裏・インディゴの夜   インディゴの夜パラレル


 テレビでは、お笑い芸人のコントが行われている。その喧騒に負けないボリュームで、妲妃は政宗に告げられたことを復唱した。
 「なあに、政宗さん、見合いなんてするの。」
 場所は、政宗のマンション。ソファに寛いだ様子で座り、チーズと生ハムの載ったクラッカーを摘んでいる妲妃は、稀なことにすっぴんである。この場所では、たびたび見られる光景だった。
 「旧家って大変ねえ。窮屈じゃない?」
 そう眉をひそめて、妲妃は政宗のグラスにシャンパンを注いだ。店で使うような上等なグラスではない。同ゼミの女友達から、誕生日プレゼントでもらった500円のグラスだ。ブランド好きの妲妃ではあるが、流石に無粋なので、政宗がマンションで用いているものに難癖つけたことはない。
 「まあ、付き合いじゃし、一度くらいやるが。」
 政宗はグラスを一気に空けてから、物憂げに溜め息をこぼした。確かに、妲妃の言うとおり、窮屈に思うことの方が多い。それでも、政宗が家名を大切にしているのも事実だ。天涯孤独の妲妃には、言っても信じてもらえないが。
 「そうよ。政宗が一日穴を開けるだけで、どれだけ、損失が出ると思うのよ?」
 自分が損するわけでもないのに、妲妃はそう言って唇を尖らせると、空になった政宗のグラスに再びシャンパンを注いだ。その手つきは店で見せるものと比べ物にならないほどぞんざいだったが、空になったグラスを見ると酒を注いでしまうのはもはや職業病としか言いようがない。
 妲妃は不満そうに、壁にかけられている漆黒のワンピースを睨んだ。楚々とした印象のそれは、いかにも、お嬢様がまとうに相応しい代物だ。見合いの日に着用する予定、らしい。
 「政宗さん、黒って、葬式じゃないんだから。もっと別の服だってあるでしょう?」
 「元来、女物を好んでまとう趣味はない…店で着るドレスならあるがな。付き合いで出てやるだけじゃ。別に、黒で構わん。」
 そう言って、再びグラスを空にする政宗に、まあ呑めと妲妃はシャンパンを注いだ。


 政宗は、渋谷に拠点を構える『club OROCHI』の従業員――俗に言うホステスである。当然、源氏名もある。本名の政宗をもじって、マツリ、だ。漢字だと、政、と書く。本名と源氏名が逆のような気がしないでもないが、こればっかりは変えようがない。
 本来、政宗は仙台でも有数の旧家の子女である。現在は、某国立大に通うと言う名目で東京に在住しており、実際、その某国立大学に通う身だ。
 そんな政宗がこの仕事を始めたきっかけは、コンビニのアルバイトだった。政宗は金の有り余る身であり、強いて働く必要性もない。その政宗がコンビニで、それも深夜から早朝にかけてという妙な時間に働いていたのは、単純に面白かったからだ。仕事帰りのサラリーマン、クラブ帰りの女子高生、そして、華やかな夜の蝶たち。ただ、そこにあるというだけで、政宗は様々な人間模様を窺うことができた。給料など。むしろ、政宗の方が料金を払って良いくらいだ。
 そんな政宗の日常が崩れることになったのは、一年前のこと。
 「ねえ、うちでバイトしない?あなたなら、すぐにトップ5に入れると思うんだけど?」
 どこで政宗のことを聞き及んだのか、女はレジに両肘をついて、政宗を見つめた。断られることなど想定していない、自信に満ち溢れた目だった。それを不快に思い、政宗は女に胡散臭そうに見やった。おそらく、女はホステスだろう。政宗は今日の自分の服装を脳裏に浮かべ、鼻で笑った。女らしさの欠片もない、パーカーにジーンズという格好だ。ならば、この女は、この不出来な男のような身なりの政宗にわざわざホステスをさせようと言うのか。
 女は花のように笑った。
 「こんなところでちんけにやるより、店の方が、よっぽど楽しいと思うわよ。人間観察。」
 それが、政宗と妲妃の出会いだった。
 それから一年。政宗は妲妃の予言したとおり、着々と客を集めていき、今や妲妃と双肩を張る人気である。客層が被らなかったのも、良かったのだろう。
 愛憎表裏一体とは言ったもので、「色恋の客」ばかり募る妲妃には敵が多い。「色恋の客」とは、恋愛関係にあると錯覚させて、貢がせる手法だ。妲妃はその手法を極めており、散々搾り取ったら捨てる、というやり方のえげつなさも手伝って、ストーカーが後を絶たない。刃傷沙汰になったことも数知れず。しかし、その悪評にもかかわらず客が引きも切らないのは、匂い立つほどの色香と巧みな話術ゆえだろうか。
 一方の政宗は、これまで、着実に進めてきた。妲妃のように金を詰まれたからといって客と寝ることもなく、妥協することもない。政宗のターゲットは、金融街勤めのサラリーマンだった。某国立大の経済学部に通うだけあって、政宗は明晰であり、例え会話が専門分野に及んだとしても付いて行くことが出来た。だからといって、分野が限られているわけでもない。政宗は多少色香に欠けており、また隻眼でもあったが、それを補って余りあるだけの才知と愛らしさ、カリスマがあった。実際、政宗は無理なくやってきていた。名家の子女であることを誇りに、その名に恥じぬよう、ホステスをしてきた。――かつて一度だけ、誤って客と寝てしまったことを除いて、は。


 客の名は、イシダと言った。もしかしたら偽名かもしれない。イシダは、当時常連だったサコンに連れられて、某大手企業の室長、という触れ込みでやって来た。サコンいわく、直属の上司であるらしいが、その実体など知れたものではない。
 その頃には、金融街に勤めているサラリーマンの担当は政宗、というような雰囲気が店内で自然と出来上がっており、その流れでイシダたちも政宗の方に回されてきた。ヘルプには、サコンが気に入っていた新人がついた。サコンに言わせると、まだ夜の街に染まっていないあどけなさが良いらしい。政宗自身がヘルプを抜け出したばかりであることを考慮に入れれば、どれだけ、政宗が信用されているのかわかるものだ。
 イシダは細身で、モデルのような美貌の持ち主だった。一点もののスーツに、J・M・ウェストンのローファー。手首には、フランクミュラーの腕時計。明らかに勤務後だというのに、シャツにしわ一つないのも得点が高い。一脚二万円するフルートグラスを掴む手も美しく、爪も几帳面に整えられている。ホストになれば、その手の美しさだけで、十分やっていけることだろう。話した印象は、少し神経質そうな面はあったが、実直で有能な男、というものだった。もう少し臨機応変に生きられれば楽だろうに、と思ったのは、余計なお世話というものか。
 政宗はイシダとの会話を大いに楽しんだ。嘘ではない。それは冗談抜きで、楽しめるものだった。周囲でその会話――というより議論――について来ているものは、おそらく、サコンのみであったろうが、そんなの知ったことではない。要は、主賓を楽しませれば良いのだ。政宗はイシダの話に相槌を打ち、時に質問を投げかけ、時に語った。勢い咽喉も渇き、ドンペリを飲むスピードも上がる。
 そういうわけで、正気に返った頃には、某高級ホテルのVIPルームにいた。キングベッドの上だ。一糸まとわぬ政宗の隣では、昨夜意気投合したイシダが寝息を立てていた。
 悪夢に違いない。それがルール違反であろうことは重々承知の上で、政宗は逃げ出した。客と寝たのは初めてのことだった。そもそも、男と寝たことからして初めてのことだ。
 その日、政宗は初めて妲妃に泣きついた。政宗と妲妃の関係が、先輩後輩という仲から戦友にして親友に変わったのは、まさにこのときだった。
 あれ以来、政宗と妲妃は非常に良い関係を築いている。


 それから一週間後。
 妲妃や仕事仲間の声援、常連客たちの嘆きを背に、政宗はここ某高級ホテルへやって来た。一階のレストランで会食は行われるのだという。仙台からやって来た父輝宗も、昨夜はこのホテルに宿泊したらしい。昨夜は政宗も仕事を休んで、久しぶりに家族の団欒などしてしまった。
 それにしても、政宗を溺愛しており、そのせいで、病で片目を損なった政宗を厭う母と離婚の危機陥りかけた輝宗が、お見合いを持ちかけてくるとは。よほど、断りがたい筋からの申し出でもあったのだろうか。
 政宗はいぶかしみながら、そわそわと落ち着きのない輝宗の隣に腰をおろした。父に催促されて早めに来てしまったが、約束の時間まで後30分もある。貴重な時間をどこの馬の骨とも知れない見知らぬ男のために費やすなど、馬鹿げている。こんなことなら、経済紙でも持ってくれば良かった。政宗は内心そんなことを思いながら、周囲を見渡した。どこかしこも小奇麗に整えられている。自分は、そんな上っ面が見たいのではない。政宗は苛立ちに唇を小さく噛んだ。違う、もっと、体裁の整えられていないエゴが見たいのだ。人々のエゴを通して、何故母が自分を見捨てたのかその理由を得るのが、政宗の望みである。
 常以上に神経が尖っているのは、最初で最後の「客」と寝たのがこのホテルだからだろう。自分でもその自覚があるだけ、なおさら、政宗は悔しかった。思わず神経質に机上を叩きそうになる指を押さえ、膝の上に乗せる。それでも堪えきれず、政宗は小さく嘆息をこぼした。


 見合い相手がやって来たのは、約束の時間のきっかり5分前だった。
 「すみません。お待たせしたでしょうか。」
 その声に、政宗は無意識のうちに俯かせていた顔を上げた。見合い相手が父に挨拶をしている様子が見て取れた。輝宗は無事見合い相手に娘を引き合わせることが出来たので、後は若いもの同士で、ということでこの場を立ち去るらしい。父から一声かけられたが、政宗にはまったく聞こえていなかった。
 政宗の正面に座った見合い相手が、ウェイトレスにコーヒーを注文している。ウェイトレスが退室するのを見計らってから、血の気の失せた顔で政宗は呻いた。
 「どうして、お主が。」
 「…面白い。どうして?理由がいるのか?伊達家令嬢、政宗。いや、「マツリ」と言った方がわかりやすいか。」
 そう言って、見合い相手の男――イシダは、政宗に名刺を渡した。名刺には、「豊臣興業株式会社 大坂本社コンプライアンス室室長 石田三成」と記されている。これで、父がこの見合いを斡旋した理由がわかった。豊臣は、元々織田グループに勤めていた豊臣秀吉が独立して興した会社だ。その歴史は浅いが実力は並々ならぬものがあるため、織田グループ傘下の筆頭と言っても過言ではない。そして、伊達は、織田グループと切っても切れない仕事上の関わりがある。
 屈辱だ。政宗は高ぶった気を落ち着かせるため、父の頼んだアイスティーを一口飲んだ。グラスを掴む手が怒りに震えている。他人の感情を見るのは好きだが、感情を見せるのは好きではない。無様だ、と政宗はアイスティーを卓上に置いた。ぎゅっと膝の上で両手を握り締め、ウェイトレスからコーヒーを受け取った三成を睨みつける。
 「脅しに屈するわしと思うなよ。」
 意外そうに、三成が笑った。
 「脅し?別に脅しているつもりはない。ただ俺は、作られた「マツリ」としてのお前ではなく、本来の「伊達政宗」としてのお前に会ってみたかっただけだ。」
 意表をつかれて、一瞬無防備になった政宗の頬に手を添え、三成は言った。
 「寝ても覚めても、お前のことが離れない。もう一度会いたいと思うのは、当然だろう。ならば、本来のお前に会いたいと願って何が悪い。別に無理矢理結婚するつもりはない。マツリを辞めさせるつもりもない。今はお前が俺を気にかけなくとも、いっこう構わん。お前が俺に惚れるまで、通うだけだ。」
 そう宣言すると、三成は勘定を手に立ち上がった。
 「今日は、貴重な時間を悪かったな。――では、また。」
 立ち去っていく三成の背が見えなくなるまで見送ってから、政宗は二三度瞬きをした。思わず、脱力して、椅子からずり落ちそうになる。
 驚いた。世間には、あんな奇特な男もいるのだ。
 無意識のうちに、政宗は、三成の触れた頬を掌で覆っていた。そこから何が芽生えようとしているのかなど、そのときの政宗は気付いてすらいなかった。











初掲載 2009年5月3日
正式掲載 2009年9月24日