第四章 開け根の国   ※死にネタ


 「お市様、一緒に頑張りましょう。」
 「フフ…でも無理は駄目よ。」
 信長に戦を任され、無邪気にはしゃぐ蘭丸に、笑いかける濃姫。しかし、二人の会話も聞こえぬ様子で、お市は笑みを浮かべている。
 「市、頑張るから…長政さまが許してくれたもの…ふふ。」
 農民たちはありったけの武器になりそうなものを手に、織田の軍勢を迎え入れた。
 「おらたちは負けねえ…魔王の手先なんかに。」
 「かわいそう…あなた達、死ぬわ…。だって、長政さまが見てるもの…。」
 お市は農民を斬り捨て、死体に憐れみの視線を向けた後、うっとりと空を見上げる。
 「頑張るから…見ててね長政さま…。」
 先陣きって飛び出したお市に遅れること僅か。すでに死体で溢れている道に、蘭丸はうへえと目を瞬かせる。
 「へー、お市様、気合入ってるなあ。濃姫様、最近、お市様って頑張ってますよね。」
 「そうね…元気を出してくれて何よりだわ。」
 謙信を斃してから吹っ切れた様子で、それ以前のように泣いたりすることのなくなったお市を、濃姫は額面どおりに受け取り、安堵から微笑んだ。実母のように慕う濃姫の憂慮を知っていた蘭丸は、その心配を晴らそうと、濃姫の袖を引いて、お市の活躍を見せる。
 「どんどん倒していく…容赦ねえなあ!濃姫様、見て下さい!お市様がすごいです!すげー、やっぱり、信長様の妹だ。」
 どこか暗い情念を目に宿して農民を斬り捨てていくお市に、小さく、蘭丸は呟く。
 「お市様って、こんな目をして人を斬るんだ。」
 一瞬の間。蘭丸は何事もなかったかのように、はしゃいだ様子でお市の元へ駆け寄った。
 「お市様、帰ったら稽古付けてくださいよ。」
 「そう…じゃあ帰りましょ…早く…。」
 うっすらと笑みを浮かべて答えたお市に、蘭丸は嬉しくなり、腕まくりをする真似をする。その仕草に、濃姫は微笑む。しかし、結託した近隣の農民全てが集っているのか、斬れども斬れども、農民が尽きる様子は無い。次第に焦れてきたお市は、僅かに、錯乱した様子を覗かせた。
 「どんなに斬っても…減ってくれない…長政さまに…見捨てられる…!」
 今にもべそをかきそうな顔で薙刀を大きく振り回し体力を消耗するお市を安堵させるように、濃姫は蘭丸に指示を出した。
 「落ち着いて!蘭丸君、援護を!」
 「はい!蘭丸がついてます!」
 お市が討ち漏らした農民を、的確に、濃姫と蘭丸が殺していく。ふと我に返ったお市は、絶え間ない銃声の中、視界が死体で埋め尽くされていることに気付いた。ころしちゃいけないのに、ながまささまがだめだっていったのに、こんなにも。
 「吹雪よ…お願い…何もかも白く覆い尽くして…!」
 お市は現実を否定するように、強く、瞼を閉じた。しかし。
 「長政さまが…何か言ってる…。」
 再び目を開いたとき、お市の目は正気を失くしていた。
 「長政さま…どこ…返事して…。ここは暗くて寒い…長政さま…寒いよ…。」
 お市は長政の声を求めて、歩き出した。
 村の中心部には、一揆の象徴に祀り上げられた巫女、いつきがいた。お市はぼんやりと光を宿さない眼差しを、自らの武器に腰掛けているいつきへ向け、小首を傾げた。
 「あなた…どうして逆らうの…?長政さまはこんなにも正しいのに…。」
 「長政?何を言ってるだ?おめえさんたちは魔王軍だべ。」
 仲間を殺された怒りにたぎるようだった胸に水を差された心地で、いつきは眉をひそめる。いつきからすれば、何故、織田の人間が気付いていないのかわからなかった。少なくとも、お市の様子は尋常ではない。しかし、いつきはぐっと憐憫の情を呑んで、立ち上がった。お市に武器を振りかぶり、慣性のままに殴りつけようとするも、お市に避けられる。同時に、お市の繰り出した薙刀を寸でのところで避けたいつきは、転びそうになり、多々良を踏んだ。
 「ねえちゃん、みんなの涙が見えねえだか?」
 「そうね…泣いても泣いても泣いても泣いても!終わりは来ない…。」
 奇妙に高揚した調子で叫んでから、単調な呟きへと戻ったお市の声には、深い絶望が潜んでいた。いつきはいぶかしみ、そして、はっとしたように目を見開いた。
 「ねえちゃん、もしかして…泣いてるだか…?」
 お市は答えない。その目に浮かんだ拒絶に、いつきは諦めて溜め息をこぼした。だが、困惑を隠しきれない。再び、言葉を紡ごうとするいつきに、黙らせようとするようにお市が薙刀を斬り払った。信じられない様子で、いつきが二三度瞬きをして、膝を折った。
 「おめえさんも…結局は…魔王、だな…。」
 涙をこぼしながら、いつきが倒れる。それが雪で覆われていく様をお市はぼんやり眺めていた。在りし日の長政は、これはいけないことだと戒めていた。ころしちゃいけないのに、いち。お市は乾いた目を瞬かせた。しかし、お市の中の長政は肯定している。
 「長政さまが…全部…殺せって…全部、全部、全部全部全部全部全部全部…。」
 気がつけば単騎突入していたお市に、ようやく、濃姫・蘭丸が追いついた。しかし、お市は振り返る気配もなく、独り繰言を呟いていた。
 「全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部。」
 「すっげー。お市様ぁ―――!」
 死体だらけの村に、お市が独りで任務を完遂させてしまったことに悔しさよりも純粋な感心を抱き、蘭丸はお市に手を振って駆け寄ろうとする。そのとき、お市が突然振り返った。まるで操り人形のように、ぎこちない動きで振り返り、異様な雰囲気を醸し出すお市に、蘭丸はぎくりと思わず足を止めた。
 「…お市様?」
 「何を…?」
 緩慢な動作で薙刀を構えるお市に、蘭丸はとっさに後ずさる。濃姫は叱責するように、お市に叫んだ。
 「お市、答えなさい!」
 しかし、お市は答えない。一歩、また一歩。無言のまま縮められる距離と血脂に照った薙刀に、現状を理解できず、理解できないものに対する恐怖を抱いた蘭丸は、叫ぶ。
 「何なんだよ、何が起こってるんだよ!」
 虚ろを目に宿したまま、お市はまた一歩、距離を縮める。
 「長政さまの敵は…全部殺すの…。」
 その言葉で、ようやく、何があったのか腑に落ちた濃姫はお市に呼びかける。
 「長政?まさか、死者に憑かれたの?お市、正気に戻りなさい!」
 「市は正気よ、長政さま…うふふ。」
 お市は招くように両手を広げ、恐怖に顔を歪めてじりじり下がる蘭丸へと微笑みかけた。その足元には、暗闇が広がっている。捕まれば二度と浮上できないほどの深い闇だ。
 「蘭丸、稽古をつけてあげる…嬉しいよね…嬉しいでしょ…?」
 「う、嬉しくなんかない、目を覚ませよ!」
 場違いな、花のような笑みに尚更恐怖を煽られた蘭丸は、後方の濃姫を仰ぎ見る。
 「濃姫様、どうしたら!」
 蘭丸の問いかけに、濃姫は逡巡する。お市は濃姫たちが無二の存在と崇める信長の、ただ一人の血縁だ。信長は無関心のように見えて、ひどく、お市に関心を寄せている。本来であれば、濃姫らが、魔王の妹を手にかけるなどあっては許さることではない。しかし、今は事態が事態だ。手加減などすれば、こちらが、喰われる。
 「くッ…仕方ない、死ぬわけには…!」
 濃姫は銃を構えた。それにつられるようにして、蘭丸も弓を番える。それを見て、お市が嬉しそうに目を細めて笑った。
 人の気配の無い村の中を、お市はゆったり歩いていた。濃姫、蘭丸はお市の武器が狭所では不利だと悟ったのか、建物の陰に隠れて現れる様子が無い。お市は薙刀を両手で抱くようにして持ち、二人の姿を探していた。
 「逃げないで…きらいなの…?大丈夫、痛くない…ほら…ほら…!」
 次第に調子が高くなっていく声に再び恐怖を刺激され衝動的に放ったのか、軽率な蘭丸の攻撃がお市の肩を掠めた。お市は笑みをこぼして、矢の飛んで来た方向へと歩を進める。矢継ぎ早に飛んで来る矢は、的がぶれている。それは、お市が薙刀で打ち落とすことで尚更、外れるようだった。
 「あなたは籠の鳥…隠れたつもりなの…?見えるわ…。」
 お市が追い詰めたとき、蘭丸は恐怖に震えていた。
 「濃姫様…!」
 こうして見ると、まるで、単なる子供だ。お市はゆっくりと、白魚のような指先を蘭丸の首へかけた。蘭丸はもがき、お市を払おうとするように足掻いたが、怯えきった子供の腕力では、箍が外れ異常な力を発揮しているお市の指を外すことなどできなかった。次第に、蘭丸の目から生気が失われていく。
 「濃姫、様…どこ…?」
 くたりと腕の中で力を失った蘭丸を柔らかく抱き締め、お市はうっとり呟いた。
 「連なり来たれ、底の闇…は、は。」
 「蘭丸君、どこなの!?」
 蘭丸の悲鳴を聞いた濃姫の呼びかける声が、お市の耳に届いた。お市はゆっくりと蘭丸の熱を失った身体を地面へ横たえ、立ち上がった。
 「聞こえる…あなたの声が…。」
 陽炎のように立ち尽くすお市の姿に、駆けつけた濃姫はぎょっとしたように立ち竦んだ。そして、地に伏す蘭丸に痛ましげな目を向け、お市へと銃口を向ける。意に介した風も無く、お市は笑っている。良くも悪くも、蘭丸は子供だった。子供の無邪気さで敵を甚振り、敵を屠り続けた。その無邪気さは、未知なるものへの恐怖に対して、あまりにも脆かった。だが、濃姫は違う。全てを理解した上で、苦しみ、悩み、それでも、信長のためにこの選択肢を選び取ったのだ。濃姫はお市に気圧されることも無く、静かに対峙した。一瞬が一刻にも思えた。先に動いたのは、濃姫だった。緩慢な素振りで、お市が第一陣を弾き飛ばす。濃姫は腰に下げた二丁目も引き抜き、両手で、弾の尽きるまで銃を撃ち尽くした。もうもうと煙が立ち込める。
 「やったか…?」
 ふわりと鼻先を掠めた甘い香りに気付いたときには、遅かった。振り向こうとした瞬間、衝撃が濃姫の背中を襲った。ぐるりと視界が回る。もう己が永らえないことを悟った濃姫は、笑みを貼り付けたままぼんやりとした眼差しを己に向ける義妹の頬に手を添えた。
 「おい、ち…あなたは、生きる、の…。」
 ぱたり、と力なく手が落ちる。寄りかかるように倒れてきた濃姫の遺体を抱きとめ、お市は小さく呟いた。
 「開け放たれよ、底の国…。」
 もはや無人だ。どんなに斬っても尽きることの無いように思えた農民も、絶えたらしい。お市はぼんやりと周囲を見回す。頑張って作り上げた死体の数々も、吹雪く雪で埋め尽くされつつあった。
 「甘い香り…みんな死んで行く…ふは、は。ふ…ふふ…ふふふふ…。」
 お市は濃姫を抱き留める腕から力を抜いた。ずるりと濃姫が倒れる。緑と尊ばれた濃姫の黒髪も、雪で覆われ白くなりつつある。やがて、濃姫と蘭丸の死体も、雪が覆い尽くすことだろう。お市は薙刀を引き摺り、歩き出した。
 「長政さま、見える…?冥底へと続く門が…ほら、開いたわ…。」
 心底嬉しそうな声が、雪原に響いた。










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初掲載 2009年5月17日