短文:5−1


 この日、カノンはGUNMAに来ていた。
 なぜこんなことになったのか、理由はわからない。
 ともあれ、アテナの護衛に就いていたミロが帰って来るなり、カノンに有休を突きつけ、「アテナの母国に行くぞ。」と言いだしたのがきっかけだった。自責の念からまともに休暇を消化しないカノンを見かね、アテナが無理矢理にでも休ませようと画策したのかもしれなかった。
 だが、よりによって、同伴者がミロとは。しかも、聞けば、旅先のKUSATSUとは日本屈指の温泉街だというではないか。
 アテナは何を考えているのだろう。内心、カノンは苦虫を噛み潰したような顔になった。カノンがミロに恋をしているのは、周知の事実である。正直、二人で旅行になど出向いて、本能を御しきれるのかはなはだ自信がなかった。
 しかし、温泉でほんのり肌を上気させたミロがJAPANの民族衣装をまとった姿…これは、ぜひとも見たい。
 カノンは逡巡した末、無碍に断るのもためらわれ、同じくワーカホリックで無類の入浴好きな兄を誘うことにした。
 ならば、と言って変な対抗心を燃やしたミロがシュラを誘ったのが運のつき。
 二人きりのはずだった旅行は、アフロディーテが増え、デスマスクも自主的に加わり、気づけば、慰安旅行の様相を見せていた。


 「何だ。意外に良いところじゃねえか。もっと山奥の寒村を想像していたぜ。」
 そう言ったのは、デスマスクだった。
 旅館の部屋に案内されたあと、ミロと我先に室内を検めたデスマスクは、「思ってたよりひどくねえ。」と失礼な言葉を呟きながら、窓の外を眺めていたが、何の前触れもなくテンションを上げたかと思うと、備えつけの浴衣とタオルを手に室外に向かった。
 「おい。アフロディーテ、シュラも来いよ。混浴だ!」
 「…お前はもう少しそのにやけ面を改めた方が良いと思うよ。」
 「まったくだ。」
 ぼやきながらも、アフロディーテとシュラがデスマスクの後に続いた。なんだかんだいって仲の良いトリオである。
 「遅れをとるわけにはいかないな。私も行くとするか。」
 サガがいそいそと出払ってしまえば、室内にはカノンとミロの二人きりである。初っ端危地に陥ったカノンは、さてどうしたものかと頭を悩ませた。
 想像では、もう少し、性に合わない団体行動を続けるつもりだったのだが。
 面子が年中組と双子の兄、という時点で詰んでいた気がしないでもない。
 「何だ。もうあいつらはいなくなったのか。」
 奥に引っ込んでいたミロが姿を現した。呆れたような顔をしているが、その眼はきらきらと輝いている。
 「何かあったのか?」
 「奥に露天風呂があるのだ。2人くらいまでならば入れるぞ。」
 「」
 さっそく、ピンチがクライマックスである。カノンは焦った。
 「…折角だが、俺は辞退させてもらおう。」
 一体、この言葉を言うだけでどれだけの覚悟を必要としたことだろう。
 しかし、カノンが血涙を流す決意でミロとの混浴を断念したにもかかわらず、ミロはあっけらかんと却下した。
 「つまらんやつだな。せっかく温泉街に来たのだ。お前も来い。」
 無頓着に手首を掴まれて、心拍数が跳ね上がる。
 あれよあれよという間に服を脱がされ、気づけば、木の香りがする露天風呂の中だった。
 日頃の疲れを癒されるべきなのだろうが、隣でNIHONSHUを手に屈託なく笑うミロにカノンは全身全霊をかけて神経を張りつめさせなければならなかった。一瞬でも気を抜いたが最後、同僚に欲情した事実を想い人に見咎められてジ・エンドである。
 しかし、なぜ、JAPANなのだろう。しかも、GUNMA、KUSATSU指定だ。
 カノンにはアテナが何を考えているのか見当もつかなかったので、現実逃避の意味も込めて、ミロに尋ねてみることにした。
 「なぜ、KUSATSUなんだ?」
 真っ直ぐ前を見つめたまま、自分の方を見向きもしないカノンに、ミロはいぶかった様子で小首を傾げた。くそっ、かわいい。内心、カノンは身悶えた。
 「ここは湯治場らしいな。」
 湯を手で掬いながら、ミロがこぼす。
 「ここでも治らなければ諦めた方が良い、とアテナがおっしゃられたのだ。」
 「どこか怪我でもしたのか?」
 もしや、聖戦のときの負傷がいまだに響いているのでは。にわかに顔色を失い問い詰めるカノンに、ミロはらしくないことに言葉を濁しながら、手を振ってみせた。
 「いや、怪我というわけでもないのだが…。」
 「ならば、何だ。」
 「どうも最近…、」
 そこで溜め息をこぼすと、ミロは無念そうに頭をふった。
 「博識なお前ならば知っているかもしれんな。俺はアテナに教わったのだが、JAPANではこういうらしいぞ。」
 その真っ直ぐな視線に射竦められそうだった。
 混ざり気のない空色の眼差しをカノンに注いだまま、ミロはカノンの頬に手を添え、口端を皮肉げにつりあげた。
 「お医者さまでもKUSATSUの湯でも、惚れた病は治せん、とな。」
 ふいに視界が肌色にぼやけたかと思うと唇に柔らかな熱を覚え、カノンは卒倒した。


 サガたちが戻って来ると、カノンが布団に横たわり魘されていた。筋の通った鼻には大量のティッシュが詰められ、真紅に染まっている。
 一体何事があったのかと弟の容体に驚いたサガが問うと、ふてくされて浴びるように酒を飲んでいたミロは不満そうに頬を膨らませながら答えた。
 「さあ、のぼせたのだろう。露天風呂に入っている最中、急に倒れた。頭を打ちつけてこのざまだ。どういうわけか鼻血で湯は赤くなるし、さんざんだ。」
 まさか、露天風呂に浸かっていて流血沙汰になるとは思うはずもない。ミロが戸惑いながら怒るのも当然だった。
 しかし、聞き咎めたアフロディーテがミロを肘で突いた。
 「…ミロ、カノンと二人で入ったのかい?」
 「?そうだが、何か問題でもあるか。」
 「いや…。」
 それはカノンも災難だったことだろう。カノンがミロに焦がれていることは、聖域では知らぬもののない事実だ。
 カノンの胸中を憂い嘆息するアフロディーテに杓をせがみながら、ミロは宣言した。
 「だが、俺の腹は決まった。あとは攻め落とすだけだ。」
 アフロディーテも、何を、とは聞かなかった。無粋な真似はしたくない。
 幸か不幸か、魘され続けるカノンがミロの公約を知ることはなかった。











初掲載 2013年3月2日