短文:4


 ふと、唇に熱を感じた。
 麗らかな日差しを浴びながら、天蠍宮の中庭で心地よい眠りに身を任せていたミロは、長い睫毛を瞬かせ、眼前の男を疎ましそうに見つめた。
 人の気配にまったく気付かないほど不用心でもないので、朴念仁のミロもさすがにキスされたことだけは理解出来た。
 だが、何が嬉しくて、同僚の同性にキスされなければならんのか。
 「…お前は誰にでもこんなことをするのか?」
 聖戦後、否応なしに親交を持つことになった双子座の黄金聖闘士カノンは、どういうわけか、ミロをからかうのが楽しくて仕方ないらしかった。
 あまりにわざとらしい挑発に怒る気も失せて呆れるときもある。
 女装に身をやつしたカノンを見たときはそのパターンで、ミロが呆れた調子で聖闘士の手本たる黄金聖闘士が女装とは何事かと説教を始めると、カノンはあざやかすぎる口紅を塗った唇を吊り上げて、失敗を嘆いた。
 ならばこれはどうだ、と、披露されたキグルミ姿が貴鬼に大ウケだったことは記憶に新しい。呆れてものも言えず、ミロは注意する気すら起こらなかった。
 今回も、ご多分に漏れずそのパターンだろう。
 軽い眩暈のする頭に手を当てながら嘆息すると、
 「そんなことはない。」
 即答だった。ミロはいつになく真剣な表情を浮かべるカノンを一瞥し、「そうか。」と、なおざりに答えた。
 会話が途切れた。
 そうか、の一言で終わったカノンにしてみれば、実に居たたまれない沈黙だった。
 幸か不幸か当事者であるミロは知らないが、カノンがミロに並々ならぬ好意を寄せていることは公然の秘密である。
 最初から道を踏み外していたカノンの想いは、同僚という身分を得て、ミロの人となりをよく知るうちについには引き返せないレベルにまで至っていた。カノンがミロの前で醜態を晒し続けているのも、何ということはない。小学生が好きな女の子の気を引こうとして、必死に羽目を外すのと同じ理屈だ。
 平時のカノンは、相手にまったく興味がないために無表情か、自分の実力を鼻にかけて嘲笑を浮かべているかのどちらかで、愛想の欠片もないので、同僚たちからするとカノンの言動はとても見られたものではなかった。デスマスクやムウなどはあからさまに辟易しているようであった。
 人目を忍んで生きてきたため感情表現が下手なカノンと正反対に、解放的に見えて、意外と余裕な表情を崩さないのがミロである。黄金聖闘士としてかくあるべき、という理想が強いのもあるのだろうが、それ以上に、不穏な聖域で暮らす上で無意識のうちに身につけたミロなりの処世術だろう。
 カノン曰く、ミロのその余裕を崩すのがたまらなく楽しいらしい。
 その後、カノンが、年相応の振る舞いをしろ、と、双子の兄に怒られたのは言うまでもない。
 「お前は俺のことをどう思っているんだ?少しは気にかけてくれているのか?」
 沈黙に耐えかねて口を開いたカノンに、体を起こしたミロは瞬きを繰り返してから口端を緩めた。
 「知りたいか?」
 「ああ。」
 「知ってどうする?知って諦めるくらいならば、最初から手を出すな。いい迷惑だ。」
 にべもない返答をして、ミロが立ち去ろうとする。咄嗟にカノンはミロの手を引いて抱き締めていた。
 心拍数が飛躍的に高まり、鼻先をかすめるミロの甘い体臭に頭がくらくらした。我に返ったカノンはミロを放そうとしたが、どうにも手放しがたく、逆に抱き締める腕に力を込めた。
 もともと、待ちより攻めの方が性にあっている。それに、ミロが言うとおり、仮に拒まれたとしても諦める気など更々なかった。
 指摘されて今更ながらにそのことに気づかされた。
 腕の中からねめつけてくるミロの唇を盗むと、カノンは精一杯余裕ぶって笑いかけた。
 「そんなことを言って、本気で嫌ではないくせに。もっと素直になったらどうだ。」
 「ほざくな。」
 思い切り足を踏まれた。仕返しにカノンはミロの体を抱き上げると、寝室目指して室内に向かった。
 ミロが満足そうにのどを鳴らした。


 人目を忍んで生きてきたため感情表現が下手なカノンと正反対に、解放的に見えて、意外と余裕な表情を崩さないのがミロである。
 カノン曰く、ミロのその余裕を崩すのがたまらなく楽しいらしい。
 しかし、最近、カノンの奇行はなりをひそめていた。
 不穏に思った同僚がミロのいない隙に問いかけると、カノンはにやにや嘲笑を浮かべて自慢たらしくご高説を垂れた。
 「あいつの余裕が崩れるさまは、ベッドで十分見ているから良い。俺の大事なミロをお前たちに見せてやるものか。」
 十二宮にいたたまれない沈黙がおりた。
 その後、カノンが、年相応の振る舞いをしろ!と、双子の兄にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。











初掲載 2013年3月2日