短文:6


 聖戦後、カノンが聖域に復帰してから一年の月日が流れ、愚弟由来のストレスでサガの顔色がきれいな青緑色に染まった頃。
 サガが倒れた。
 もともと、ストレスが高じてサガの乱を引き起こしたような繊細な神経の持ち主である。必然とも言える、当然の結末だった。
 そうなると、困るのはシオンだ。サガを教皇代理に指名し、仕事をまるっと全部押しつけて楽隠居していた教皇のシオンは、滞在先のジャミールでどうしたものかと逡巡した末、サガの弟カノンに白羽の矢を立てることにした。
 誰もが知るとおり、カノンのスペックはサガと同じである。また、サガとは比較にならないほどふてぶてしい性格をしている。胃潰瘍で体を壊すことはないだろう。
 海龍時代に采配を振るっていたため部下を動かすことには手慣れているし、サガと違って同僚や部下にしがらみがない分、変な気遣いをしたりせず、効率よく仕事を推し進められることだろう。
 最初からこうすべきだったのかもしれない、と自分の人選に満足していたシオンは、夕飯の席でその案を聞かされた愛弟子のムウから水を差され、顔をしかめた。
 すっかり失念していたが、カノンはミロと出来ているのである。
 無駄にスペックが高く類まれなほど有能なだけあって、カノンはひどく傲慢で扱いづらい性格をしているのだが、どういうわけか、黄金聖闘士としての矜持は高いものの実直で協調性もあり同僚からとても好かれている、という、カノンとは正反対を行くミロと付き合っていた。
 ムウ曰く、カノンの一目ぼれらしい。聖戦の最中に、しかも必殺技を喰らっているときに何現をぬかしている、と悪態を吐きたくなるような話である。胸糞悪い。
 カノンがアテナに並々ならぬ恩義を感じ、そのために、聖戦で馳せ参じてからというもの聖域のため身を粉にして働いているのは周知の事実だが、それ以上に、ミロに心酔しきっているのは伝説級の有名な話である。
 そんなカノンが、否応なしにミロと過ごす時間が割かれてしまうような教皇代理職を引き受けるだろうか、というムウの指摘に、確かに、とさすがのシオンも納得させられるものがあった。
 しかし、サガが復帰するまでは、望む望まないにかかわらず、教皇代理を務めてもらわなければならないのだ。250年にわたって働きづめだったので、死んだのを機に、シオンはまだまだ遊んでいたいのである。
 大体、サガが倒れた原因はカノンではないか。


 と、いうわけで、教皇代理職に無理矢理就任させられたカノンだったが、もちろん、心の中は不満でいっぱいだった。
 何ものよりもいとしいミロと過ごす時間が減るのだ。不満でないはずがなかった。
 しかも、この教皇衣裳…まるでサガではないか。こんな衣裳をまとっていては、カノンの燦然と輝く美貌もいささか精彩を失うというものである。
 これが身から出た錆でなければ、カノンは頑として教皇代理職を引き受けなかっただろう。
 積年の恨みがあるとはいえ、サガをいびるのはもう少し控えた方が良いのかもしれない。
 カノンは執務机で書類の山を片手間にやっつけながら、ちらりと時計に一瞥投げかけ、いとしいミロのことを考えた。
 いつもであれば、そろそろ二人きりのランチタイムをすごす時間だ。
 カノンの手料理を美味しいと言って、意外にも洗練されたテーブルマナーで残さず食べるミロ…そんなミロの美味しそうな口元に目を奪われていると、やがて視線に気づいたミロが顔を赤くして、そして…。
 ああ、駄目だ。
 ミロにキスしたくてたまらない。
 さすがに真昼間から抱かせてくれとは言わないから、キスをさせてくれ。
 カノンが大きく溜め息を吐いたとき、執務室の扉がわずかに開かれ、聞き慣れた声が響いた。
 「カノン、いるか?」
 ミロ会いたさに幻聴が聞こえてきたのかと思ったが、そんなことはなかった。
 「ミロ!」
 決まり悪げにミロが言う。
 「会いに来てしまった。もう昼食は済ませてしまったか?」
 「いや、まだだ。」
 「ならば一緒に食べよう。」
 ミロは侍女に用意してもらったランチをテーブルの上に広げると、カノンがやって来るのを待った。当然、カノンはやりかけの仕事もそっちのけで急いでミロのそばへ駆け寄り、向かいではなく隣に腰を下ろした。隣の方が、距離が近いためミロに触れる機会が格段に増えるからだ。
 この1年あまりの付き合いでそれがわかっているからか、ミロは耳に心地よい笑い声を立てただけで何も言わなかった。
 食前酒代わりのキスをしても怒られないのは、この1年の調教の成果である。最初の頃は平手打ちを喰らった後に声を大にしてののしられたことを思えば、格段の進歩である。
 しばらくの間、カノンはミロと離れていた数時間あまりを埋めようと甘いキスを続けていたが、それ以上に及びたくなったので、惜しみながらも唇を離した。ここが天蠍宮や双児宮ならばともかく、ふだん兄が詰めている執務室で事に及ぶのはさすがのカノンも気が引けたのである。
 それから、カノンはいつもどおり、いや、数時間離れていた分も上乗せしていつも以上に甲斐甲斐しくミロの世話を焼いたのだが、ふと、ミロの様子がおかしいことに気づき眉をひそめた。
 何かというと、ミロがきらきらした眼差しをカノンに向けているのだ。
 愛するミロから見つめられて嬉しくないことはないのだが、これまで日蔭者に徹してきたカノンにとって、率直な尊敬の念を湛えた眼差しはいささか居心地が悪かった。
 「どうかしたのか?」
 さすがに見かねて問いかけると、ミロはハッとした様子でカノンから目を逸らし、気恥ずかしげに顔を俯かせた。
 ここが教皇宮でなかったら確実に押し倒していたくらい、どうしようもなくかわいかった。
 「昨日から言おうと思っていたのだが。」
 「何だ?言ってくれ。」
 「教皇代理を任されるなんて、カノンは本当にすごいな。さすが俺が見こんだ男だけのことはある。俺はそんなすごい男とともにいることが出来て幸せだ。カノンのことを誰よりも誇りに思う。」
 まさかの愛の告白だった。わずかに頬を赤らめ、素直に想いを伝えてくるミロは犯罪級にかわいかった。カノンはもんどり打ちたい気持ちを必死に殺さなければならなかった。
 ミロが喜んでくれるのならば、このまま教皇代理職でも悪くないかもしれない、という考えがカノンの頭に兆したのは言うまでもなくこのときだった。
 教皇代理はあくまでも教皇の代理だが、ゆくゆくは教皇になることが前提の代理である。
 教皇ともなれば、現状シオンとサガに分散されてしまっているミロの尊敬と愛情がないまぜになった眼差しを一身に浴びることができる。
 その上、教皇宮には、サガが正体を隠していたときに作らせた豪奢な大理石の浴槽もあった。あそこでミロを抱くのも、教皇ならではの特権である。
 今はまだ代理なので融通の利かない部分が多いが、教皇ともなれば、いろいろ小細工を弄してミロと過ごす時間を以前以上に増やすことも不可能ではないのではないか。雑務など、今のシオンが楽をしているように、適当にサガにでも投げておけば良いのだ。
 カノンはそろばんを弾いて結論を下すと、あまりのあいらしさに我慢しかねたため、ミロを掻き抱いて熱烈なキスをした。
 ためらいがちに、ミロの腕が背へ回される。いつものことながら、この最初に見せるミロのためらいが、カノンは好きだった。もう少しすれば、ミロは熱に浮かされ、体裁など忘れてカノンによがりつくのである。
 カノンに言わせると、黄金聖闘士として屹然とした態度のミロと奔放に乱れるミロのそのギャップがものすごくたまらなかった。
 当然、そうなると、午後は執務にならないが、いずれはそれが日常になることを考えれば、今から算段を立てて置かなければ。
 「ミロ、お前にも良いように計画してやるからな。待っていろ。」
 「?良くわからんが、お前がそういうならばそうなのだろう。」
 全幅の信頼を寄せて、ミロが微笑む。
 その笑顔に突き動かされ、海龍というよりも悪魔のようなカノンは、兄の顔色を更なる青緑にすべく策を張り巡らせるのだった。











初掲載 2013年3月12日