俺は、未だ収容所から出たばかりで、世界が広いことも、戦う以外に為すべきことがあることも知らない子供だった時に、クイーンに拾われた。クイーンを前に、決して言いたくはないことだが、本当に幸運だった。おそらく、あの時、クイーンに見出され拾われていなかったなら、俺は驕ったまま不幸のうちに、闇社会しか知らずに死んでいただろう。
クイーンは血だらけになって蹲っている俺の、未だ小さく未熟な手を握って言った。優しく、まるで壊れ物に触れるかのような手付きだった。
「…もし良かったら、一緒に、来るかい?」
クイーンにしては控えめな誘いだった。もしかしたら、拒絶されるのを恐れていたのかもしれない。冴え冴えと月が輝き、それに映えたクイーンの白い面は、男性とも女性ともわからなかったが、人知を越えた美しさを湛えていた。
のろのろと俺はクイーンを見上げた。その全てに、魅了されていた。
俺は迷わずその手を握り返した。それが俺に出来る、クイーンへの了解の行動だった。クイーンはまず触れ合った手を、そして俺の表情の消え失せた造り物のような顔を見て、微笑んだ。笑っている筈なのに泣きそうなその顔を、俺は覚えている。
5年が経ち、俺はクイーンと背丈が並び立つまでになった。発展途上ではあるけれど身体はしなやかな筋肉に包まれ、男らしさを感じさせるようになった。そして少しばかりだけれども、ようやく、俺はクイーンの心を理解できるようになっていた。
あの時、クイーンの灰がかった美しい瞳には、憐憫とも悲哀ともわからない感情が浮かんでいた。それは幼くして血にまみれた俺と、そして昔のクイーン自身を見つめていた。俺は、知っている。
「クイーン、そんなところで寝ると風邪ひきますよ。」
リビングで寝たところでクイーンも自分も風邪をひくなどとは到底思えなかったが、俺はソファに丸くなったクイーンを軽く揺すった。小さくもう少しだけという呻き声が聞こえてくる。俺はクイーンのもう少しが、少しどころではないのを知っていたので、抱えてクイーンのプライベートルームまで連れて行こうとした。数年後完璧なまでに封鎖されるそこは、未だ、鍵も掛かっていなかった。
俺は羽根のように軽いクイーンの身体を簡素なベッドに横たえて、ギリシャ彫刻のように整った白磁の額に流れる髪を梳いた。
彼とも彼女ともつかぬクイーンは昔と何一つ変わらず、不器用なまでに美しく、俺はいつしか親あるいは相棒以上の想いを寄せていた。いや、出会ったときからなのかもしれない。しかし死と直面した世界で生き感情を殺してきた俺は、自分の気持ちに気付いてはいなかった。
「クイーン、…おやすみなさい。」
その声が甘いことすらも、俺は知らなかった。
扉の隙間から射す光が細くなり音も立てずに閉まると、闇の中でクイーンが呟いた言葉も、もちろん、俺は知らなかった。おそらく聞こえていたならば、数年後の関係を早く、始めていただろう。
「………ジョーカーくんも、私が待っていることに早く気付いてよね。おやすみ。」
クイーンの了解を知って想いが叶ったのも、友人と言われるのが嫌でパートナーとわざわざ言い直す癖が付くのも、残念ながらもう少しばかり先の話だった。
初掲載 2005年8月2日