「孫市殿、政宗様の近くで煙草を吸わないで下さい。」
急に訪ねて来たかと思えば突然そう主張した幸村に、孫市はとりあえず煙草の火を灰皿に押し付けることで消した。幸村は何か勘違いしている。が、話題的に吸ったままではいけないだろう、とさしもの孫市も配慮を利かせるくらいはできた。
そう、幸村は何か勘違いしていた。政宗の傍で煙草を吸う?そんな事実は覚えがない。政宗の恋人の幸村が注意してきたので、あれから、孫市は一度たりとも政宗の傍で吸ったりしていない。幸村が、政宗様の身体に障ります、いずれあの方は子どもを産む身ですよ!と主張したあのときから、一度も、だ。子ども、の前には、私の、という冠詞がつくに違いない。もう子どものことを考えているのか、気の早い話だ、と思うと同時に、孫市は、幸村なら言ったからには実践するんだろうな、と感心したのだ。
だから、あれから一度も政宗の傍では喫煙していない。少なくとも、孫市の方は。
「俺じゃないけど…何でそう思ったんだよ?」
「煙草の臭いがしました。」
きっぱりした返答だ。幸村の様子をじっと見ながら、さて、どう答えたものか、と孫市は内心考えていた。幸村は犬並みに鼻が利く。実際の鼻もだが、比喩的な鼻の方もかなり利くのだ。それを政宗は失念していた。
面倒なことになったな、と孫市は頭をかいた。
「いくら禁煙が蔓延してるからって、ゲーセンとかカラオケとかパチンコ…パチンコはねえか。でも、そういう場所が原因じゃねえの?だって、お前、一昨日まで教育実習で地元に引っ込んでたし、政宗のこと見張ってたわけでもないんだろ?」
「確かに離れていましたが、政宗様はどちらにも行っていません。電話でもそのような話は出ませんでしたし…それとなく尋ねてみたところ、まだ行ったことがないらしく、興味があるから連れて行け、と。明後日、一緒に行く予定です。」
「あ、そう。」
最後の方はのろけだったが、つまりオブラートに包んではいるものの、幸村は政宗に探りを入れたということだ。政宗の方はそれに気付かず、まんまと正直に話してしまった。
生まれなおして平和ボケしたのか、幸村と違って、どうも政宗は鵜呑みにしやすい。それとも、相手が焦がれ続けた幸村だから疑うことすら思いつかないだけか。どちらにせよ、しわ寄せが孫市の方に来るのだ。勘弁して欲しい。
大体、今も戦国気質で生きてる幸村がちょっと異質なだけなんだよなあ、何でそんなに知将スキル発揮してんだよ、と孫市は内心溜め息を吐いた。愛に比例して嫉妬深いのも周囲としては困るものだ。しかも、当然のように政宗は幸村のそんな裏の顔を知らないのである。心配性だとは思っているようだが実態はそのような状況で、その上、戦国同様命懸けで恋をしている。あまりに重すぎる恋情だ。孫市が仮に幸村の相手なら、そんな想いは重すぎて困る。が、政宗も似たり寄ったりで、幸村をかつて殺したほどに想いが強く、負担だと感じたことはないらしい。
ようは、バカップルなのだ。
孫市はチラリと時計に目を向けた。時刻は18時45分。19時になれば、慶次たちが酒瓶下げてやって来る。呑み会なのだ。来たときに幸村がいたとなれば、当然、痴話喧嘩ともいえない代物に巻き込まれた事実が慶次たちにばれてしまう。そうしたら、その後の酒の席で孫市の話が肴にされるのは必須だろう。それは、嫌だ。
政宗、悪い。俺には無理だ。
孫市はテーブルに立てかけておいたマルボロの箱を手に取った。幸村が僅かに顔をしかめた。煙草を吸うと思ったのだろう。
孫市はマルボロを逆さまに返した。
「これ、知ってるか?まあ、知らねえか。パッケージ、真っ赤な口紅の女の唇に見えるだろ?」
「は?は、はあ…いや、今はそうではなくて。」
「良いから良いから。とりあえず聞けって。マルボロ、の意味知ってるか?」
真意を悟れず、とまどいがちに幸村が首を振り知らないと答えた。
「Marlboro。Man always remember love because of romance only の頭文字を取って、名前をつけてんだよ。人は本当の愛を見つけるために恋をする、ってな。」
幸村は思わず呆れたようだった。そんな煙草を孫市が吸っているからだろう。まだ恋愛で懲りないんですか、そろそろ一人に定めて所帯でも持ったらどうなんです、と視線がいささか非難めいて見えたが、孫市は気付かなかったことにした。
「俺が政宗の傍で吸ってんじゃねえよ。あいつが、お前に隠れて吸ってんの。400年前、よくあいつ吸ってただろ?まだ煙管の時代だったけど、健康法とか言ってさ。ま、当時は煙草は縁起物だったし、粋だし、そうやって間違えててもしょうがねえけど。」
政宗が己に隠れて吸っていた。全く予想していなかったらしい。幸村は目を見開き、明らかに驚いた様子だった。幸村も、どうやら政宗の言うことだけは鵜呑みにしているようである。
いや、まずそこから疑えよ、と孫市は内心苦笑を洩らした。
「つっても、お前がいないときに寂しいからっつー理由でしか吸わねえけどさあ。」
「…寂しい?」
「あいつが吸ってるやつ、Koolっていうんだ。それが、お前を思い出すらしいんだよな、あいつ曰く。」
しみじみとのろけのような文句のような話を聞かされ、微笑ましいような面倒臭いような気持ちになったことを思い出し、孫市は思わず溜め息を吐いた。目の前の男も似たような用件で、あーはいはいそうなのな、とあしらうしかない相談を孫市に対してしている。結局、のろけだ。
恋の悩み相談は、新しい恋がよく誕生するが、この二人に限っては孫市にそのような美味しいことはない。幸村は男で、政宗には食指が動かず、そもそもこの二人が別れることはないだろう。聞くだけ損だ。
「…その、Koolというのはどのような意味なのですか?」
尋ねる幸村に、孫市は嘆息し頬杖をついた。
「keep only one love。一つの恋を貫き通す、ってな。煙草吸わせるのが嫌なら、お前がいつも傍にいてやれよ。地元に、挨拶ついでに連れてきゃ良いだろ?どうせ結婚すんだろーし、そのうち。」
バカップルめ、と見る間に赤くなる幸村に対して、孫市はおかしさに笑みを零した。
「それでも止めたくないっつーなら、キスでもしてやれ。常習じゃねえし、あいつの場合、単に口寂しいだけだから。」
式には呼べよ、と孫市がからかうと、見事に真っ赤に染まった顔で幸村は小さく、はい、と答えた。
バカップルめ、と孫市は思った。
初掲載 2008年1月20日