いつまで打ち合っているのだろう。
限がないと佐助は頭の片隅で考え、すぐさまその考えを振り払った。目の前を刀が走る。真っ向からの対決は佐助の臨むところではなかった。所詮佐助は忍、竜の右目として名高い片倉と力比べなど及ぶべくもない。
そもそも、何故このようなところで真田伊達それぞれの主従が対峙をしているのか。場所は北条西寄りの国境である。北条に用事があったとしても伊達が通るなら北だろう。甲斐側の西を通る必要性はないはずだ。大体、出会ったからといって今は戦時中でもないのだし、確かに黙って見過ごすわけにはいかないかもしれないが、戦う必要性はない。
(本当、好戦的で参っちゃうよ。旦那もあの人も片倉さんも。)
再び迫る刀を避け遠くへ跳び退き、跳び際にくないを連射しながら佐助は思った。くないは当然のように、片倉によって弾き返された。
もう何度も、斬り込まれては引き、引いてはくないを投げる攻防を繰り返している。
それは、佐助の視界の端で幾度目になるかわからない対決をしている幸村と政宗も同じだった。赤と青がぶつかる。あれでその実奥州筆頭は女だというのだから、全く、世の中というものはわからないものだ。
馬鹿力の幸村に競り勝つ政宗が女だと知ったとき、思わず佐助は茶を吹いた。
懐かしい想い出に浸る間も無く、佐助の元へ片倉が迫る。
そのとき。
ひらりと刀を避けた佐助は忍に似つかわしくなく、信じられない光景に目を剥いた。
すぐさまガシャンという金属の打ち付ける音が響いた。
「旦那っ!」
地面へ背から勢いよく倒れこんだ主が衝撃に小さく呻いた。慌てて駆け寄ろうとするが、片倉が刀を構え佐助を阻む。
(信じらんねえ!)
じりじりと周囲に目を走らせながら、佐助は舌打ちをした。あまりに想定外だ。幾らなんでも、そんな幾らなんでも。互いに獲物を交差させ、どちらが競り負けるか力で拮抗しているそのときに、足払いをかけ転ばせるだなんて。どこぞの小島の剣豪小僧がそんな戦い方をすると伝え聞いていたが、そんな汚い戦い方をする武将がいるなど佐助は思っていなかった。
それは地面に倒された幸村も同様らしく、赤褐色の瞳に怒りが浮かんだ。
「…伊達政宗!」
いつの間に腰を落ち着けたのか、幸村の上に跨る政宗は笑った。
「悪ぃな、真田幸村。だが、ここは合戦じゃねえし、俺は一騎討ちがしたいわけでもねえんだ。」
政宗は睨みつける幸村を気にも留めず、勝ち誇ったように鼻を鳴らして笑った。足は如才なく幸村の手を踏みつけている。蹴り飛ばされた槍は遠い。
現在政宗は刀を手にしてはいないが、だからといって安全なわけではない。佐助がいつ飛び出し幸村を救うか機会を窺う中、政宗は幸村の頭上に片腕をつき屈みこんだ。互いの顔は触れそうなほど近い。まるで恋人たちの情事を見せ付けられているような気分だ。
政宗の行動に呆気に取られた佐助の表情があまりに無残だったのか、片倉が刀の切っ先を下げ、後ろを振り仰いだ。そのとき無表情であるにもかかわらず、何故か呆れと諦めの色を、佐助は片倉に見て取った。
「ふぅん?良い体してんじゃねえか。」
従者たちの思いなど露知らず。あるいは知っていて流しているのかもしれない。政宗は可笑しそうに笑みを貼り付けたまま、つ、と幸村の剥き出しの腹に空いていた手の指を這わせた。
佐助の頭を過ぎるのは、ああだから腹冷えるから服着ろって言ってたじゃない大体戦場で急所丸出しでどうすんのよ昔は雷様にヘソ取られるって隠してた旦那がさ隠してないからそれこそ雷属性に取られちゃうじゃん、などといった取りとめもない脱線した思考の群れだ。
(走馬灯ってこんなのかな。)
佐助が逃避している間にも、政宗のセクハラというより他ない行為は続いた。流石に状況を悟ったのか、幸村の顔は茹でたこのように赤い。
「ままっまままままままま!」
極度の混乱に陥り破廉恥という言葉すら出てこない幸村を笑い、政宗は幸村の顎を指で仰向けさせた。そうして浮かべた笑みはそれまでの快活なものとは違い、嫣然妖艶といった類のものだった。
「そういう目で見てなかったが、アンタがいたじゃねえか。なあ、小十郎?」
「…政宗様、…しかしそいつは武田の武将ですが。」
「徳川も武田も大して変わんねえだろ。こいつの兄貴の義母になるっつーのも面白そうだったが。」
憤死寸前の幸村は、もしかしたら頭に血が上りすぎて鼻血を吹くかもしれないが、命の危険はなさそうなので今はひとまず置いておくとして。
目が点のまま伊達主従の台詞を聞いていた佐助は、恐る恐る手を挙げた。
「あのー、…その。ちょっと質問いいですか?」
「Ok.」
「あのですね。旦那たちは一体、その。何の話をしてらっしゃるので…?」
佐助の問いに、それまで屈みこんでいた政宗は幸村の腹に手を付き上半身を立たせると、存外長い睫毛を瞬かせた。今まで悪鬼羅刹のような形相ばかり目に付いていたが、こうして見てみれば、政宗が際立った美貌の持ち主であることがわかる。
政宗はその整った顔に呆れを滲ませ、佐助に尋ね返した。
「武田の忍は、そんなんで仕事やってけんのか?理解力が乏しいんじゃねえの?」
「いや、あの。お言葉ですが状況が突飛過ぎて俺様の常識じゃ計り知れないっていうか。」
「ふぅん。」
それこそ面白そうに笑った政宗に、佐助は己が何か失敗をやらかしたのかと肝を冷やした。嫌な汗が背を流れる。
固い笑みを貼り付けた佐助と目を回している幸村を交互に見やり、政宗は宣言した。
「真田幸村を、伊達の婿に貰おうと思ってな。You see?」
いや、全然you seeじゃないです。
何度も目の前で使われれば異国語といえども大体の意味くらいわかるが、何を言ってるのか理解できない。乞われた当の本人の幸村は、あまりの衝撃に何かが口からはみ出ている。魂じゃなければいいが。
「な?俺のものになれよ、真田幸村。」
真田主従ととうとう溜め息を吐いた片倉の様子を意に介さず、政宗は幸村の唇に口付けを落とした。軽い一度きりの口付けとはいえ、目に毒なほど甘ったるい雰囲気を漂わせたそれに佐助が目を覆う前に、ゴフリと幸村が吹いた。
(興醒めしてくれればいいのに。)
でなければ純情すぎる主のこと、こんな見ていて居た堪れない妖女相手では破廉恥と叫ぶ前に取り殺されてしまう。
佐助はちらりと窺ってみたが、政宗は勿論佐助の希望などに添う様子はまるで見えない。からりと笑い、立ち上がった。
「You’re so cute!小十郎、今回は引くぞ。元々、帰るとこだったんだ。」
「はっ。」
今回は、という単語に引っ掛かった佐助が青褪める中、政宗が止めを刺した。
「See you later!またな。」
振られた手に振り返す者はいなかったが、気にせず政宗が放り出していた馬に跨り去っていく。
その後を追う片倉が去り際、ちらりと、佐助を初めて同情の目で見た。
どのくらい時が過ぎ去ったのか。夕日が赤々と周囲を照らし、その眩しさにはたと佐助は我に返った。
「………お館さまになんて報告しよっか。」
立ち尽くす佐助の隣には、気絶して起きる気配の全くない幸村が転がっている。
佐助は生まれて初めて、どうしようもなく己が無力であることを悟った。