武田相手に戦を狙っている可能性も出てくる。そうなれば、政宗の想いが嘘だと佐助には到底思えなかったが、先の幸村へのちょっかいも武田の撹乱の一部に過ぎないという結論へ至る。
 「謙信からの話では、この前は、どうやら陸奥が襲われて防衛するために帰還したようなのじゃが。」
 「はあ。」
 (敵なのに謙信と連絡取り合ってんですか、大将。ていうか忍の俺は何してんだろう。)
 佐助は己の不甲斐無さを自覚しつつ、ふと疑問を抱いた点について尋ねた。
 「陸奥って最北ですよね?伊達とか北条とかじゃなくて、一足飛びでそこなんですか?」
 「儂も不思議に思ってな。佐助、伊達の小娘に挨拶がてら様子を見てこんか?」
 脳裏に陸奥と奥州の地図を描き、次いで連絡のない部下たちの顔を思い浮かべ、佐助は頷いた。
 (無事でいてくれよ、お前ら…!)


 などと、佐助にしては久しぶりに重責を感じ、固い顔で奥州へとやって来たのだが。


 「あれ?隊長、どうしたんですかー。」
 「それはこっちの質問だ。」
 のほほんとした声で部下たちに出迎えられ、佐助は怒りに拳を固めた。己の部下とはいえ、殴り倒してやりたい。部下たちのことをすっかり忘れていた佐助が言えた義理ではないことは重々承知だが、どれだけこの二日心配したと思っているのか。
 慌てて来たから随分負担をかけてしまった、と飼っている烏に心の中で謝罪しつつ、佐助は部下を見やった。
 「何でこんなとこで子どもと遊んでんだか教えてもらいたいね。それ、お前たちの子ども?」
 「やだなー、俺の子どもなわけないじゃないですか。」
 けらけらと笑い声を上げ、部下は両腕に巻きつけた子どもたちを持ち上げ、佐助に見せた。流石に子ども二人は重いのか、動作は酷く鈍い。部下に持ち上げられ、楽しそうに子どもたちが歓声を上げた。
 部下が真面目な顔で言った。
 「俺の子どもがこんな大きかったらヤバイですし、ていうかここ米沢城ですよ?」
 「…。」
 あまりに部下が真剣な顔をしてその事実を告げたので、佐助は、だったらなんでお前はそんなとこで子どもと遊んでんだよ、と突っ込むわけにはいかなくなった。言いたいことを言えない己の咽喉を掻き毟りたい。
 そうでなくとも。
 「hey、話は済んだか?」
 それまで佐助と部下たちの様子を可笑しそうに見つめていた政宗の言葉に、部下がはっと気付いたように頷いた。
 「あ、政宗様。申し訳ありません、はい、大丈夫です。」
 様付けで敵の総大将を呼んでいる部下を、小一時間ほど問い詰めたい。
 「…何で、うちの部下が伊達で働いてんだか、教えてもらえませんかね。良ければ。」
 「薄給で生活もままならねえっていうから、秋口からbaby-sitterで雇ってやってんだよ。」
 (俺様だって薄給だよ!)
 勿論そんな文句を見当違いの相手に言えるはずもなく、佐助は帰ったら幸村に言ってやろうと固く決意した。
 「…それで、その子たちは?」
 伊達の情報がここ二ヵ月あまり一切更新されなかったとはいえ、伊達にこの年頃の子どもはいなかったはずだ。ちらりと子どもに視線を投げかけつつ問えば、少年の方が佐助を睨んだ。少女が少年を窘める。
 政宗はにやりと笑みを浮かべると、手にした扇子で少女少年の順に指して言った。
 「陸奥の巫女に、織田の小姓だ。」
 「は?」
 わけがわからず素で返せば、織田の小姓と呼ばれた少年が鼻で笑った。
 「お前忍のくせにそんなのもわかんねえのかよ。あったま悪ぃんじゃねえの?」
 「こら、そげなこと言ったら悪いべ。」
 「何だよ、本当のことだろ。」
 腕にぶら下がる子どもたちの会話に、部下が慣れた様子で苦笑している。
 「え?」
 「だから、俺が平定した陸奥で一揆起こしてたいつきと、そこに攻め込んだ征天魔王の小姓の森蘭丸だ。」
 何故か自慢そうに告げる政宗を、ただ黙って佐助は見詰めていた。説明をされたが、それこそわけがわからなかった。


 その後、政宗に詳しく説明を受けたところによれば、暑いならば寒いところに攻め入れば良いじゃないという発想で織田一家が陸奥に避暑がてら攻めて来たらしい。伊達お抱えの忍集団黒ハバキによってもたらされた情報で、伊達主従が甲斐から奥州へ引き返したときには、年頃が近いせいもあってか既に子ども二人は友情を築いており、子どもの微笑ましい様子に触発され、ついでに伊達と織田とで不可侵条約などを結んだそうな。そろそろ寒くなって来たので織田夫婦は帰ったが、蘭丸は未知なる大雪の冬というものを体験するため、いつきと共に伊達に滞在中である、と。
 「そんなことがあってたまるんですか。」
 「実際あったんだからしょうがねえだろ。」
 執務室で机に向かって何かを書きながら答えた政宗を、佐助は呆れた様子で眺めた。もともと偏った常識ではあったかもしれないが、政宗と出会ってから、己の常識が根底から崩壊していくのがわかった。
「それにしても、伊達にも忍集団なんてあったんだ。戦場で会ったことなかったけど。」
 「うちの忍は戦忍じゃなくて、いたって普通の忍だからな。戦には出ない。諜報が主だ。」
 「…良いなあ。うちは、諜報なんて…。」
 情報を回しもせずあまつさえ敵の情けに縋って生活している部下たちの様子を思い浮かべ、佐助が涙混じりに答えれば、佐助の予想では笑うと思われた政宗は、意外にも苦々しく言った。
 「別に良いことじゃない。うちは周りが親族だらけで、武力より諜報戦で治めなきゃならなかった。それだけのことだ。…武田はそういうのねえだろ?」
 「まあ、ないですけど。」
 政宗の様子を不思議に思いながら佐助が言葉を返すと、政宗はいつもの不敵な笑みを浮かべ直し、今まで向かい合っていた紙を折りたたんだものを佐助に投げつけた。
 表を見れば、生乾きの墨で真田幸村と記してある。
 「…これは?」
 政宗から幸村への恋文であるなら、幸村の心情を知らされている佐助的には対応に困るところだ。尋ねた佐助に、政宗が尋ね返した。
 「中身が知りたいか?」
 「そりゃあ、まあ、気にならないといえば嘘に。」
 「…うちの部下は有能でな。色々な情報を持ってきてくれるんだ。」
 突然切り替わった話についていけず佐助が視線で問えば、政宗は続けた。
 「家に縛られて抜け出せないのは俺も同じだ。だったら真田に強いれるわけもない。You see?」
 政宗は、驚愕に身体を硬くする佐助の手の中の書を見やり、先程の問いの答えを告げた。
 「真田に、もうちょっかい出さねえから安心しろ、出来ればこれからも好敵手でいて欲しい、と書いてある。」
 向けられた政宗の顔は表情を殺ぎ落としたように綺麗で、佐助は何を言うべきなのか言葉に詰まった。


 「理解してくれとは言わないが、政宗様を悪く思わないで欲しい。」
 政宗からの書状を手に米沢城を去ろうとした佐助に声をかけたのは、片倉だった。
 「…頑張るけど、良くは思えないよ。だって、さきに手を出してきたのはあの人だ。……せめて最後まで責任とって貰いたかったね。」
 政宗が強引とも思える強さで心から手を伸ばせば、今でさえ揺らいでいる幸村はそう遠くない未来に陥落しただろう。真田にとってそれが良いことか佐助にはわかりかねたが、幸村にとっては、その方が幸せだろうと思えた。
 「確かに政宗様は自ら手を離した。だがそれは、政宗様は伊達政宗としてではなく、政宗様本人として真田を所望し、」
 相対する片倉の瞳は底知れぬほど、深い。鉄面眉とは反対に、瞳に浮かぶ感情はありありと片倉の心情を伝えた。
 「真田に拒絶されることを恐れたからだ。遊びで手を出したわけでも、家のために諦めたわけでもない。」
 ふと脳裏に、政宗が甲斐に訪れた日に見せたあの柔らかい瞳が浮かんだ。
 「でもそれって、幸せなの?」
 口をついて出た問いは、幸村の決意を耳にしたときに感じたものと同じだった。訊くべきならば、幸村か政宗だ。相手が違う。
 佐助の問いに、片倉は視線を逸らした。片倉に納得していない様子を見て取り、更に佐助が言葉を重ねる前に、片倉が小さく嘆息交じりに言った。
 「悪いが、俺にはわからんから答えられないな。」
 それは会話の終了の合図だった。
 佐助はしばらく去っていく片倉の背を睨みつけていたが、込み上げた台詞を飲み込むと、米沢城の門を潜った。










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