圧倒的に数で勝る最上の軍勢が、一人の男に押されていた。男は余程腕が立つのだろう。骨を断つのには腕力だけではなくある種の技巧が必要となるが、男は労せず雑兵の首を切り落とした。無造作ながら、見事な腕前だった。
眼下で繰り広げられる一方的な暴虐に、奥州を治める雄、伊達政宗は眼を眇めた。男には見覚えがあった。忘れるはずがない。唯一、政宗を完膚なきまでに叩きのめした相手だった。名を、石田三成という。
お陰で、無残に圧し折れた矜持を立て直すのにどれだけの歳月がかかったことか。本来であれば三成に再戦を挑み、恥を雪ぐべきと知りながら、その主君である豊臣秀吉を先に討ち取ったのは、当時の己では三成に勝てる気がしなかったからだ。一度深く根を張った恐怖、劣等感は、そう易々と晴らされるものではない。
政宗は迷いを断ち切るように口笛を吹いた。小さな音は眼下の男たちの耳に届くこともなく、風に掻き消えた。その音の小ささは、まるで政宗の自信を表しているようだ。流石に刀に添えた手が震えることはなかったが、政宗には、自然と流れる冷や汗を止める手立てはなかった。その事実が、政宗の矜持を否応なしに傷つけた。
「…去ね。拒否は認めない。私を阻む者はすべて奴と同罪だ。」
あとじさる最上義光に、眼光鋭く三成が一喝する。三成にとって、一国を治める義光も所詮は障害物でしかない。そして、何者であろうと、障害となるならば排除は避けられない。それは、明白な事実だ。刀を突きつけられた義光が絶望に呻いた。
とぼけたお調子者だが、義光も決して馬鹿ではない。見せかけに反して、その実、頭の切れる男だ。普段の調子であれば、手練手管を弄して有耶無耶にしてしまうことだろう。義光は確かに法螺吹きかもしれないが、劣勢を覆すことの出来る男だった。
しかし、それも相手に誇張や甘言が通じれば、の話である。
三成が刀を振りかぶった。
「私が目指しているのはッ…!」
流石に、政宗も叔父の殺害を傍観するつもりはない。政宗は声を張り上げた。
「この俺だろう?」
そう言って一歩前へ踏み出せば、三成と眼が合った。
白肌に白髪。着やせするのかもしれないが、華奢といっても過言ではない肉つき。全体的に薄い男だ。その無感情さも相俟って白蛇を連想させた淡い鬱金の眼は、記憶と異なり、溢れ出る憎悪の念で爛々と輝いている。だがどういうわけか奇妙に透き通るその眼を、政宗は意外にも美しいと思ってしまった。
「good spirit.一人でrevengeとは良い度胸だ、豊臣の残党。」
見栄を張るのは得意技だ。しかし、ちゃんと期待通り、不敵に映っているだろうか。政宗は一抹の不安に駆られながらも、三成に笑みを見せた。
「もてなしに来てやったぜ。」
腰に佩いた六爪や兜の前立てを舐めるように見ていた三成の眼が、急に何かを悟ったかのように、軽く見開かれた。烈々と燃え上がる憤怒に射ぬかれて、無理矢理奮い起こしていた余裕がわずかに委縮する。しかし、ここで怖気づくわけにはいかない。政宗は己を叱咤して、ともすれば引きそうになる顎を上向かせた。
「まままままっ、待っていたよ!貴公を待っていたんだよ!」
政宗の出現に喜色を浮かべ義光が、出まかせを口にした。良く喋る口だ。だが、政宗にとって、義光の虚構などどうでも良かった。それは、復讐鬼と化し、仇の血に飢えた三成にしても同じことだろう。政宗は藁にもすがる思いで助けを求める義光を適当にあしらいながら、三成の出方を窺った。
三成が一歩進み出た。空気すら色を失ったようだ。威圧感に肌がざわついた。
茶番の瓦解は呆気なく訪れた。
「秀吉様…あなた様の仇たるこの者を…斬滅する許可をッ…!」
低く腰を落とした三成が、跳躍した。暴発した銃弾のように勢いづいた眩い一閃に、政宗は刀で応酬した。きぃん。音を立てて火花が弾けた。
三成の攻撃は、決して重くはない。これ以上の剛の者に、政宗は幾人となく対峙している。最たる例が、かの秀吉だ。三成の太刀筋はどちらかといえば、越後を治める軍神のそれに近い。あるいは、竹中半兵衛のものか。鉄鋼のように融通の効かない性格に反し、三成の刀は縦横無尽に走った。抑え込むには、速すぎる。羽根のような一撃が政宗の表皮を撫でていった。
幾度、この男を倒す場面を想像したことだろう。幾度、この男を想定して刀を振るったことだろう。
だが、実物は記憶以上だった。敗北の記憶ゆえに三成を美化しすぎたのではないか、という不安は杞憂だった。政宗は喜悦ゆえに嗤った。そうでなくては、張り合いがない。
「誰だ、テメエは…?」
「貴様に名乗る名などない…!」
声を振り絞って問いかければ、三成が忌々しげに返した。政宗は口端を歪めた。元より三成が、かつて己の前に膝を屈した存在を気にかけているはずがないとわかっていた。政宗は、わかっていながらも問いかけざるをえなかった己の矜持を怨んだ。
寄せられる殺気への恐怖に、ちりちりと項が粟立つ。相殺しきれなかった余派が、疾風となって政宗を苛めていた。一見出血こそないものの、斬り苛まれた腕は感覚を失っていた。
元々、万全とは言い難い状態だった。下腹部には依然として鈍痛がくすぶっていた。それでも、この男の前へ足を運んでしまったのは、あの日の雪辱を晴らしたかったからだ。三成に恐怖した己の弱さに打ち勝つためだ。
そのはずだ。
政宗はわざとらしく肩を竦めてみせた。
「そんなに山猿の大将を悼みてえなら、墓にでも参るんだな。」
不利な状況ゆえの政宗の空元気にも、眼前の男は気付かなかったらしい。
「貴様…!罪人がこのうえ秀吉様を下衆な仇名で侮辱するかッ!」
眦を吊り上げて怒り狂う三成に、政宗は僅かながら虚心を満たされた。
しかし、あまりに代償は大きすぎた。
三成の痛恨の袈裟斬りに、耐えかねた鎧が音を立てて崩れた。ぱっと鮮血が散った。政宗は舌打ちをこぼして身を翻そうとしたが、傷ついた身体が言うことを聞かなかった。くらりと眩暈がした。失血ゆえの立ち眩みだった。判断を誤った。まずい、と愚痴をこぼす間もなく、視界が暗転した。
鎧共々服が断ち斬られたのだろう。無粋に晒された胸元が寒かった。熱を失った指先から刀が離れ、重い音を立てて地面に落ちた。その武士にとって命である刀を踏み躙り、政宗の首へ刀の切っ先を当てていた三成が小さく息を呑んだのがわかった。
生温い風が乳房を撫でた。
発育の悪い乳房を見られることに、政宗は何の感慨も抱かなかった。疾うに女である道など捨てている。事実、生まれてこの方、政宗が女であったためしなどなかった。
政宗は戦に明け暮れ、多くのものを失った。その失ったものの中で、政宗の女としての生など塵芥に等しい。右腕の嘆くほどの価値を見出す必要性すら感じられなかった。それでも、斃すべき相手に淡く病根の散る肌を晒すのは、歯軋りしたい程の屈辱だった。痘痕は、政宗の劣等感の象徴だった。
咽喉元に突きつけられた切っ先が引かれた。敵から寄せられた同情に、政宗は吐き気を覚えた。ひどく惨めだった。
この身が女で何が悪い。女だと殺せもしないのか、チキン野郎。
意識が落ちる間際、政宗は薄く自嘲の笑みをこぼした。
闇で満ちた御堂に、明かりが灯った。蝋の火で揺らめく巨像は、捉えどころのない神仏の化生にも見える。事実、三成にとって、豊臣秀吉ほど偉大な人物はいなかった。神にも等しい存在だった。三成はまんじりともせず、眼前の秀吉の像を見つめた。心中、複雑な思いで乱れていた。
伊達政宗は女だった。
その事実は、この上なく、三成に打撃を与えた。三成には、女子供を殺す趣味はない。それは主義だ。その主義を啓発したのは、三成が神と崇める秀吉だった。であれば、女である政宗を手にかけるわけにはいかない。それは、秀吉の意思を軽んじ、侮辱することだ。しかし、仇は討たねばならない。
矛盾だった。
秀吉を軽んじた政宗は誅殺すべきだが、秀吉の遺志が三成の殺意を戒める。天に坐す主に誅戮の許可を求める行為すら不遜に思え、三成は口を噤まざるをえなかった。
殺すべき相手を殺せない。
殺せない事実に対して、どうすべきかが、わからない。
判じあぐねた末、三成は政宗を豊臣残党の拠点に連れ帰った。亡き主君への侮蔑を撤回させる思惑もあったが、それ以上に、三成は困惑していた。三成がこれほど困惑したのは、初めてといって良い。
睡眠薬を投与され、意思を剥奪された竜の肢体に心が震えた。きつく巻かれていた晒しの影響か、乳房は未熟だが、薄くともあまやかな肉つきは女のそれだ。決して、男のものではない。暴かれた肌は、闇夜を照らす月光の白さだった。苛烈な眼を閉ざした顔は思いの外愛らしく、気品があり、血統の良さを窺わせる貴族的な面立ちだった。
殺害すべく男でなければならない独眼竜は、皮肉なことに、美しい女性だった。
三成にとって、女とは奥に隠れ男に尽くす生き物である。かように戦場に立ち、あろうことか、武の化身であった秀吉を斃す存在ではない。
どんな卑怯な手段を用いたものか。
否、不意を突いたところで、女の身では到底秀吉を手にかけられるはずがなかった。秀吉の実力の程は、誰より三成が知っている。たかが女ごときに敗れるはずがなかった。
では、偽者だろうか。
独眼竜の影武者という線も三成の頭を過ぎったが、そうでないことは立ち合いからわかっていた。理屈ではない。熟考するだに愚かしい、明白な事実だった。
女であれば実力で劣るはずだというのに、三成に抗するだけの実力を有する女。三成には、この女が不可解でならなかった。理解の範疇を超えていた。
微動だにせず長考する三成の許へ、戸を開ける音と共に一条の光が差した。振り向いて確認するまでもない。大谷吉継だ。仄暗い御堂の中、年の割に知性を備え、奇妙にしわがれた声が響いた。
「散策にも飽いたか、三成よ。」
静かな狂気を湛えた双眸がねっとりと絡みついた。その身が女とはいえ、三成が怨敵を誅さなかった事実が、吉継の興をひどく引いたらしい。
奥州までの道程を散策と呼ぶ吉継の揶揄を、三成は聞き流すことにした。それよりも、三成には吉継に確認しなればならないことがあった。吉継は頭が切れる。三成では答の出ない問いにも、あっさり解を導くことだろう。
「…伊達政宗――、私が卑下されることは構わない…。だが、秀吉様を軽侮したままの奴を切り刻んでも意味がない。奴は私の姿を通して、秀吉様をさらに冒涜した。誅する前に私はそれを雪がなければならない。」
怨敵の血に飢えた刃を眼下に懊悩する三成を前に、吉継は眼を眇めた。
吉継はすでに政宗の性別を知らされていた。成程、女であれば三成は斬れまい。そう思いはするものの、偏に女といえども、三成が殺さない理由にはならなかった。意に介さねば斬って捨てるのが三成だ。特に、三成は片意地で、頭に血も昇りやすく、衝動に忠実である。それがわかるからこそ、吉継は三成の迷いを嗤った。
「ヒヒ…ぬしほど他人の言葉を真に受ける者も、そうはおるまい。」
「言いたいことは簡潔明瞭に伝えろ、刑部。」
言下の嘲笑は三成のみに向けられたものではない。耳聡く尋ねる三成に、吉継は笑声を上げた。
「ぬしは独眼竜の処断を決めたのか?」
「…いや、まだだ。」
言葉を濁す三成は珍しい。これは余程処断を決めかねているものと見える。惑うている時点で、結論は出ている。吉継は政宗が女と判明してから温めていた案を友に打ち明けた。
「おなごとはおかしなものよ。特に、武家に生まれたおなごはその気性烈火のごとく、意に添わぬおのこの子を産むことを一番の恥辱と考えおる。それが以前下した敵の部下となれば、その屈辱は身に迫るものであろうよ。」
吉継の示唆に、三成が息を呑んだ。
「刑部…ッ。」
「なれば、独眼竜を孕ませるがよかろ。床の上で己の優位を教え、改心させる…ぬしにとっても、気性の荒い竜を御すのはさぞ楽しかろうよ。」
くつくつと吉継ののどから笑い声がこぼれた。
予てから、吉継は三成の子を見たかった。だが、並大抵の娘では友に相応しくない。
くだらぬ娘にうつつを抜かす友の姿を、吉継は望まなかった。三成は清廉でなくてはならない。吉継が蛾だとするならば、三成は誘蛾灯だ。闇の中怪しく輝き、どこまでも惹きつける光だ。その灯が女如きに掻き消されるなど、慙愧に堪えない。吉継が求めるのは、穢れ堕ちながらも、かつての高みを憾んで闇る淵にもがきし光の姿なのだ。光に晒されて闇が映えるように、闇の胎にあってこそ光は美しい。太陽に伸べる手を持たず、願うべき星すら見出せず、絶望に身を染めながらも、とこしえの夜がもたらす静謐の中、凛々しく立ち続ける三成は、さぞや万人の目に美しく映ることだろう。女の手練手管によって、腑抜けにしたいわけではない。
思案を巡らせていたところ、かの独眼竜が女だという報である。伊達は古い家柄だ、血筋も申し分ない。剣の実力も三成に肉薄しているが、決して武一辺倒というわけでもなく、茶や詩歌を嗜んでいる点も、吉継は高く評価していた。癇の強さが悔やまれるが、まるで夜気を震わす月光のように貌は麗しい。
聡明で美しい籠の鳥、心満たさぬ冷笑の月影。これほど三成に相応しい者もいないだろう。
独眼竜ならば、矜持の高さゆえに自害の道も選ぶまい。屈辱に身を震わせながらも、己が胎に宿った子種を産み落とすだろう。三成の子を、友の子を。
「しばし考えてみるが良い。なに、独眼竜は逃げぬよ。」
しかし、吉継は知っていた。迷いを抱いている時点で、三成は政宗を殺せまい。だが、三成は愚直なまでに義理固い男だ。亡き主君への義理は果たさなければならない、復讐は為されなければならない。なれば、選ぶ道は一つしかない。
蝋の火に照らされ、何かを暗示するように巨像は揺らめいていた。亡き秀吉の威風を凝視したまま黙する三成を一瞥し、吉継は再び笑声を上げた。
ひどく甘ったるい香の匂いが鼻を突いた。白檀に何か混ぜ物してあるらしい。気分の悪い匂いだった。
どこかへ運ばれる最中らしい。足が宙を泳いだ。
政宗は眉間にしわを寄せ、上半身を起こそうと努力した。横たえられた身体は、重く気だるかった。辛うじて動いた指先が、頼りなく敷布の波を掻いた。どうやら布を一枚敷いただけの板間に寝かされているらしい。背中が痛かった。手傷も負っているようだ。薄膜に覆われたような意識でも、辛うじて、包帯の感触がわかった。
記憶は途切れている。
一体何があったのか。闇の中、ぽたりと落とされた橙が光を放っていた。ただ、それだけの空間だった。辺りは死んだように静まり返っている。政宗は長い睫毛を震わせ、いっこうに合わない焦点に苛立ちを覚えた。微かに嗅ぎ取れる抹香の匂い。揺らめく灯りが何か巨大なものを照らしていた。その前に坐する男は、彫刻のように息を潜めている。
無理を押して身体を起こそうとしたとき、耳慣れない声が響いた。
「起きたか、伊達政宗。」
深い落胆と諦念に彩られた声色は、記憶のものと違えていた。政宗は訝った。忘れるはずがない。だが、三成の声調からは、決定的なまでに、あの張り詰めた憎悪と憤怒が抜け落ちていた。疲労さえ滲む声で、三成は続けた。
「……伊達政宗――、本来ならば貴様を誅するところだが、私には女を切り刻む趣味はない。」
この身が女で何が悪い。女だと殺せもしないのか、チキン野郎。
政宗は面罵しようとしたが、意思に反して、唇が開かなかった。いまだ視界はぼやけていた。一服盛られたのかもしれない。ようやくその可能性に思い至ったとき、三成の眸が政宗を射抜いた。
「しかし、秀吉様を軽侮したままの貴様をこのまま棄て置くわけにはいかない。貴様は私の姿を通して、秀吉様をさらに冒涜した。私はそれを雪がなければならない!」
政宗は息を呑んだ。向けられた眼差しは、苦渋の決断を呑み、迷いを振り切った者のそれだった。三成の手が荒々しく、政宗の袂を開いた。厚く包帯の巻かれた胸元を夜気が襲った。
「秀吉様の御前で、私は貴様を抱くと決めた。私の子を孕み、私の姿を通して、秀吉様を崇めてもらう。拒否は認めない。泣いて詫びるが良い。」
これしきのことで、独眼竜が泣いて詫びると信じているのだとすれば、お門違いだ。元より、女としての矜持など失われている。一個の武将としては、敵に組み敷かれるのはひどい屈辱だが、ただそれだけの話だ。このような狼藉を働かれたところで、政宗にとっては犬に噛まれた程度の意味しかない。肉体的には。
それにもかかわらず、政宗の身は強張った。手荒な真似に対してではない。三成はそれを誤解したのだろう。勢いづいたのも最初だけで、まるで生娘相手のような手つきで政宗の剥き出しの肩を掴んだ。
「……貴様が抵抗しなければ、痛めつけるつもりはない。」
奇妙な優しさの篭る声で、三成が囁いた。愚直なまでに一途で誠実な声だった。
三成の細い指が表皮を撫ぜていく。政宗はますます惑乱した。三成は潔癖な男だ。政宗にさえ、その事実がわかっていた。本来であれば凌辱など下衆の行為と詰る男が、復讐のためだけに女を抱くはずがない。であれば、これは――否、違う。自分は男だ。このように触れられる価値などない、このように触れられるはずがない。
いっそ乱雑に扱われれば、殺意を持続することも出来るのに。だのに、どこまでも優しい手つきだった。
肉体の痛みは耐えられた。今まで、肉を断たれ、骨を折られても、政宗は耐えてきた。だが、自ら棄てたものを掘り起こされる疼きに、咽喉がか細く震えた。
生まれて初めて、政宗はただの女として扱われた。侮蔑の過程ではない。これが軽侮の行為であれば、どれだけ救われたことか。
時間の経過と共に、薬の効果は沈静してきていた。政宗の感覚も戻り始めていた。厚い鎧越しの愛撫と何ら変わりなかったそれは、今や政宗の腹の底をしめやかに疼かせるまでになっていた。
「Shit、俺は…ッ。」
次第に熱に浮かされていく頭で、政宗は肩を震わせて落涙した。千々に割かれて屑入れに棄てられた文のように、何かを孕んでいるにもかかわらず、心は乱れまとまらなかった。無残な敗北を味わったあの日に勝る屈辱、憤怒、悲痛。様々な感情が政宗の胸を飛来した。
堰を切ったように止め処なくこぼれる涙に眉をひそめた三成が、赤らんだ政宗の眦を無器用に拭った。
「…泣くな。私は貴様が泣くことを許可しない。」
いっそ嗤いだせば良かったのであろうか。三成の行為は、滑稽といえばそうであったし、茶番といえばそれまでだった。
顔を見られまいとして頭を振る政宗を悼むように、三成は顔を曇らせていたが、嘆息一つこぼすと、毅然とした態度で、政宗の腕をとった。政宗は促されるまま、三成の背へ手を回した。
過度に密着した肌が三成の鼓動を伝えて、政宗は狼狽した。しかし、狼狽を捩じ伏せて、政宗は震える唇で三成の名を綴った。
「…今度は、戦場で、アンタの喉笛に爪を立ててやる。」
三成が意外そうに眉を上げた。
「貴様にそれができるとは到底思えないが。」
政宗は無言で三成の背に爪を立てた。
会話など交わすべきではなかった。政宗にとって三成は敵であるべきだった。しかし、凶王と呼ばれる男にも等しく感情があるという事実、三成が政宗と変わらぬ血の通った人間である事実。それが何よりも政宗を困惑させた。
霞んだ視界の向こう、じりじりと橙が瞬いた。思考が撹拌されて、何も考えられなくなる。それは、三成にしても同じことだったろう。しっかと抱き締められる息苦しさに、あるいは別の切羽詰まった陶酔に、政宗は喘いだ。透き通るあの眼差しが焼きついて離れなかった。
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