畳の上に行儀良く扇形に並べられた書簡の意味が、正直、佐助はわからなかった。
ふと、元々自らの仕える武田主従の殴り愛も意味不明だが、そういえば目の前の人物と出会ってから、わけのわからない事態に遭遇する機会が増えた気がするとも思い、佐助は痛む頭を押さえ、それでもわからないなんて言ったら理解できない自分が忍として能力不足なんだとか酷評されて終るのだろう、と涙を呑み、ひとまず書簡を1冊手にとってみた。パラパラと捲ってみると、内容は大体佐助が予想した通りのものだったが、尚更わけがわからなかった。
佐助はパタンと書簡を閉じると、諦めて、政宗に状況を尋ねてみることにした。
「あの、質問なんですが、これ何?」
「見てわかんねえか、春画に決まってるだろ。俺の厳選したbest10だ」
Best10とやらの意味が佐助には図りかねたが、厳選と言っているし、上位から何冊か選びました、というような意味だろう。それはわかったが。しかし。だからどうして佐助がそのようなものを政宗から提示されなければならないのか、意味不明だ。
手にした扇子をバサリと広げ、何故か自慢気に踏ん反り返っている政宗に佐助は言った。
「俺様が春画を貰う意味がわかんないんですけど。」
「誰もテメエにやるだなんて言ってねえだろ。テメエから幸村に渡してついでに何だったら意味を教えとけ。」
政宗の言葉に、それこそ意味がわからないと佐助は首を捻った。
蝶よ花よと育てられた箱入り娘の何も知らないお姫様が、嫁入り道具の春画でそういう勉強を乳母から教わるというのは耳にしたことがある。
しかし、佐助の主は男だ。というか、嫁候補からそんな嫁入り道具を賜る婿があってたまるか。大体、佐助は乳母じゃない。政宗には幸村の乳母だと認識されているのだろうか。
直接政宗に質すだけの勇気はない佐助はひとしきり心の中で文句を言い連ね、はたと、ある事実に気付き政宗を見た。
「ていうかこの前水、」
思わず口をついて出た言葉が、一月前、水場の出来事を覗き見ていたことを意味する事実に思い当たり、佐助は慌てて飲み込んだ。
政宗がつまらなさそうにパチンと扇子を閉じた。
「猿飛。テメエ、」
「えっ、いやっ、うん。そんなことないですよ全然!」
「途中から気配がしなくなったと思ってたが、初めしか見てなかったのか。」
「見てな……………え?」
必死に両手を左右に振り否定の意を表明していた佐助は、予想しない政宗の言葉に絶句した。
「あいつもな…可愛いって言えば可愛いんだが。」
一月前のことを思い出したのか、政宗の瞳に不穏な色が過ぎる。
あのとき己の存在に気付いていたのか、とか何よりも。訊いてよいものか迷ったものの、好奇心に耐えられず、恐る恐る佐助は尋ねた。
「その、…え?あの…。あの後、何もなかったの?」
「どこまでテメエが見てたかにもよるが、」
政宗はいったん言葉を切り、佐助から顔を逸らすと、政宗にしては珍しく苦虫を潰したような顔をした。
「kissして抱きついて、それだけだ。テメエのとこの情操教育はどうなってやがる。」
「いや、教育のことに関しては俺様もこの前疑問を抱いたけど…kissって?」
「接吻のことだ。その後抱きついたくせに何もしやがらねえ。初夜まで取っておくとかそういうtypeなのかとも思ったが、あれは違うだろ。」
「…いやでも旦那は古風な人だし。」
「ようやく、ようやくだぞ?俺が半年かけてようやくあそこまで漕ぎつけたってのに、何なんだよ!」
今まで、佐助ももうてっきり十歩も二十歩も二人の関係が進展してしまったのだと勘違いするくらいそんな素振りを少しも見せなかったにもかかわらず、その実よほど頭に来ていたのか、政宗の手の中で握り締められた扇子が音を立てて真っ二つに折れた。
破壊音でようやく気付いたのか、政宗が気を取り直して言葉を続けた。
「まあ夏で俺もだるかったしアイツも体温熱いからそれこそ接触したくねえし別に良かったんだけどな。」
「…本当スミマセン。」
主のことであって別に己のことではないが、思わず佐助は政宗に対して土下座がしたくなった。穴があったら入りたい、と顔を覆う佐助を見やる政宗の隻眼が眇められた。
「なあ、猿飛。」
「え?何ですか。」
「俺、今まで男として生きてきたからさっぱりわかんねえんだが、そんな、女の魅力としては悪い線行ってないよな?確かに隻眼で見目悪いかもしれねえけど。」
いつの間にか畳に手を着いた政宗にいざリ寄られ、佐助はうろたえた。蛇に睨まれた蛙、というより虎に捕食される寸前の兎は恐らくこんな気持ちなんだろう、と獰猛に光る政宗の隻眼に竦み上がるしかない。政宗のことは美人だと思うが、正直、色気だとか状況が美味しいだとかいう以前に佐助が感じるのは純粋な恐怖だった。
そのとき。
「伊達殿、よ」
不躾に襖が開かれた。
襖を開けた幸村、押し倒された佐助、迫る政宗の3者の間でしばし沈黙が流れた。
初めに動揺から立ち直ったのは、幸村だった。戦場ですら見かけたことがないほどの猛烈な勢いで、踵を返し走り去った。
「ちょ、だっ、旦那!」
佐助の呼び声も遅く、気付いたときには既に幸村の姿はそこになかった。
無言のまま政宗は身を起こすと、窓枠の向こうに視線を投げかけつつ、何かを思うように折れた扇子で数回床を叩き、小さな声で呟いた。
「…まずったな。」
「まずったなじゃないよ俺様を巻き込まないで!」
佐助が半泣きで叫び声を上げると同時に、まるで謀ったかのようにタイミングよく襖が叩かれ、再び開かれた。しかし顔を覗かせたのは幸村ではなく、政宗の腹心の部下の片倉だった。
「政宗様、お取り込みのところ大変申し訳ないのですが、火急の案件が。」
「火急の…?Ok.今行く。」
このとき心底嫌な予感がしたのは、決して佐助の勘違いではなかった。そう間も無い後になって、本気でこのとき佐助は逃げ出さなかったことを後悔することになる。
片倉に乞われるまま政宗は立ち上がり、肩越しに軽い調子で佐助に告げた。
「じゃあそういうわけだから悪いが猿飛、真田のこと頼んだ。」
「え?!ちょっ!何それ?!!」
佐助の悲鳴を綺麗に流し、無情にも襖が閉じられ、足早に政宗の気配が去っていく。
「…嘘だろぉ。」
未だ行儀よく並んでいる春画と共に残された佐助は、予測しようにも予測しようのない出来事の末に待ち受けていた不測の現状に半泣きで呟いた。
珍しく自室に籠もり、部屋の隅で膝を抱えている幸村から鼻を啜る音が聞こえた。最近では吹いたり鼻血を垂らしたり半泣きだったりすることが多々あったが、それでも主のそんな様子に慣れていない佐助はうろたえながら弁明を口にした。
「だから旦那あれは誤解で。」
「ご、…かいも何もあるまい。」
「いやあのですね。」
とはいえあの状況に至った理由を弁明するには全部最初から説明する他なく、そうなると幸村の情操教育は避けては通れない道である。
(何でったってあんなときに限って旦那は来るのさ。)
まさか幸村が政宗に呼ばれてあのときあの場所に訪れた、つまりは全て政宗の策略だったなど露知らぬ佐助は、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。