第一話   学生パラレル


 唐突だが、伊達政は生徒会業務に飽きていた。
 そもそも、今日は水曜日。職員会議で顧問の上杉がいないのだから、折角だしさっさと帰って趣味の先物取引でもしようと思っていた。久しぶりにゲーセン巡り(友人には「巡り」ではなく「荒らし」だと言われている)をしても良い。料理でも良いかもしれない。
 (大体、)
 政はクルクルと指先で回していたシャーペンを止めた。不満から唇が自然と尖ってくる。
 政の通う学校は一応進学を売りにした私立高校なので、帰宅部生は少なくない。そんな中、特進の1組在籍の政は当然のように帰宅部だった。何故って、先物取引に時間を費やしたいからである。何でとか言われても、趣味なのだからしょうがない。1組から9組まで成績順の私立高校の1組所属だけあって、政の趣味は非常にハイソだった。
 しかし、立候補した覚えのない生徒会選挙に気がつけば出され、あれよあれよという間に、政は生徒会長になっていた。勝手に政の自己推薦という名目で用紙を提出した親友の元親はしっかりと締め上げたが、それで生徒会長になった事実がどうにかなるわけではない。政は憤慨のあまり、元親のおごりでゲーセン巡りをした。見るところから見れば、ある種カツアゲと言われても仕方のない行為だった。
 何はともあれそういうわけで、政はこれといった部や団体や派閥に所属しているわけでもないのに、というか予習復習をしたことがない自堕落な(それでいて成績が元就に次いで常に2位なので、妬まれるが)帰宅部生であるにもかかわらず、自由気ままに先物取引を出来ない現状だった。
 先にも述べたように、唯一政を拘束しておける実力のある謙信は不在でいない。表に出るよりも影で学校を操りたいという副会長の元就もいない。かすがはいるが、明日の予習と見せかけて立てた教科書の影でこっそりハーレクイン小説を読んで悶えている。他の役員は色々な理由で、たまたま席を立っていた。
 今しかない、と政は思った。
 政はこっそりと通学鞄を握り締め、上履きから生徒会長用の机の下に常備してあるスニーカーへと履き替えた。何故、そんなところにスニーカーがあるのかといえば、勿論脱走するためである。常日頃から脱走している割に、大らかなのか能天気なのか、そのスニーカーが取り上げられたことはない。政にとっては、幸いにも、と言っていいことだ。
 かすがはまだ悶えている。
 政は静かに背後の窓を開けた。生徒会は3階に設置されているが、そんなこと、政の強靭な身体にかかれば問題ない。脱出作戦の成功は31回中23回。失敗時は常に、元就が関係していた。謙信がいた場合は何となく逃げる気にすらならないので、カウントしていない。
 こっそりとかすがの様子を窺いつつ、政は窓枠に足をかけた。
 そこでようやく、かすがが異常事態に気付いた。
 「政!」
 「悪ぃなかすが!今日の分は全部やったから良いだろ!」
 「!待て!」
 今日の分だけとはいえ、仕事を全て完了させている時点で実は律儀なのかもしれない。
 何はともあれ、政はこうして3階の窓の外へと飛び出した。


 視点は変わる。
 平凡で平凡なりに、敢えて指摘するならあまりにも無口な点が平凡とは言い難い。そんな風に生きてきた風魔小太郎は、成績も平凡で5組所属だった。
 その小太郎だが、平凡なりに地味な趣味があった。ガーデニングだ。ガーデニングといえば聞こえが良いが、その実、盆栽などを好むかなり爺むさい趣味である。そういうわけで、当然のように園芸部に所属していた。委員会は美化委員。かなり、それっぽいといえばそれっぽいが、地味だ。眼鏡などかけてはいないのだが、やはり地味だ。離婚した母に連れられていった双子の弟の佐助は、打って変わって、まるで小太郎の分まで生気を吸い取ったかのように派手でおしゃべりなのだが。
 何はともあれ、そのとき小太郎は美化委員の一員として、また園芸部の者として、整備されていない花壇を見て回っていた。私立高校で敷地が半端無く広いため、少なくはない花壇が放置されているのだ。幸い、今日は水曜日。いつもはうるさい園芸部顧問の北条も職員会議でいない。やるしか今日しかない、と小太郎は思った。実は、学期が変わり委員会や部の予算も新しく貰ってから、ずっと野望を抱いていたのである。地味な野望だが。
 ぐるぐると構内をあたかも不審者の如く見て回った小太郎は、校舎裏の花壇が比較的放置されやすい点に気付いた。雑草だらけの花壇は見るも寂しい。小太郎はしゅんとなった。ひとまず、予め用意しておいた軍手をはめて、雑草を根から丁寧に抜いていく。
 そんな小太郎の周りにちらほらと動物が集まり始めたのは、そう間もないことだった。
 実は小太郎、異常に無口な点の他にも平凡とは言い難い点があった。異様に動物に好かれる点である。雀や鳩といった鳥や猫や犬などのペット、はたまたどこから脱走してきたのか極彩色のオウムや果ては猪に熊まで。動物の種類に多彩を極めすぎた感もある好かれようだった。
 小太郎は頭を擦り付けてくるシジュウカラや黒猫の頭を撫でつつ、真剣に雑草を減らしていった。
 そのときである。
 「Get out!」
 空から、天使が降ってきたのは。


 生徒会室を飛び出した政は、油断していたとしか言いようがなかった。今まで、下に人がいたことはなかった。それに今日は水曜日。誰だってさっさと帰宅を決め込むに決まっていると、帰りたくて帰りたくて仕方がない政は高をくくっていた。
 そういうわけで、飛び出してから下方を見て、人の姿を発見したときの政の驚きようといったら尋常ではなかった。
 政はいい。3階から飛び降りても平気なくらい、身体が丈夫だから。―――だが、相手は?自分が普通でないくらい、政は流石に知っていた。
 「Get out!」
 異様に動物に群がられている人物に、政はせめて動物がクッションになってくれれば良いのにと思った。動物愛護団体が耳にしたら、訴訟を起こされそうな考えだったが、政は必死だった。高校生の身で、しかもこんな生徒会業務が嫌で生徒会室から飛び出して、なんていう情けない理由で人殺しになりたくない。
 バサバサと驚いた鳥が飛び去り、政の視界を塞いだ。思わず目を瞑る。


 衝撃が走った。


 空から凄まじい勢いで降りてきた天使は、落ちてきたという表現の方が相応しかった。驚きに周囲の鳥が飛び去り、四足の動物は走り去る。大混乱の鳥たちに視界を塞がれ、眼帯に覆われていない方の目を閉じた天使に迫る地面への落下という危機に、小太郎は思わず手を差し延べていた。
 とはいえ、平凡な小太郎に重力を味方につけた人間を支えきれるはずもない。ずしんと走った衝撃に腕を持っていかれ、小太郎は腕を引かれるまま前へと倒れこんだ。天使とはいえ、多少軽い程度で体重は普通にあるようだ、と小太郎は何処か見当違いなことを思った。
 しかし、常人ならば怪我をしておかしくない事態にもかかわらず、幸運なことに、小太郎はこれといった怪我は負わずに済んだ。転んだ際、肘と膝を擦りむいた程度だ。
 ヒラヒラと鳩の白い羽が舞い降りる。ああ、本当に天使なんだこの人は、と小太郎は思った。
 小太郎の下敷きになった腕の上で、小太郎の短い人生の中でこれまで見たこともないほど綺麗な天使が、身じろいだ。
 「Umm、」
 飛び交う鳥の群れに驚いて思わず閉じてしまった瞳を開き、政は小さく瞬きをした。すぐさまハッとする。下敷きになった人間は、死んでいないのだろうか。


 白い羽の舞い落ちる中、政とその下敷きになった小太郎の目があった。
 その一瞬で、二人は恋に落ちた。


 政は白い羽をつけた小太郎をただ静かに見詰めていた。生徒会室から落ちる瞬間見た動物まみれの小太郎の姿を思い出し、政はそっと、小太郎のことを妖精なのだと信じた。政を天使だと信じて疑わない小太郎も小太郎だが、妖精の存在を信じている政も政だった。非常に美しくはあるが凶悪な外見と内面を持つにもかかわらず、意外に、政はロマンチストなのかもしれない。
 「…!Sorry!だ、大丈夫か?!」
 しばらく小太郎に見とれていた政は妖精を下敷きにしている事実に思い至り、慌ててその上から退いた。手を引いて立たせた。
 「怪我はないか?!骨折とか、打撲とか。」
 小太郎は政の当然といえば当然の気遣いにいたく感動し、天使はなんて優しいんだと思いながら、首を横に振った。その様子に、政はほっと胸を撫で下ろした。
 「本当に悪い。まさか人がいるだなんて思わなくて。」
 唯我独尊で自信満々な政にしては珍しくしどろもどろいう感じの謝罪に、小太郎は慌てて首を振った。むしろ、天使の降臨(?)の邪魔をしてしまって悪いとすら、小太郎は思った。一方政は、小太郎のその否定に妖精はなんて気さくで優しいんだ、ときゅんとしていた。
 二人でときめきを分かち合い、どちらともなく見詰め合う。
 そのときだった。
 「政!」
 かすがが怒りの形相で、生徒会室の窓から顔を覗かせた。政が飛び降りてからかすがが覗くまでの誤差は、万が一謙信や他の生徒会役員が部屋に入ってきたとき、ハーレクイン小説を見咎められないように鞄に押し込んでいた誤差だった。
 (Shit!いつもだったらこの隙にさっさととんずらしてんのに!)
 政は慌ててさほど遠くない地点に転がっていた通学鞄を掴みあげた。ここでかすがに掴まってしまっては、逃げ出した意味がない。一歩間違えば殺人の、人身事故を起こした意味がない。
 政は小太郎の前髪に隠れて見えない瞳を、見えないなりに真摯に見詰めて言った。
 「マジ悪ぃ!俺、行かないと。後で埋め合わせはするから!See you!」
 そして脱兎の勢いで駆け出し、見る間に小さな点となり、とうとう視界から消え去ってしまった。小太郎は呆気に取られ、ぱちくりと瞬きをした。
 「こら、政!」
 窓から身を乗り出し叫び続けていたかすがは、やがて諦めたのか小さく舌打ちをして、それからようやく、小太郎に気付いたらしく視線を向けた。
 「ん?小太郎、そんなところで何してるんだ?」
 それはむしろ小太郎が聞きたい。
 幼なじみのどうでも良さそうな声色に、小太郎はひっそりと溜め息を吐いた。恋など知らない小太郎には未知でしかない高鳴る胸を押さえつけ、政が消えていった方角へと顔を向ける。
 あの天使は、何処へ去っていったのだろう。
 平凡な小太郎は平凡なりに考えて、結論を出した。大きく頷き、ぽんと手を叩く。そうだ、何やら事情を知っているらしい幼なじみに天使のことを聞いてみよう。
 天使こと政は、生徒会長である。平凡な小太郎は平凡とは言いがたいほど、世俗に疎かった。










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初掲載 2006年12月10日