短文:3


 生来の生真面目さから厳めしい表情をしていることの多いミロだが、最近、傍目にもわかるほど腑抜けた表情を浮かべることが多くなった。理由はわからないが、サガが現れるたびにぼんやりするのである。
 最初に、「腑抜け」と評したのは辛口のシャカだった。ミロの状況にもっと的確な単語は「うっとり」だ、と反論したのはムウだ。いずれにせよ、ミロの眼差しが危うい熱を帯びていることは歴然たる事実だった。
 そんな状態が半月続いた。
 もしやミロはサガに恋でもしているのではないか、と白銀聖闘士たちの間で噂が流れ始めたのは、ミロの夢見心地な眼差しを目にすれば、責められない結果だった。付き合いの長い黄金聖闘士たちからすれば、このようなミロの――あるいは同僚である黄金聖闘士連中の――奇怪な行動など日常茶飯事すぎて、そんなわけあるか、という結論にも至るのだろうが、生憎、白銀聖闘士たちはそこまで黄金聖闘士に親しんでいない。
 その白銀闘士から青銅闘士の氷河、海闘士のアイザックを経て、ミロの恋心を耳にしたカノンは、当然、面白くなかった。
 このカノンという男は、感謝が高じて、スカーレットニードルを打ち込まれた痕をキスマークもかくやというほど後生大事にしているくらい、ミロに首ったけなのである。
 しかも、聖戦を経て多少軋轢が緩和されたとはいえ、カノンとサガの仲はよろしくない。
 崇拝するアテナに匹敵するくらい敬愛する想い人が、大嫌いな兄に――その上、最悪なことに自分と瓜二つの顔の持ち主に――想いを寄せているというのだ。世界制覇を目論んだこともあるくらい高い自負と矜持、それに見合うだけの実力を持つカノンが胸糞悪くならないわけがない。
 サガなど、海の藻屑に消えれば良いのだ。あんな二重人格の露出狂は、ミジンコを恋人にするのが関の山である。ミロなんて、もったいない。


 何とかしてミロの目を晴らさなければ、と、海底から帰って来たばかりのカノンは鱗衣を脱ぐのももどかしく、途中立ち寄らざるをえなかった双児宮で就寝中の兄に不意打ちをしかけ異次元に放り込むと、意気込んで天蠍宮へ向かったが、実際に想い人に対面すると、どうにも、ミロへの思いの丈が募りすぎて糾弾するには至らなかった。
 「…やっと海底から帰ったのか。遅かったではないか。」
 「すまん。」
 ミロが眠たげに目をこすりながら言う。
 そういえば、まだ夜明け前だった。噂を耳にした衝撃で海底を飛び出し昼夜問わず聖域を目指したため、こんなに薄暗いとは、興奮のあまり気づけないでいた。
 非常識なやつだと思われなければ良いが、と不安に駆られてミロの様子を探ったカノンはキューピッドの矢に心臓を射抜かれた。
 聖戦後、もう何度ミロへの恋心を新たにしたかわからない。毎日がミロへの恋に落ちるジェットコースター、いや、綱なしバンジージャンプとでも言うべきか。
 ともあれ、寝起きばななで欠伸を噛み殺すミロの伏し目がちにした眼は涙に濡れ、あらぬ想像を掻き立てる妙な色香があった。カノンはドギマギしながら、説得するためミロの肩を掴んだ。別に、理由など関係なしに触れたかったとかそういう甘酸っぱい理由ではない。断じて、違う。
 「…ミロ、お前の噂を聞いた。」
 「噂?俺が噂になっているのか?」
 「お前は、」
 サガのことが好きなのか、と尋ねるのは直球すぎていただけない。何より、これで頬を紅く染めながら肯定されでもしたら、カノンの心は二度と浮上できないだろう。ショックのあまり、教皇時代のサガのように黒くなってしまうかもしれない。
 「いや、何でもない。」
 カノンは問いかけを呑みこむと、逡巡の末、ここは言葉で説得するよりも行動で訴えた方が得策と結論を出し、ミロの体を掻き抱いた。
 夢にまで見たミロとの抱擁である。おそらく、寝不足ゆえのアドレナリン分泌過多もものを言ったのだろう。カノンはひしとミロを抱き締めたまま、その耳元に囁いた。
 「ミロよ、俺では駄目なのか。」
 「え?な、何だ急にやって来るなり、お前はっ!」
 腕の中でミロが暴れ出す。しかし、離してなるものかとカノンは腕に力を込めた。無論、同じ黄金聖闘士とはいえ、生身で寝ぼけ眼のミロの抵抗など、鱗衣装着済のカノンが本気を出せば、赤子の手を捻るようなものだ。
 やがて、ミロは諦めたのか体から力を抜いた。自意識過剰かもしれないが、どこか甘い空気が漂い始めた気がした。見えずとも、抱き締め返すべきか、戸惑うように脇で軽く握られたミロの両手のこわばりが感じられ、カノンの幸福指数はうなぎ昇りだった。
 慎重に、言葉を選びながらカノンは話し始めた。
 「サガではなく、俺を選んでくれないか。お前があいつの方が良いというのならば、サガのような振る舞いでも何でもする。全身全霊を賭して、サガになりきってみせると誓おう。」
 「なぜ、お前がサガになりきろうというのだ。」
 「…決まっている。お前に愛されたいからだ。」
 とうとう、言った。言ってしまった。
 後戻りできない状況に、カノンは吐き気すら覚えた。もしかすると、これまで同様単なる同僚ポジションの方が良かったのかもしれない。
 カノンにとって、これ以上の譲歩はなかった。ミロを慕い始めた契機は、スカーレットニードルによる断罪だが、恋した要因は、ミロが他の誰でもない、カノンをカノンとして、受け入れてくれたからだ。
 それが、今では、本末転倒で、ミロに愛されるのならば自我すら捨てようという決死の覚悟である。どれほどカノンが必死なのか、覚悟のほどが知れようというものだ。
 極度の不安から混乱し始めたカノンの身体を、前触れもなしに、ミロが突き飛ばした。鱗衣をまとっているにもかかわらずたたらを踏むほどの勢いで突き飛ばされたカノンは、ミロの様子を見て顔色を失った。なぜならば、ミロは聖戦時もかくや鬼の形相だったからである。
 「ならば、俺の返答は一つしかない。そんなもの、却下だ!俺は御免こうむる!」
 TPOを全く考慮しない、夜更けの聖域にこだまするほどの大きな声だった。ミロは悔しそうに唇を噛み、頭をふった。
 「なぜ、お前のままではいけないのだ…!俺は…カノン、お前が良い、お前が好きだ!!」
 ミロの耳は赤く染まっている。
 ミロが嘘をつけるほど賢しらでも、世渡り上手でもないことを嫌というほど承知しているカノンは、感極まって、ミロを天蠍宮の床に押し倒した。絶対、アドレナリン過多のせいだと思われる。
 カノンにしてみれば、大型犬が飼い主に褒められて喜んで押し倒したていどのつもりだったのだが。
 「…朝っぱらから止せ。」
 頬を染め、気恥ずかしそうに顔を逸らしたミロに心臓を射抜かれ、理性が臨終した。
 しかし。
 「カノン、貴様、よくも異次元送りにしてくれたな…!!」
 今まさにイイコトに突入しようとしていたカノンの意志を、双子座の黄金聖衣をまとったサガが挫いた。見事なまでの因果応報だが、イイコトに勤しみたいカノンはそれどころではない。
 この直後、双子の不毛な千日戦争が展開されることとなる。


 「昨夜はお楽しみでしたね。」
 アテナが微笑みながら言うと、隣にいたムウがすかさず口を挟んだ。
 「アテナ、あれは夜という時刻でもありませんでしたが。」
 「あら、そうだったかしら。ずいぶん遅い時間のように感じましたが。」
 実際、サガを退け、呆れた様子で兄弟喧嘩を眺めていたミロと楽しめたのはすっかり明るくなってからなのだが、アテナが知る由もない。
 ひとしきりムウと会話し終えたアテナは、久しぶりに姿を見せた双子座の黄金聖闘士の片割れカノンへ満面の笑みを向けた。
 「ともあれ、無事に帰還されたことを心より嬉しく思います。ミロもずいぶん喜んだことでしょう。サガを見ては、あなたのことを思い出して浮ついていたようですから。ふふふ、愛らしい。」
 「初恋、ですから。」
 嘆息交じりに言ったのは、アテナの護衛の任についているカミュだ。
 ミロの初恋、という響きに、カノンのテンションが上がった。
 「それで、ミロの初恋は実りそうですか?」
 「任せてください。」
 「ミロはあなたを直視できるようになったのでしょうか?サガばかり見つめていて、噂が立っていたようですが。」
 「アテナよ、ミロはこのカノンのことが好きすぎて直視できなかったようです。…ふふ、愛いやつです。」
 「もう一度海底にでも行って頭を冷やして来たらどうですか。」
 ムウがぴしゃりと言って黙らせようとしたが、浮つくカノンに効果のほどはなかった。











初掲載 2013年2月27日