きみはもういない   ※死にネタ


 逃げ出した僕らは連れ帰され、その途中でナナミが僕に言った。
 「もし、この戦争が終わったら。」
 強張った表情からナナミが泣きそうなのを我慢しているのがわかって、僕は黙ってナナミの言葉の続きを待った。
 「もちろんこの戦争はさっさと終わらせるんだけど、この戦争が終わったら。」




 寒くなってきたから、僕は肩にかけた上着を胸元まで引き寄せ、ムクムクを抱きしめる手に力を込めた。ムクムクは僕の腕の中で庭を動き回る雀を見つめていた。
 「寒いね、ムクムク。」
 「キュ〜。」
 ムクムクは丸い瞳をクリクリと動かし、首を傾げた。その様子が可愛くて思わず僕は微笑んだ。
 夏から季節は移行し、冬が訪れ、僕はあの時よりも成長した。盛りだったから、身長だって伸びたし体重だって増えた。あの頃のナナミを追い越したから、もうナナミに細いだなんて笑われたりはしない。
 でも笑ってくれるナナミがいない。だから僕は、この街で待とうと思う。
 「僕はね。」
 僕は家の影に隠れているであろう彼を意識して、少しだけ大きな声で言った。
 「僕は、ナナミが戻ってきてくれると思ってるんだよ。」
 僕の言葉に隠れていることが不要だと感じたのか、相棒と旅に出たはずの青を纏った青年が姿を現した。予想では心配性の軍師がいると思っていたから、僕は驚いてしまった。そんな僕の様子に気付いたらしく、久しぶりに再会した青年が説明してきた。
 「シュウに頼まれたんで見張ってたんだがな。この調子だったらいらなかったか?」
 「そんなことないです、フリックさん。お久しぶりです。」
 僕の許からムクムクが飛び出して、フリックさんの足元に纏わりついた。フリックさんは昔から動物に好かれる性質らしく、それは傭兵という職をやっていく上でも役立つらしい。動物というのは、例えば乗り換えなければいけない馬や食料の位置を教えてくれる獣や――熊も含まれるのだろうか。笑みが込み上げてきたから、僕は抱えた膝を引き寄せて口元を隠した。
 「俺が言う筋合いじゃないが、こんなところにいてもあいつは…。」
 先程の独白を受けてだろうか。フリックさんが眉根を寄せて苦しそうに僕に言った。フリックさんは優しいから、本当はこんなことを言うのは嫌なんだろう。本当に、優しい人だと思う。
 「戻ってきます。」
 僕の迷いのない返答にフリックさんが何か言おうとしたけれど、僕は間髪入れずに言葉を続けた。
 「戻ってきます。だってナナミは約束したんだ。」
 僕は自分自身に言い聞かせるように呟いた。


 「もし、この戦争が終わったら。」
 強張った表情からナナミが泣きそうなのを我慢しているのがわかって、僕は黙ってナナミの言葉の続きを待った。
 「もちろんこの戦争はさっさと終わらせるんだけど、この戦争が終わったら。」
 ナナミは笑ったけれど、繋いだ手が震えていることに僕は気付いていた。
 ナナミは、何かを恐れている。――何を?
 ずっと、いつまでも一緒にいられると信じて疑わなかったその時の僕にはわからなかった。
 「またあの家で、ジョウイとピリカと。それからなんだったら、たぶん無理だけど、フリックさんとかビクトールさんと暮らそう。」
 それがナナミと僕との、未来に浸れた最後の瞬間だったように思う。


 「ナナミは戦争が終わったら、この家に帰ろうって言いました。帰ってこないはずがないんです。」
 ナナミは誰よりもこの家に帰りたがっていた。いや、この家にというよりは、この家にいた時に還りたかったのだ。僕とジョウイが決別して、国を挙げて戦う前に。
 フリックさんが現実を見ようとしない僕の様子に少しきつい、けれど思いやりを含んだ口調で言った。
 「辛いだろうが…ナナミは。」
 「ナナミは約束したんだ!!」
 僕の突然上げた大きな声にムクムクが驚いて走り去り、庭にいた雀は残らず飛び去った。その様子を視界の端に収めながら、僕は興奮からフリックさんを睨み付け、そして瞳を伏せた。フリックさんにあたるのはおかしいとわかってはいるけれど、どうしても堪えられなかった。


 あの後、フリックさんやビクトールさんを含めた皆が姿を消した戦争の後。戦争中は忙しくて考えないで済んだナナミの不在も事実として認識しなければならなくなり、僕はそんな現実から逃げ出した。逃げ出さなければ、潰されてしまいそうだった。


 重みを感じ伏せた瞳を上げると、いつの間に立っていたのかフリックさんが横にいて僕の頭を撫でていた。その優しい手付きに堪えきれずに僕の目尻から暖かいモノが流れた。頬を伝う内に冬の外気に当たって冷えたソレを、僕は驚いて手に取った。もう流すこともないと思っていた涙だ。
 「僕は、…僕は。」
 何と言いたかったのか自分でも良くわからない。ただその時は咽喉が詰まってそれ以上言葉を発せず、生まれた嗚咽は意味を成さなかった。
 僕は残念ながら、ナナミが死んで、もう僕の前に姿を現さない現実を痛い位に知っていた。信じたくはなかったけれど、わかっていた。
 ナナミは、もう、帰ってこない。
 ナナミが死んで以来、初めて、僕は泣いた。フリックさんの胸にもたれ、抱き着き、声をあげて泣いた。
 ナナミが死んで、ジョウイが倒れ――そして僕が大統領になってから大分時間が過ぎた時のことだった。










初掲載 2005年2月12日
改訂 2007年9月24日