夕日が傾きかけていた。
その日、夕食を誘いに来たカノンは、橙に照らされたミロの姿に、別れの言葉を呑みこんだ。輝きの中、ミロの長い睫毛が揺れている。空色の澄んだ眼は、夕食に誘われたことが嬉しいのか、こぼれそうな笑みを湛えていた。
急に思いがけなく込み上げた感情に、カノンははっと胸を突かれた。それまで、ミロの端正な顔立ちを客観的に理解していたが、こうして美しいと心から感じたことはなかった。もちろん、それを、いとおしいと思ったこともない。カノンにとって、あの日カノンを赦免したミロは女神の次に大事な存在であり、手を伸ばす気も起こらないほど現実味に欠けていた。ミロは崇高な使命に身を捧げる黄金聖闘士の象徴だった。
しかし、実際には、手を伸ばせば届く距離にミロがいる。おそらく、抱き締めることも可能だろう。
「ミロ、」
「む?何だ。」
楽しそうにミロが笑う。何気ないしぐさに胸が痛んだ。とっさにカノンはミロを掻き抱いていた。
「お前を愛している。俺の心も体も、すべてをお前に捧げよう。だから俺のものになってくれ。」
抱き締めた身体は紛うことなく女のそれで、やわく、わずかに林檎の甘い香りがした。はじめて、ミロは女なのだという実感がわいて、カノンの下半身に疼きが走った。少し性急すぎたかもしれない。だが、この一年あまりで鬱積していた感情が堰を切ったようにあふれて、どうしようもなかった。
カノンの腕の中で、くすぐったそうなミロの笑声が弾けた。ミロはカノンを抱き締め返すと、身を引いた。口元には、面白がる笑みが湛えられている。
「やはり血は争えないということか。お前はサガに似ている。言うことまでそっくりだ。サガの方がもう少し、色気があったが。」
ミロは無頓着に言った。
「俺もお前のことを愛しているぞ、カノン。」
それから、つけ足すように、すぐ行く、と続けた。
双児宮までの帰路で、カノンを襲ったのは、ミロがカノンの真意を理解しているのだろうかという不安だった。
確かに、不意打ちのような告白だった。これまで、ミロを愛している素振りも見せたことはない。思いがけなくミロを愛している事実に気づき、そのまま想いを口にしたのだから、当然だ。しかし、不意に想いを告げられたミロにしてみれば、判断に困る言葉であったのかもしれなかった。
それに、ミロの性格もある。ミロは愚かではないが、多分に無分別なきらいがあり、自分が女だという自覚にも欠けている。カノンの真意をわかっていない可能性は十分すぎるほどあった。むしろ、理解している可能性はゼロに近い。
あのままベッドに連れ込んで抱いてしまえば良かったのかもしれない。そうすれば、嫌でも、カノンの真意がわかったはずだ。
ミロを掻き抱いたときに鼻をくすぐった林檎の香りが思い出されて、気分が高揚した。夕飯後でも遅くはないかもしれない。アルコールが入れば、警戒心も解けるだろう。
眉間にしわを寄せ、幾度もミロの発言を反芻し、アプローチ方法を入念に検討していたカノンは、ふいに、守護する宮の前で立ち止った。それから、勢いよく駆けだした。
「サガ!」
双子の兄は、わき目も振らず駆けこんできた弟に驚いたらしい。カノンの登場にわずかに目を見開いてあっけにとられてから、手に持っていた皿を食卓に載せると、怪訝そうに目を眇めてみせた。
「そのように急いてどうした?」
「どうしたもこうしたもない!お前、ミロとどのような関係だ。」
サガの眉間のしわが深まる。カノンは頭を振って、思い描いてしまった最悪の予想を自分で否定した。
「いや、言うな。俺の勘違いだろう。お前がミロの恋人であるはずがない。仮にミロに恋人がいたとしても、正体を隠していたお前のはずがない。お前、長年教皇だと偽っていたのだろう?」
しかし、どうにもミロの言葉が気にかかる。
髪を掻きむしって苛立ちのまま食卓の席についたカノンは、沈黙をいぶかって顔を上げ、ぎょっとした。サガの口端には、もう長いこと見ていない皮肉めいた自嘲が浮かんでいた。まだ世界が二人きりで完結していた頃、よく見かけた笑みだった。
「…一つ訊くが、私がミロの恋人ではおかしいか?」
その言葉が、何より端的に答えを表していた。
衝動に駆られて立ち上がったカノンは、サガの胸倉を掴みあげた。いつになく固い眼差しを向けられ、怒りで瞼の裏が赤くなった。
これまでのカノンの生は、犠牲の上に成り立っていた。すべてはサガに捧げられてきた。たった数分先に生まれたというだけで、存在や栄光、可能性すらも奪われた。ミロの断罪によってカノンの道は拓かれたが、またしても、お前が奪うのかという思いは拭いきれなかった。
だが、そんなものは所詮ひがみだ。
カノンはやるせない思いのまま唇を噛み締め、サガから手を離した。悔しさに声が震えた。
「…俺は、引く気はない。」
ようやく見出した光だ。無二の希望だ。
決意に拳を固めるカノンを一瞥したサガは肩を竦めた。
「残念だが、私も同意見だ。お前には、これまで辛い思いをさせてきた。出来ることならば、お前には、何でも譲ってやりたい。だが、それとこれとは別の話だ。」
沈黙が下りた。
耐えきれなくなり、先に視線を逸らしたのはカノンだった。自分に引け目を感じている兄がこれほどまでに頑なな態度を取ることに、内心、驚いてもいた。
聖戦を機に復活したサガは、私欲を忘れ、身を粉にして働いた。それは、同じく負い目を感じているカノン以上だった。カノンがミロによって与えられたような、明白な赦免の場を与えられなかったせいだろう。サガは明らかに幸せになることを忌避していた。
そのサガがこれだけ固執するのだ。それだけ、サガにとってもミロは大切な存在なのだろう。
そのとき、見覚えのある金色がふらりと姿を見せた。カノンは、ミロの小宇宙を殺して行動する癖をすっかり失念していた。
綿のシャツにパンツというラフな格好で登場したミロは、手土産のワインを食卓に置くと、黙りこくっている双子を咎める眼差しで交互に見やった。
「何だ、お前ら。せっかく最近はうまくいっていると思っていたのに。外まで聞こえたぞ。何を奪い合っているのか知らんが、新しいのを買えば良いだろう。」
「…ミロ、新しく揃えることは出来ないものなのだ。」
まさかミロの奪い合いをしているなど、口が裂けても言えない。サガが曖昧に言葉を濁した。苦笑交じりの甘い声だ。そういえば、いつもサガはミロに対してこの口調だったことに遅まきながら気付き、カノンは聴き咎められない小ささで舌打ちした。ミロが首を傾げた。
「だったら共用しろ。赤の他人というわけではないのだから、けちけちするな。」
そう言って、オードブルのチーズを摘まむミロのあっけらかんとした態度に、カノンは腹が立ってきた。ミロは無関係というわけではないのだ。むしろ、当事者なのだから、知っておいて当然だろう。
「ミロ、お前の話だぞ。」
「カノン、止めなさい。」
柔らかな、けれど、有無を言わせない口調でサガが命じてくる。サガの制止にますます怒りを掻き立てられたカノンは、真相をぶちまけた。
「俺とサガは今まさに、お前を奪い合っていたんだ。」
誰も、何も言わなかった。
カノンは羞恥から視線を落とした。これで清々するかと思いきや、心が沈んだ。感情のままミロを傷つけたことには自己嫌悪すら覚えた。やはり、自分はミロに相応しくない。感謝の念を伝えるどころか、不用意な言葉で傷つけるのが関の山だ。
カノンが踵を返して双児宮を飛び出そうとしたとき、言葉を探すように言いあぐねていたミロが口を開いた。
「…さっきの言葉はなしだ。」
ミロは困った素振りで首を捻った。
「やはり、どう考えても、共用はおかしい。俺はものじゃないのだから、共有の間違いだった。」
どうも冗談を言っている様子ではない。
呆気に取られて、カノンは言葉を失った。いつでも真っ直ぐすぎるきらいのあるミロが、こんな不用意な冗談を口にするとも思えない。もしかすると、短い付き合いのせいで理解出来ないのだけなのかと思って様子を窺ってみたが、サガも面食らった様子でミロを見つめているので、溜飲が下がった。
ミロは首を傾げてから、カノンとサガの手を引いて席につかせると、満面の笑みを浮かべた。恒星のように眩しい笑みだった。
「さあ、飯にしよう。腹ペコなんだ。」
「…そうだな。」
ミロの笑顔を見るうちに、何だかすべてが馬鹿らしく思えてきた。ミロマジックである。
カノンは椅子から腰を浮かせると、栓を開けるためワインを掴んだ。腹が膨れれば、また別の考えも出るかもしれない。カノンとしては、それが良案であることを願うばかりだった。
時間の経過と共にワインの瓶は軽くなり、それと並行して、口も気持ちも軽くなってきた。
カノンはサガが次のワインを取りに行っている隙に、ミロをソファに押し倒した。襲うつもりは毛頭なく、ただ、兄の目を盗んで、キスの一つでも掠め取れれば良いと思っていた。いずれ奪い取るつもりではあったが、まだ、そのときではない。
アルコールのせいでいつも以上に陽気なミロはカノン同様酒臭かったが、それでも林檎の香りがした。どこまで、林檎の香りがするのだろう。カノンは楽しそうに笑い声をあげるミロを黙らせるため唇を押しつけ、ミロの口内を味わった。ミロの唇は、さっき食べたばかりのガトーショコラの味がした。熱心に舌を絡めれば、鼻から抜けるような声を漏らしてミロが応えてくる。
その手慣れた様子に、否応なしにサガの存在を強く突きつけられて、カノンは身を引いた。
「お前、サガと出来ているのか?」
「まあ、そうだな。そういう言い方がしたければ。」
「いつからだ?」
「いつから…いつからだったろう。覚えてないくらい昔の話だ。少なくとも、俺は覚えていない。」
聖戦が終結してから、まだ半年しか経っていない。ミロはけっして記憶力が悪い方ではないから、サガとの関係はここ半年の間に生じたわけではないのだろう。それどころか、ここ数年、ですらないのかもしれない。
ミロはまだ二十歳のはずだ。
カノンは呆れ声で言った。
「…お前、犯罪者として訴えられても文句は言えないぞ。」
「お前に言われたくはない。」
ワインセラーから帰って来たサガが憮然と言い返して来たが、その声に覇気はなかった。自分でも、犯罪だと認識しているに違いない。カノンに続いて身を起こしたミロが、ワイングラスに手を伸ばしながらサガを上目遣いでちらりと一瞥した。
「カノン、サガはずるいんだぞ。」
その一言に、サガが身体を強張らせたのが面白かった。ミロは呆れ交じりにサガへ溜め息をついてみせてから、カノンに笑いかけた。
「サガは勘違いしているみたいだから断っておくが、俺は別に、教皇権限でああいったことをさせられたのは全然苦に思ってない。まあ、当時はわけがわからなかったが、サガのことは好きだし、すごく気持ち良いからな。呼ばれれば、いつでも喜んで行った。相手は教皇だぞ?身に余る誉れだとも思った。」
ミロの発言に、カノンは無言でサガを見つめた。自然と咎める眼差しになっていたのだろう。サガは無言で顔を背けた。ミロが続ける。
「正体を隠していたのも、仕方ないとは思う。そうでなければ、俺はお前を殺そうとして返り討ちにあっていただろう。」
カノンは、ミロほど割切れなかった。サガも同様だろう。他の黄金聖闘士たちも、これほどまでには現実を受け入れられていないのが実情だ。聖域には、まだ、サガの乱や海闘士との戦闘の跡が色濃く残っている。あっけらかんと言えるのは、ミロが最後までアテナの黄金聖闘士で在り続け、それを過去の事実として受け止めているからだ。
カノンはミロの潔さを羨ましく思った。ミロが子どものような素振りで唇を尖らせた。
「俺がずるいと思ったのは、カミュを遠ざけたことだ。天蠍宮から教皇宮まで行くのに、通る宮は4つ…うち1つは不在だし、シュラもアフロディーテもお前の正体を知っていたのだから、邪魔なのはカミュだけだ。確かに、毎晩のように足繁く通っていたら怪しまれて当然なのだが…それだけは、ずるいと思う。」
「サガ…、」
「何も言うな、我が弟よ。」
「お前、最っ低だな。」
カノンの駄目押しの一言に、サガが押し黙った。何ものにも代えがたい、自責の沈黙だった。サガの背にのしかかる悔恨が、傍からでも手に取るようにわかった。
カノンはサガに蔑視を向けながらも、内心、意外に思っていた。闇に囚われ、何ものをも信じず、野望に身を捧げたサガが、たとえ無理強いによるものだとしても、他者と交流を求め、今なお手放すことを惜しんでいる。その事実は嬉しくもあり、悲しくもあった。サガにそのような愚行を強いらせた切欠は、カノンなのだ。
カノンはミロが欲しかった。すべてを犠牲にしてでも欲しかった。アテナがカノンの道を紡いだのだとすれば、そこに生命を吹き込んだのはミロだった。
だが、サガにとっても、ミロはきっと同じくらいかけがえのない存在なのだ。
肉親の情と恋情の板挟みになったカノンは視線を落とした。暗い表情の兄弟を、ミロは理解しかねるように眺めてから、頭を振った。
「またどうせくだらないことを考えているのだろう。お前たち二人は、頭は良いのかもしれんが、俺に言わせればくだらないことに頭を使いすぎだ。」
それから、決然とした様子でカノンの手を引いて立ち上がらせたミロは、立ち尽くすサガの手を握り締め、自信たっぷりに言い渡した。
「お前たち二人とも、俺のものなのだろう?ならば、くだらないことに頭を悩ませないで、ずっと俺のものでいれば良い。」
そうして、唇に触れるだけのキスを二人にすると、ミロは勝者の笑みを浮かべた。
「先に言っておくが、俺は一度もらったものは手放さない主義だからな。逃げても無駄だぞ?」
「それで、どうしてこんな状況になっているんだ?」
双児宮のベッドルームで憮然と問いかけるカノンに、サガが不服そうに切り返した。
「お前が抜け駆けは許さないと言ったからだろう。」
ベッドに腰をかけ、ワイシャツを脱ごうとしているサガはすっかりその気で、眼には不穏な光が宿っていた。少し酔っているらしい。そういえば、サガがいつになく酒を飲んでいたのを思い返しながら、カノンは顔をしかめた。
「お前が譲れば良いだけだ。今まで散々楽しんだのだから、少しくらい、俺にも良い目を見させろ。」
「悪いが、私も譲歩するつもりはない。」
「…お前らまだごちゃごちゃ言っているのか。飽きないな。」
早くも服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿でベッドに寝転がっているミロが苦笑した。
どうやって日焼けしたのか、ミロの程よく日に焼けた黄金の肌は継ぎ目なく続いていた。二十歳など子どもの延長のように思っていたが、こうしてみると、ミロは成熟した女性に他ならなかった。わずかに顔を俯かせ、肩越しに仰ぎ見る眼は悪戯っぽく、無分別な期待を募らせているのがわかる。
本当に、どこまでサガに仕込まれたのやら。
肩から尻までの柔らかな曲線に欲情をそそられたカノンは無意識のうちにわいた生唾を飲むと、駄目押しで、ミロに問いかけた。
「お前こそ、本当に良いのかミロ。初めてがこんな…。」
言葉尻は声になることなく消えた。もう何度も繰り返した質問だった。
ミロは困ったように肩を竦めると、腕を伸ばしてカノンの首を手繰り寄せてキスをした。真昼を思わせる外見に似つかわしくない、手慣れた大人のキスだった。ミロは最後に甘噛みしたカノンの下唇からゆっくり唇を離すと、思わしげに溜め息をこぼした。
「俺は問題ないと言っている。そんなに嫌なのなら、別に、お前が身を引いても良いんだぞ?」
返答は一つだ。
「それだけは絶対に御免だ。」
表情を強張らせて言い張るカノンを、ミロは優しく抱き締めた。ミロからは、あの甘い林檎の香りがした。
「だったら、この方法しかないだろう。天下の黄金聖闘士が、まるで子どものような駄々を捏ねるな。聞き分けのない男はもてないぞ、カノン。」
「…お前だけにもてれば良い。」
そのまま、カノンがベッドにミロを押し倒したとき、無粋な声が割り込んできた。
「それで、話はついたのか?私はいつまで待たされなければならない?」
カノンは瞑目した。兄にはこれまでさんざん労苦を味わわされたが、これほど恨めしく思ったことはない。声を尖らせて皮肉っぽく言うサガを肩越しに睨みつけるカノンの下で、ミロが笑い声を立てると、上半身を起こした。
「サガ、」
執務室で過ごすことが多いせいでカノンより色は白いが、ギリシャ彫刻のようにバランスよく筋肉のついた美しい躯だった。海龍として荒波を潜り抜けなければならなかったカノンほどではないにしても、肌に薄く残る傷痕が歴戦を物語っている。偽りの教皇になる前に負ったものだろう。
サガとカノンを見分けることの出来るものは、少ない。小宇宙もよく似通っているので、ミロ以外の同僚にはいまだに良く間違えられていた。だから、自分と兄の外見の差異は、日に焼けた髪や肌、身にまとう服くらいのものだろうと高を括っていたカノンは、目に見える違いに改めて驚かされた。
ミロに腕を引かれたサガがベッドに片手をつき、唇を重ねた。首を傾け、背をしならせて応えるミロは、見たことがないほどの色気を滴らせて、傍目にもわかるほど発情している。今にも、サガに身を投げ出しそうだ。
深まる一方のキスに、傍観者のカノンは嫌気がさしてきた。
「…カノン、お前もさっさと脱いできたらどうだ。」
息継ぎの合間、サガが笑い交じりに言った。
「最初くらい、お前にやらせてやる。」
カノンの不満を見透かしたうえで、からかっているのだ。腹が立ったカノンは勢い良く立ち上がると、一刻を争うように急いでシャツを脱ぎすぎて、ベッドへ戻った。そんなカノンの様子に、ミロがからりと笑った。
「そんな急がなくても、逃げやしないぞ。」
ミロは目にアンタレスのような光を湛えて、頬を綻ばせた。いつもの無邪気な笑みではなく、ミロに似つかわしくない、少しばかり作為的な笑みだった。一瞬、ちらりと目を過ぎった感情は何だろう。カノンは真意を質そうとしたが、ミロがキスを強請って来たので、うやむやになった。
「カノン、俺が欲しいか?」
「欲しい。」
晴れやかにミロが笑った。
「ならば、欲しいだけ奪えば良い。お前が俺のものであるように、俺もお前のものだ、カノン。」
カノンに跨ったミロは、ついばむようなキスを施しながら、背後から覆いかぶさって来たサガに促されて腰を浮かせた。サガがローションを所持していた事実に、カノンは少なからずショックを受けたが、ミロが驚かないのを見ると、別段驚くべき点でもないらしい。その指が尻に這わされても、ミロが驚いた様子はなかった。それどころか、サガが慣らすのを手助けするように、ミロの左手は尻に添えられている。
本当に兄はどこまでミロを仕込んでいるのだろう。
カノンはかなりの不安に駆られたが、そんな心配も快楽の前には霧散した。
かすかな水音とあえかな息と共に、いつもはきりりと勇ましいミロの眉根が寄せられる。唇から鎖骨にキスの矛先を移していたカノンは、わずかに身体を強張らせて快感に溺れるミロにどうしようもなく劣情を掻き立てられた。ミロの痴態に反り返ったものは、腹部でこすられるだけで解き放ってしまいそうだ。
それはまずいとなけなしの矜持に駆られてミロの足の付け根に手を伸ばすと、ミロが身体を跳ねさせた。ぬるつく熱いものが糸を引いてカノンのものに滴り落ちる。カノンは指の動きに沿って形を変える乳房に舌を這わせながら、今度は、しとどに濡れた部分を指の腹でさすった。ぴんと張り詰めた頂きを摘まめば、ミロが身を捩り、あられもない嬌声を上げて、感じていることを知らせてくる。
カノンは得意満面でミロを苛んだが、サガの命令に水を差された。
「もう良いだろう。ミロ、こちらに来なさい。」
いつものミロならばサガの命令口調に不満そうな顔を見せるのだが、ベッドでは別だった。カノンには、むしろ嬉々として命令を受け入れているようにさえ見えた。長年築き上げた力関係の賜物だろう。
サガに促されたミロは、首に腕を絡めキスをしながら、腰を落としていった。
サガのものはカノンと同じサイズで、それなりに大きい。それを受け入れる怖気にも似た快感に、ミロの肌は粟立ち、腰はうねった。食いしばった歯の間から、抑えようもなくこぼれおちる啜り泣きめいた喘ぎ声が、カノンをひどく興奮させた。ギンギンである。思わずカノンは、ローションで慣らされたそこがサガのものを呑みこんでいく様を、固唾を飲んで見守ってしまった。
やがて根元まで深く咥えこんだミロは、眦を赤く染めて、いささか焦点の合わない目でカノンを見つめた。
「カノン、も…、」
カノンの愛撫で充血しきったそこがよく見えるように両膝を立てたミロは、早くも、サガに背後から抱え込まれてゆっくり揺すられ始めている。着痩せしているわけでもないだろうが、意外と豊満な乳房を上下に揺らし、髪を振り乱して感じ入る様子は、健気で儚げにすら見えた。
しかし、その羞恥に伏せられたきらめく目の奥に蠍の毒を見て取ったカノンはわずかに身震いした。恐怖からではなく、期待ゆえだった。ミロはカノンを手放すつもりなどない。どんな手を使ってでも、浅ましい手練手管を用いてでも、カノンを自分の手元に留め置くだろう。同時に、ミロは惜しみなく自分自身をカノンへ分け与えるに違いない。
先ほどのミロの台詞がこだまする。
ミロはカノンに、逃げても無駄だと宣告した。一度手にしたものを手放すつもりはない、とも。
愚息以上に、胸が熱くなった。
「カノン、早く…ッ!」
痺れを切らしたようにミロが叫んだ。今度は、本物の悲鳴に近かった。非難めいてもいた。
呼びつけられたカノンはぬかるむそこへ先端を押し当てると、ミロの肢体を掻き抱き、衝動のまま無分別に挿入した。いきなり根元まで勢いよく埋め込まれたミロが、浅い吐息を漏らして、がむしゃらにしがみついて来る。きつく立てられた爪先が皮膚を掻いたが、カノンは気にしなかった。それよりも、あまりの気持ち良さに、吐精しないよう自制しなければならなかった。
今のカノンの気を引くには、爪先を立てるにしても、スカーレットニードルくらい痛みを伴わないと難しいだろう。
すべてを惜しまないサガが、どうしてミロだけは手放せないのか、痛いくらいわかった。矢に盾もたまらない様子で、額に玉のような汗を浮かべ、項に髪の束を張りつけて喘ぐミロは、世界一純粋で、淫蕩なくせに気高かった。奴隷のように従順かと思えば、女王のように隷属を要求してくる。一瞬ごとに魅せる煌めきは、まさに、アンタレスだ。
そのとき、カノンとサガの目が合った。いつもの聖人君主然とした表情をかなぐり捨て、雄の顔でミロの首筋に舌を這わせていたサガは、わずかに肩を竦めてみせた。
『言っても、お前は引かないだろうな?』
『当然だろう。』
わずかな沈黙の後、サガの念話が届いた。
『…ミロが目にかけた存在が、お前で良かったというべきなのだろう。』
カノンは無言でサガを見返した。同感だった。カノンも、ミロが目にかけた存在がサガ以外であれば、有無を言わさず殺していたかもしれない。
けっしてミロの言葉に絆されたわけではないが、今はサガと共有でも良いという結論に気持ちが傾いていた。ただ一人きりの、血を分けた兄弟なのだから。
それに、ミロの惜しみない愛情は、二分したくらいで底を尽きるような代物ではない。汲めども尽きぬ深い愛情から我が身を焦がした蠍のように、その命が尽きるまで、苛烈に与えられることだろう。
そのとき、ひときわミロの中がきつく締まり、身体が強張った。
「んっ…も、駄目、だ……ッ!」
ミロがぶるぶる身を震わせ、カノンの背を掻きむしった。
カノンは引き絞られるまま劣情を吐き出した。強烈すぎる快感に頭が真っ白になった。魂ごと持って行かれそうな悦びだった。何度か女と寝たことはあったが、これほど深い充足は初めての経験だった。
ミロの中はいまだ引き攣れを起こしたように慢性的にひくつき、最後の一滴まで奪おうとしている。
カノンは募る愛情のままミロを強く抱き締めようとしたが、あっさり拒否された。
「おっ、もい。退け。」
心ない言葉に、カノンは傷ついた。サガが笑い声を立てた。
このとき、ようやく、カノンは兄がかなり譲歩してくれていた事実に気づいた。初めてくらい思い人を思うさま堪能させてやろうという兄心だろうか。だが、今後はベッドでの主導権を競って相争うのかと思うと、この先が思いやられた。
肩を震わせて荒い息を吐いていたミロは、カノンを押し退けると、膝立ちで馬乗りになり、キスで赤く腫れた唇をぺろりと舐め上げた。眼にはアンタレスのように紅い情欲が燃え盛っていた。
「まだまだ夜はこれから、だろう?」
もちろん。
カノンは呆れたように笑って、ミロを掻き抱いた。
翌朝、カノンは寝乱れたベッドに腰をかけ、大きく伸びをしていた。寝不足と軽度の二日酔いに、頭が痛んだ。カノンは軽く頭を振ると、シャワールームの方を見つめた。今は、サガの先導でミロが入っていた。二人で、ナニをしていることやら。カノンは再び軽く頭を振ると、キッチンへ向かった。そろそろ朝食の準備をしなければ、任務に遅刻してしまう。
欠伸を噛み殺して、フライパンの淵に卵を打ちつける。
昨夜は痴態のオンパレードだった。それが、朝方まで続いたのである。もともと自由奔放なところがあるのは知っていたが、ミロのベッドでの奔放さは予想以上だった。しかも、黄金聖闘士の任に務まるくらい体力があるのだ。サガと二人がかりでなければ、今ごろ、カノンは性も根も尽き果てて寝込んでいたことだろう。
曲がりなりにも黄金聖闘士筆頭として、カノンも体力にはかなりの自信があったのだが、そのカノンですら、あまりにも経験の差が歴然としていたために、何度もベッドから振り落とされそうになった。いたいけなミロに色々教え込むとは何たる犯罪者だ、と、昨夜サガを非難したが、この分では、ミロに付き合わされたのかもしれない。考えてみれば、黒い方のサガも野望に取りつかれていただけで、意外と常識人である。
おそるべし、ミロ。
フライパンに卵の中身を開けると、二黄卵だった。
偶然に違いないのだが、何となく、これから先もサガと生きていくよう啓示を受けたようで、カノンは頬を綻ばせた。もっともミロがいる限り、もう二度と道を分かたないだろう。一蓮托生。ミロが双子のものであるように、双子もまたミロのものなのだ。
だが、そんな先のことを思い煩う前に、今日の仕事である。
「あいつら、ナニしているんだ、本当に…。遅刻する気か。」
時計に一瞥投げかけたカノンは、やけにシャワーに時間のかかっている二人を呼びに向かうのだった。
初掲載 2013年1月20日