濃姫と蘭丸を殺害したお市は、一路、尾張へ向かっていた。ざくざく。道中、血塗れの妖しげな女に、近寄る者は皆無に等しかった。運悪く、その目に触れたもの、話しかけたものは殺されていた。しかし、勢い込んでお市に話しかけた女が一人在った。亡き上杉のくのいち、かすがである。かすがは、最愛のもの謙信の敵を討つため、謙信に直接手を下したお市を探していた。ざくざく。かすがに向けられた武器と憎悪に、お市は、くすくすと楽しそうに笑った。
「どう…いいのよ…市を斬ってみせて…。」
白い咽喉を曝け出すお市に、かすがは怯む。ふらふら前進するお市と、警戒したままじりじり後退するかすが。かすがの目には、奇怪なもの、理解できないものに対峙する恐怖が浮かんでいた。見覚えのある色だ、蘭丸も浮かべていた。にこりとお市が微笑む。しかし、かすがはその嫌悪と恐怖を憎悪で押し切り、お市へと飛び掛った。一閃。お市は丸く血溜まりを広げていくかすがをじっと見下ろし、しかし、その目はどこか空を彷徨いながら、呟く。
「またひとつ…命がこぼれ落ちていく…。」
お市はふらふら歩き出した。お市には幻聴が聞こえていた。ざくざく。それは、兵たちの歩く音だった。お市が築いてきた屍の主たちにして、罪の証の立てる音だ。
「聞こえる…死の足音が、たくさん…。」
ざくざく、ざくざく。お市は幻聴と共に、本能寺へと行進する。
「長政さま…にいさまが待ってるよ…市と一緒に…会いに行こうね…。」
そう言って、お市はうっとりと、手の中にある黄金の頭蓋に愛情を込めて、血で汚れた掌を這わせた。丹念に撫でられたそれは、赤茶色に汚れていた。
「一つ二つ、三つの石。賽の河原に拾いませ。黒鬼在して四つを壊す、あな口惜しや、愛おしや…。」
生まれることも無く死んでいった己と長政の子に、子守唄を歌いながら、お市は進んでいった。
初掲載 2009年5月17日