神無月である。片倉は数十年ぶりに訪れた伊勢を見やり、苦々しげに嘆息した。神が伊勢に出かける神無月は、伊勢にあっては神有月と呼ばれる。だが、今の人界の何処に神が居るというのか。
(神なんざ、どこにもいやしねえ。)
いや、居たところで邪魔になるだけだ。片倉は胸中で吐き捨て、伊勢に背を向けるとゆっくりと紀伊の方へ歩き出した。紀伊の高野に赴くところなのである。
拓けた先の山際に、目的の塚はひっそりとあった。塚は、墓である。片倉は周囲を見回し、苔生した丸石や、苺や繁縷が点在する様を確認した。先程見た限りでは、山に山藤もあるようだった。
着物が土で汚れぬよう腕をまくり、片倉は塚に手を差し込んだ。濡れた土の香りが鼻についた。
暴いた塚に目的のものを見つけ、片倉は満足げな笑みを浮かべた。
「――は、」
新緑に包まれた山はどこか温かく、光を弾いた空はどこまでも白く明るい。
空を眺めていた政宗は小さく嘆息すると、摘んだ苺や繁縷をかごに入れ、山中に設けられた住処の方へと歩き出した。
政宗が産みの母に疎まれ、この地で暮らすようになってから半年が経つ。冬には人が生きていくにはあまりにも厳しい寒さをもたらす地の生活を、政宗は気に入っていた。
家や母に囚われていた昔も、何もかもから解放された今も、政宗の無聊を慰めるのは世界の歌声だった。政宗の耳を打つ葉のさざめきも鳥のさえずりも、全てが政宗の名を謳った。空気は清廉で草花は美しく、全てが政宗に優しく囁きかけた。祝福の歌は、変わらず、政宗と共にあった。
だから一人きりの生活でも独りではなかったし、未知の生活にあっても何一つとして怖くなかった。
素足が、大地の鼓動を伝えてくる。
(それにしても、さっきの、)
ふと立ち止まり、政宗は後ろを振り仰いだ。さきほどの、見慣れない男。
数年ぶりに見た人の姿は本来嬉しいはずであるのに、何故だか、無性に政宗の不安を煽った。