宴たけなわではございますが


 奥州の雄、伊達が徳川と協定を結んだ。太閤秀吉が亡くなって間もない頃のことだった。聞けば、秀吉が死の床につく先年から、伊達と徳川の間では約定が出来ていたようだ。
 この報には、鉄面眉で知られる三成も驚いた。
 協定といえば聞こえは良いが、事実上の降伏である。あの苛烈な政宗が徳川に屈したのだ――家康に。しかも、政宗は昼夜を問わず身を粉にして炊事を行うほど、家康に傾倒しているらしい。その振る舞いたるや、未来の正室と噂されるほどであるとか。
 身分において劣るところなく、由緒ある血筋であり、風雅に優れ、顔立ちも整った政宗は、徳川にとってうってつけの正室候補だろう。伊達としても、次期天下人と名高い徳川に腰入れするのであれば、否やがあろうはずもない。伊達は次男に継がせれば良いのだ。
 対する三成はどうだ。
 誇れる血筋ではなく、周囲は敵ばかり。大坂の立てこもり事件や朝鮮出兵など、やたらと伊達を苦しめ、佳境に立たせた自覚もあった。会えば口論をして、睨み合う仲だ。伊達の婿候補などと口に出すのもおこがましい。政宗に嫌われこそすれ、好かれるはずがない。
 それがわかるからこそ、三成は何も言えなかった。何も出来なかった。
 家康との直接対決を拒み、安穏たる平和を甘受する道を選んだのは、血で血を雪ぐ血濡れた道を忌避したい想い以上に、家康を慕う政宗に憎悪される未来が怖かったからかもしれなかった。


 八月三日のことである。
 大坂の伊達屋敷では、当主の誕生日ということもあり、大盤振る舞いの宴が催されていた。采配を振るったのは今宵の主役である政宗らしく、会場には所狭しと美味そうな料理が並べられていた。机の真ん中に居座っているのは、舶来の菓子でけぇきとかいうらしい。全体的に白くてつやつやしていて、中はふわふわしっとりで、原材料が定かではないが、美味しい菓子だ。
 部屋の隅で、三成は黙々とけぇきを頬張っていた。そうするよりなかったのだ。政宗を好敵手視する幸村によって無理矢理連れて来られた宴会場で、三成は己が場違いだということを痛いくらい自覚していた。そもそも、敵対勢力にある東軍の宴席に、西の総大将がいることが間違っている。
 三成は込み上げた溜め息を噛み殺し、ちらりと主役へ一瞥投げかけた。
 客に取り囲まれた政宗は、気恥ずかしそうに笑んでいた。手には、秀家から贈られたらしいばらの花束を持っていた。昂揚と酒精で上気した頬は、ばら色に染まっていた。酔ってわずかに潤みを帯びた眼差しが、強烈な色香を湛えていた。
 「政宗は良いお嫁さんになるね。」
 政宗の傍らで、酒杯を傾けながら、家康が笑った。左手はさりげなく政宗の腰に回されている。三成は目を細めた。他の者であれば冷たい一瞥を投げかけられて終わる行為にも、政宗が気分を害した様子はない。呆れを滲ませながらも、嬉しそうに頬を緩める政宗に、三成は手にした三つ叉の箸を勢いよくけぇきに突き立てた。
 政宗が家康へ向けているそれは、終ぞ、三成が向けられたことのない満面の笑みだ。望むべくもないものだ。率直に言えば、三成は家康の立ち位置が羨ましかった。妬ましかった。だが、三成は家康とは違う。家康ではないのだ。
 下戸でも、呑みたいときがある。下戸だからこそ、酔い潰れたいときがある。それが今だった。
 三成は無造作に酒杯へ手を伸ばした。三成の自殺行為は、誰に目にも止まることなく完遂された。杯をぐいと空けた瞬間、三成の世界はばら色に変わった。ぐるぐる回る視界は、景気が良さそうだ。その中心で、いとしい政宗の笑顔が輝いていた。
 もしかすると、それは、錯覚であったのかもしれない。思い込みという可能性は否定しきれず、勘違いであることも大いに考えられた。
 しかし、そのとき確かに、三成は悟りを開いたように思えた。
 三成は、家康ではない。家康の立ち位置など、求めるべくもない。人真似ではどう頑張ってみたところで、二番手にしかなれない。三成には三成にしかなれない立ち位置がある。
 なぜ、それを、失念していたのだろう。
 三成はおもむろに立ち上がった。酒精のせいで、いつもより能動的になっていた。よろめいた拍子に何かを蹴り上げて引っくり返したらしく、騒音がたったが、三成は気に留めなかった。頭の中は、政宗のことでいっぱいだった。三成は政宗の腕を掴むと、きょとんと立ち尽くす家康や驚きに目を見張る甲斐を後目に室外へ連れ出した。
 秋口ということもあって、外は肌寒かった。外気に触れたことで、政宗もにわかに正気づいたらしい。いまだ目を白黒させながらも、政宗は三成に掴まれた手を乱暴に振り解いた。三成はたたらを踏んだ。
 「何だよお前!喧嘩なら買うぜ?」
 政宗らしい言い草だ。実際、口に違わず、政宗は帯刀していれば今にも抜刀を辞さない構えだった。ふうふう毛を逆立てるさまは、猫そっくりだ。それでも、政宗も三成がしたたかに酔っぱらっているのがわかっているらしい。敵対心以上に呆れを含んだ態度を見せる政宗に、三成は開口一番言った。
 「俺は家康とは違う。遠まわしに言うような真似はしない。」
 三成の眼は据わっている。政宗は眉をひそめた。
 「は?だから何だよ。」
 「率直に言わせてもらおう。俺の嫁になれ、政宗。」
 沈黙が下りた。あんぐりと口を開けて呆けた政宗は、二の句が告げないようだ。大きく開かれた唇から、独眼竜の象徴である煙草が落ちた。三成はわずかに気分を害して、眉間にしわを寄せた。いつの間にか、頭は割れ鐘のように鳴り響いている。政宗を失わせまいとする警鐘だろうか。むろん、酔って口がすべったのだと誤魔化すことはできた。容易くないかもしれないが、可能ではあった。
 だが、三成はその安穏を選ばなかった。
 三成は政宗の痩躯を掻き抱いた。背後で上がった黄色い歓声を意に介さず、三成は熱っぽく政宗を口説いた。政宗しか目に入らなかったのだ。
 うるさいくらいに心臓が高鳴っていた。油断すれば、口から飛び出しそうだ。
 「嫁に来い、政宗。」
 返事はない。
 三成は固唾を飲んで政宗から体を引き剥がした。不安はあった。しかし、単にこういう事態に慣れていないだけなのだろう。政宗は首まで赤くなっていたが、それは怒りのためではなく、狼狽のせいであることは、傍目にも明らかだった。
 心臓がばくばくいっている。
 くらくらした。
 「結婚してくれ、政宗。」
 それを捨て台詞に、三成は酔い潰れた。


 目覚めるとそこは、三成がけぇきを突いていた部屋の隅だった。ひどい吐き気がした。
 三成は痛む頭に閉口しながら、上半身を起こした。宴席の騒音が、三成の頭をがんがん痛めつけた。完全に二日酔いだ。三成は己の浅慮を呪った。
 幸か不幸か、記憶はおぼろげながら残っていた。三成は政宗にどの面さげて会えば良いのか、今から不安だった。
 そのとき、頭上から影が落ちた。ふと視線をやれば、好敵手の家康だ。家康は笑いながら三成の肩へ腕を回すと、耳元で囁いた。
 「政宗は良いお嫁さんになるね。」
 三成は家康を一瞥した。それは先ほども耳にした言葉だったが、潰れる前とは、意味合いが違った。目敏い家康のことだ。酔っ払いの暴挙の底に潜む感情を、紛うことなく拾い上げたに違いない。三成はふくれてそっぽを向いた。
 「当然だ。」
 その眼は、無意識のうちに、料理を振る舞う政宗を追っている。家康は呆れて肩を竦めた。
 「どうしてきみが自慢するのか、それが解せないけどね。」
 からりと笑声を上げた三成は、自らの笑い声に頭を抱える羽目になる。











初掲載 2012年10月31日