第六話


 明るい良夜だった。空では鬱金の月が微笑し、密やかな笑声が光となって地上に降り注いでいた。次第に迫る冬の足音に、山城を取り囲む木々は黄色く色づいていた。全てが黄金に輝いていた。
 軍神は部下の客将を気に入っているらしい。慶次との約束を果たすべく越後の地を踏んだ三成は、慶次の話に耳を傾けながらそう思った。上杉における慶次の処遇は、稀に見る厚遇だった。三成たちが案内された部屋は慶次の住む離れの一角だったが、大きく取られた障子から覗く景色は風光明媚であり、床の間の飾りからも趣味の良さも窺えた。後者はまだしも、前者は城主の好意がなければありえないことだ。
 隣で越後の銘酒と肴に舌鼓を打つ家康も同様のことを思っているらしく、慶次の昔話に相槌を打ちながらいたく感心していた。三成は酒で満ちた杯を傾けながら、ちらりと視界の端で、人懐っこく笑う家康を窺った。ぽつりぽつりと大仰な身振り手振りと笑い混じりに語られる秀吉との逸話は、慶次と家康の性格上、賑賑しい一面、やはり一抹の侘しさを拭えない閑談だった。口下手な三成ではこうまで巧く聞き出すことは出来なかっただろう。その点、三成は家康の同行を内心感謝してもいたが、何故こうまでして家康が己に執着してみせるのか解せなくもあった。
 関ヶ原の決戦の後、三成は旧豊臣軍を解散していた。慶次曰く「大喧嘩」の末家康に勝利した手前、徳川の天下統一に手を貸すつもりもなければ、己で天下を取る野望ももたなかった。生真面目な三成は言を違えず、他の誰でもない、秀吉を斃した政宗が治める日ノ下を望んでいた。拳を交えたことで家康の理想を理解したとはいえ、到底現実的とは思われないのも、三成が徳川の天下を拒んだ理由の一端だった。
 そのため、家康が三成に肩入れする必要などもはやないように思われるのだが、家康に言わせればそうではないらしい。理由を問えば、あっけらかんと何の衒いもなく「友だから」という。三成は閉口した。何と返して断念させれば良いのか良案も浮かばなかった。元より、三成自身家康の同伴をそこまで拒むつもりがなかったように思う。正直に言えば、秀吉を失い復讐すらも捨てた新たな生に三成は戸惑っていた。それゆえ、気の置けない仲である家康の同行は三成の望むところでもあった。
 慶次はそのような三成と家康の関係を本能で感知していたらしい。三成などよりよほど家康の理想を理解し、同時に、寄り近い立場から民草のために為すべきことを承知している慶次のことだ。絆を深めることを尊びながらも、家康が為すべきは他にあると考えている節で、急に話題を転じた。
 「それで、三成はこれからどうするのさ。何か予定でもあるのかい?」
 矛先を向けられた三成は考え込んだ。慶次を訪ねて亡き主君を知る以外にしたいことも取り分けてなかった。口より雄弁な態度で示す三成に、慶次が提案した。
 「だったら、奥羽に行ってみたらどう?あんただったら政宗も歓迎するだろうし、今のうちから伊達の天下を見ておくのも悪くはないと思うよ。」
 「なるほど、流石は慶次だ。良いことを言う。ワシも慶次の意見に同感だ、三成。」
 愉しい雰囲気に流されて酒を過ごしたのだろう。押し寄せる睡魔に負けまいとしきりに目を擦っている家康も、欠伸まじりに頷いた。三成は呻いた。
 「だが、私は…。」
 確かに、三成は政宗の天下を望んではいたが、政宗との縁自体は関ヶ原で切れたものと捉えていた。復仇のためとはいえ、軟禁し凌辱した過去もある。顔を合わせられるような立場でもなし、二目と見ることはあるまいと思っていた。しかし、反面、三成は政宗の顔を見たいという思いにも駆られていた。三成にとって政宗は、言葉にしようのない価値ある存在だった。
 胸中でせめぎあう感情の奔流に言葉を濁す三成の肩を、乱暴に叩きながら慶次が笑った。
 「まだ悩んでるのかい?悩むのも悪くはないと思うけど、死に花なんてヤボヤボ、生きて楽しまねえと。」
 先の三成の自暴自棄を指しているのだろう。急に慶次の声が真剣味を帯びた。
 「死んじまったらおしまいだ、分かるだろ?」
 三成は返答に窮した。今の三成には、慶次の言うことが十二分に理解出来た。亡き主への軽侮を晴らし政宗を手にかけた後、唯一の安寧をもたらすと信じていた死も、所詮は終わりでしかない。三成には死を選択するよりも、泥を啜ってでも生き、常に胸に抱いていた主の像と世間での評価の齟齬を正すことこそ重要に思われた。
 ふいに沈黙が下りた。起きていれば状況を打破したであろう家康は、今や横になり寝息を立てていた。重苦しい空気を払い除けるように、慶次が身を乗り出して尋ねた。
 「あんた、好きな人はいないのかい?伊達男に磨きをかけるには恋が一番の薬だよ。」
 苦肉の策で無理矢理明るい話題に転じたが、恋に無縁と見える三成がすぐさま否定しないので、慶次も次第に興じてきたのだろう。慶次は目を輝かせ、三成の脇を肘で突いた。
 「どっかにいい娘はいないかい?」
 悪乗りして茶化す慶次に、三成は閉口した。まさか慶次の問いかけを受けて政宗の顔が脳裏を過ぎったなど、それも、関ヶ原で初めて目にすることになった笑顔だったなどと、口に出来るはずがなかった。口ごもる三成に慶次は頬をだらしなく緩めた。慶次の屈託ない目が、アンタも隅に置けないねと笑いかけていた。三成は不満から口をへの字に曲げた。
 「…そういう貴様はどうだ?」
 予想してしかるべきだろうに、慶次にとってはとんだ意趣返しだったらしい。慶次は幾度か目を瞬かせてから、悲しそうに微笑んだ。
 「俺は…今はいないよ、昔はいたけどね…。」
 一瞬、慶次は胸に去来した過去を懐かしむ眼をした。悔恨混じりの真剣な眼差しだった。
 「惚れた女は死んでも守れ。それが男の役目だ。」
 有無を言わせない口調だった。理由を問うべきか判断しかねる三成の眼前で、慶次が障子の外へ視線を向けた。空では、奥州の竜を思わせる月が微笑を湛えていた。ぽつりと慶次が呟いた。
 「もう冬になる。どうせ訪れるんだったら、往来が途絶える前がいいよ。」


 辿り着いた奥羽では一足早い雪が降り始めていた。視界は薄く積もった雪で白く染まっていた。
 無言で歩き続けていた三成は、視界に城下町を見止め、ふいに立ち止まった。徒歩である。三成が馬を断ったのは、これ以上慶次に借りを作りたくなかったからだが、この天候では断っておいて正解だろう。今の三成には、馬に心を裂けるほど余裕がなかった。胸中では常に政宗の最後の笑声が木霊していた。
 三成は溜め息まじりに頭を振ると、再び城下町を目指した。
 まるで性質の悪い熱病だった。気付けば、三成は政宗に想いを馳せていた。何故と問うても答が出ぬので、三成は答を探すのを止めた。いずれにせよ、政宗に会えばわかるだろう。
 身体は芯から冷え切っていた。踏み出すたび沈んでいく足が、三成の決心を鈍らせた。重く圧し掛かる灰の空は、三成の心を表しているかのようだ。だが、三成は無理矢理にでも足を前へ進めた。関ヶ原を機に一度は凪いだはずの心は、今や烈しく逆巻いていた。三成は白い息を吐いた。三成自身、どうしたいのか判然としなかった。
 やがて城下町が三成の目前に迫ったとき、固く閉ざされていた大門が開かれ始めた。三成は眉をひそめた。城下街正面に位置する大門が、旅人の往来に使用されることは滅多にない。刀の柄へ手を添えて警戒する三成の許へ雑音が届いた。物々しい空気が漂った。しかし、戦装束に身を固めた群れの中に蒼を認めた三成は肩の力を抜いた。
 「Ah―アンタどうした、観光かい?」
 「それはこちらの台詞だ。貴様こそ一体何をしている。」
 三成は剣呑な眼差しで、一人歩み寄って来た政宗を睨みつけた。一団は合戦着を着こんでいるので、何事か問題が生じたのだろう。問題が発生したならば、早期に対処せねばならぬことは三成にとてわかる。だが、天下が再び騒乱に呑まれた今、国主が数名だけを伴い外出するなど以ての外だ。大体、こういうときこそ窘めるべき立場の小十郎は何をしているのか。
 「貴様、秀吉様の明日を奪った罪を忘れ、軽挙に及ぶつもりか。」
 眦を吊り上げて憤る三成へ、政宗は苦笑交じりに肩を竦めた。
 「仕方がねえだろ。誰が扇動したんだかわからねえが、一揆が起きてんだ。」
 「そのような些事、部下へ当たらせれば良い。貴様には天下を取るという責務があるのだ。それを優先させろ。」
 「アンタ、さっぱりわかってねえな…。一揆は民を混乱させ、不安がらせる。俺が片付けなくてどうする?」
 政宗の言葉を解せず、三成は困惑した。一刻も速く一揆を鎮圧するために双竜が出陣するというのであれば、まだ話が呑み込めた。政宗の実力ならば、農民風情の一揆など赤子の手を捻るようなものだろう。
 しかし、政宗は民のためだといった。
 眉間にしわを寄せる三成を、政宗は値踏みするように眺め回した。何もかも見透かす眼差しだった。思わずたじろぎそうになる三成へ、政宗が顎をしゃくってみせた。
 「城で待ってもらっても良いが、どうせ暇だろ。アンタも付いて来るか?」
 三成は一瞬躊躇してから、首肯した。慶次や家康が口を揃えて勧めた政宗の天下とは、三成の理解が及ばない部分にこそ真髄があると思われた。それゆえ、問いかけられるまでもなく同行するつもりではあったが。三成は固く口元を引き締めた。政宗に問われた瞬間、どういうわけか動揺を覚えていた。
 五間ほどの距離では、小十郎が二人のやりとりを怪訝そうな面持ちで探っていた。それは三成の一方的な片意地であったのかもしれない。だが、何と言われようと、三成は己ですら整理のつかない感情を、第三者の小十郎などに気取られたくなかった。生真面目に頷いてみせた三成へ、満足気に政宗が笑みをこぼした。
 「Ok、そうと決まりゃ早い方が良い。アンタの馬を用意しねえとな。」
 そこでふいに口を閉ざし、政宗は空を睨んだ。つられて見上げた三成は、静々と降り始めた白を眼にした。
 「…積もらねば良いが。」
 ぽつりと小十郎が呟いた。


 城下から何里か離れた山間で、雪の降りしきる中、身の丈ほどもある巨大な槌を持った一人の少女が天を睨んでいた。農民だろう、少女は粗末な藁で編んだ衣をまとっていた。常は熟れた林檎のように赤い頬も、絶望に白く染まっていた。気負って辛うじて立ち続ける少女は、ともすれば涙の零れ落ちそうな眼を伏せて、憤りと悲痛が綯い交ぜになった声で呟いた。
 「なんでおらたちをいじめるだか…?いじめられて当然なんだべか…?おらたちだって同じ人間だ…。」
 少女の頬を雪が伝い流れた。傍にいた青年が労しげに、肩を落とす少女に問うた。
 「大丈夫かいつきちゃん、何だか辛そうだべ…。」
 「そんなことねえ!おら元気だ!悪いおさむらいがいなくなるまで戦うだよ!」
 いつきと呼ばれた少女に否定されて、青年は開きかけていた口を噤んだ。いつきが見せる陽気さが空元気にすぎないことは、その場の誰もがわかっていた。一人の無垢な少女が天真爛漫で居続けるには、あまりにも天下で血が流れすぎていた。だが、いつきを農民解放の象徴として担ぎあげた青年たちがとやかく言えるはずもなかった。
 気詰まりな沈黙が漂う中、農民たちの背後から、一目で値が張るとわかる衣に身を包んだ男が姿を現した。屈強な傭兵を従えた男は余裕の表情を浮かべ、奇妙な温さを覚えさせる蔑視をいつきへと向けた。
 「静かだな…モノを想うにはこの上ない時間だ。」
 わっと歓声が上がった。松永久秀の登場に湧き上がる中、いつきは迷い子のような寄る辺ない眼で周囲を見回した。仲間たちは気が強くなっているに違いなかった。これで勝てる、これで自由を手に出来ると興奮に眼を輝かせていた。なにしろ、武家の後ろ盾を得たのだ。狂騒の呈だった。
 しかし、周囲の喧騒とは裏腹に、いつきは猜疑心を燻ぶらせていた。口には出せぬ疑心だった。なぜ、皆は、武家に抗うため武家に与する現実に矛盾を覚えないのだろう。加えて、いつきには久秀が常に湛える微笑も気にかかっていた。いつきはどうしてもそれが笑顔とは思えなかった。
 いつきの憂い顔を一瞥した久秀は本心からの笑みを浮かべた。嘲笑だった。久秀とて、伊達に年を重ねているわけではない。むしろ人並みに以上に読心に長け、特に人の心の奥深く睡らされた闇ともなれば、悪魔もかくやという恐るべき慧眼を発揮する男だ。童女の懐疑に気づいておらぬわけがなかった。久秀は怖気づく少女の警戒心を解くため、かんらかんらと笑ってみせた。
 「何を憂い、何を得ようとも、卿が望む未来は与えられないだろう。自ら手を伸ばしたらどうかね。」
 久秀は眼前の大地をぐるりと右手で示した。人の弱みにつけこみ心の隙に付け入る、麻薬めいた声だった。いつきはごくりと咽喉を鳴らした。悠然と提示された腕の向こうには、いつきたちが望む自由が、安穏と日々を営む権利があった。それは武家に虐げられた農民たちにとって、咽喉から手が出るほど欲しているものだった。利用されてでも手に入れたいものだった。
 「松永のおっちゃんもそう思うだか?おらたちの手で掴み取るべきだと思うだか?」
 いつきの声は微かに上擦っていた。血の気を失っていた頬も、血色が良くなったようだ。久秀は満悦の表情を浮かべ、くぐもった笑声を上げた。
 「私の言葉を望むのか?卿も変わり者だな。」
 これしきの鼓舞で奮い立つとは、まったくいとけない。これだから子供は憎めないのだ。
 それに比べて、雑賀衆の何と扱い辛いことか。久秀は後背を振り向き、雇い主の命を待つ傭兵集団を睥睨した。ささやかな夢を提示してやれば呆気なく掌で舞踏してみせる民草と、高い矜持を胸に個を無くし群れとして生きる傭兵では勝手が違った。一揆衆と異なり餌にもなびかず、夢にも惹かれる気配がない。要求は、法外な報酬と望外な評価だけ。それでもまだ、三つ足の烏を籠へ繋ぎ止めるには足りなかった。
 久秀の眼差しを受けて、赤毛の女が屹然と顎を持ちあげた。いたく驕慢でありながら無個性な女王蟻の風姿だった。雑賀衆頭領孫市はまるで己の群れを守ろうとするように立ちはだかり、泰然と構える久秀へ言い放った。
 「我らは我らの能力を高く買う軍につく。血や絆など、煩わしいものなど何もない。それが我らの生き様だ。」
 「無論わかっているとも。私は卿を高く買っている。それこそ、平蜘蛛ほどにな。」
 孫市は警戒心を覗かせながらも、久秀が虚言を弄しているわけではないと信ずることにしたのか、微かに頬を綻ばせた。
 「フフ…世に名高い至宝と双肩を張るつもりはないが、その評価に応えるとしよう。」
 孫市の満更でもない台詞に、久秀は肩を竦めてみせた。久秀は雑賀衆を腹蔵なく評価していた。雑賀が情に絆され蹂躙を厭う柔な軍であれば、こうして雇い入れることもなかっただろう。
 しかし、同時に久秀は、冷静に取り繕いながらも熱く燻ぶる孫市の本性もまた目敏く見抜いていた。孫市の中で息づく炎が、雑賀衆が本当の意味で非情に徹する妨げとなっていた。あらゆる地獄を渡り歩き、辛酸を舐めてきた雑賀衆はそれを希望と呼び習わすに違いない。
 だが、久秀に言わせれば、まったくもってくだらない感傷だった。
 「夜闇には朱がよく似合う…。」
 美しい赤毛を眼下に据えて久秀は独りごちた。紛れない本心の発露だった。正確には、朱には夜闇がよく似合うと言い表すべきであったが、発言自体が危険を孕んでいる事実を考慮すれば、まったく取るに足らない問題だった。
 幸いなことに、火縄と火薬を過剰に尊ぶ雑賀衆の頭領は、真意を取り違えたらしかった。
 「我らに甘言は効かぬ。弄するならば相手を見極めることだ。」
 孫市は久秀の言を切って捨てると、多勢を連れて踵を返した。これより、戦支度をするのだろう。孫市へ一瞥投げかけた久秀は後ろ手を組み、脳裏に残酷な悪夢を構築し始めた。
 自縛にみっともなくしがみつく無様は、女王の風格を備えた朱には似合わなかった。群れに縛られた孫市が自我を持ち、個として生きる幸いを知ったならば、どれほど慶ばしいことだろう。久秀は眼を眇めて、実現に値する事案か検討した。夜闇を照らす花火のごとく華々しく散らせてやるも美しかろう。しかしそれ以上に、四肢をもがれ、巣穴を崩落された女王蟻がどのような表情を見せるのか、久秀には興味があった。
 いつの間にか、空は厚い雲に覆われていた。この調子では吹雪そうだ。音もなく降り頻っていた雪は逆巻く風に呑まれ、身を切るような寒さをもたらしていた。久秀は暗くなり始めた天へ、何かを掴み取るように利き手を掲げた。
 「この渇きを満たせるモノは何処にある…?」
 答などあるはずもない。久秀は小さく嘆息した。何にもまして、かの第六天魔王の蘇生に立ち会えなかったことが悔やまれた。だが、今更嘆いたところで仕方がない。関ヶ原で奇蹟に触れた竜を蹂躙するは、魔王に比べるまでもなくとも多少の無聊にはなろう。久秀は有閑を持て余していた。
 「松永のおっちゃん。」
 ふいにかけられたいつきの声に久秀は我に返った。
 「何事かね?」
 久秀の視線を受けて、いつきは粗末な着物の裾を両手で握り締めた。いつきの眼には未だ久秀に対する僅かな憂いと猜疑がこびりついていたが、迷いは振り切れたようだ。いつきは躊躇した末、口を開いた。
 「おっちゃんが言ったとおりだ。待ってたって、何もよくならねえ。」
 久秀は口を差し挟まなかった。蜃の吐く楼閣より脆い希望を胸に、哀れな操り人形が面を上げた。
 「おら、やるだよ。おさむらいはみんな倒すんだ!おらたちとはわかりあえねえだ!」
 いつきは誇らしげに胸を張っていた。蒙昧ゆえの選択とも知らず、哀れなことだった。眼前の娘は、仲間のためになると信ずる道を歩めることが誇らしいに違いなかった。もっとも信用してはならない武家があるとするならば、それは松永軍であったろう。他の武家を固く拒みながらも、終ぞ、いつきはそれを認めようとしなかったのだ。頑迷に、眼の前へ吊り下げられた希望にしがみついていた。それが己の頚へ巻きつく括り紐ともわからずに。
 久秀は去りゆくいつきの背へ囁きかけた。
 「仲良くしてくれ…なに、卿が死に逝くまでの、ほんの少しの間でいい。」
 もはや賽は投げられた。
 久秀は足元の雪を少し丸め、転がしてやるだけで良かった。もとより、地は傾斜だったのだ。地獄へと下る坂だった。勢いづいたが最後、一揆衆が白い死の衣で着脹れながら堕ちてゆくは明白だった。堕ちた雪玉が底にぶつかり呆気なく自壊するまで、さして時間もかからないだろう。
 久秀は心浮き立たせて竜の六の到着を待った。










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