妄想日記


 新年になり、三成はねねの熱心な勧めもあって、日記をつけ始めた。ただの日記帳ではない。霊験あらたかな日記帳で、ねねによれば、そこに記したことが現実になるそうなのである。内心、三成は、ねねは売りつけた阿国にていよく騙されただけなのではないかと勘繰ってもいたが、わざわざそれを指摘するのは野暮というものだ。加えて、騙されてでも良いから試してみたい望みがあったこともあり、三成はいそいそと日記にその願望を記したのである。
 【政宗に会いたい。】
 一週間後、三成の願いは叶った。
 国元に引っ込んでいた政宗が、大坂屋敷にやって来たのだ。政宗は太閤の機嫌を取りに大坂城へ顔を出したので、当然のように、三成とも顔を合わせることになった。三成の心は浮き立った。三成の願いは他愛ないものに思えるが、そうそう叶うものでもない。新年ということもあって、大半の大名は国元へ帰っている。
 もしや、この日記帳は本物なのではないだろうか。
 それから、幾度か似たようなことが重なり、三成はこれ幸いと日記帳の霊験を信じるようになった。正直、政宗の件に関しては、藁にでもすがりたい心境だったのだ。外様の大名、それも、不穏な噂の絶えない伊達の当主に懸想するなど、三成自身愚かしいとは思っているのだが、こればかりはどうなるものでもない。
 春がすぎ、夏になった。
 もうすぐ政宗の誕生日だ。三成はわくわくしながら日記帳を閉じると、いつもの隠し場所へ仕舞いこんだ。去年の夏は、涼しい奥羽からわざわざ蒸し暑い盆地に足を運ぶなど馬鹿らしい、という理由から、政宗が姿を現すことがなく、大坂で執務に追われていた三成はたいへん寂しい思いをしたのだが、今年は違うはずだ。何といっても、霊験あらたかな日記帳がある。
 どんな贈り物をすれば政宗が喜んでくれるのか、三成には見当もつかなかった。一番良いのは、「お主からの贈り物であれば、何であれ、わしは嬉しく思う。」という返事だが、三成は、そこまで期待するほど浅はかではない。伊達男の語源である政宗が、そのような贈物にうるさいのは、重々承知している。
 そんなとき、ここは一つ女心に詳しい左近かこうるさい甲斐姫にでも助言を求めるべきだろうか、いやいや、左近はまだしも甲斐姫は騒々しく理由を探って来るはずだ面倒でならん、と頭を悩ませる三成のもとへ顔を出したものがあった。くのいちだ。
 真田の草が一体、何の用だろう。
 三成は一向進んでいない書類から顔を上げ、くのいちを問い質した。
 「とっても、言いにくいことなんですけど〜。」
 それから、くのいちは幸村にばれて叱られた云々とよくわからない言い訳を口にしてから、勢い良く、三成に頭を下げた。
 「その、実は、霊験あらたかな日記帳なんて嘘なの!」
 「…は?」
 「全部作り話だったんです!」


 その日、政宗は縁側に寝転がって涼を取っていた。例年苦情の元となっていた縁側は、朝顔で日差し避け作成を試みたもあって涼しく、目下、政宗の気に入りの場所となっていた。うとうと心地よい眠りに身を任せていた政宗は、ふと、ここにあるはずのない気配を感じ、重くなる一方の瞼を開いた。
 「三成か。奥羽までわざわざ足労とは、なにごとじゃ。」
 夢うつつに問いかければ、渋面の三成が気まずそうに目を落とした。からりと政宗は笑った。
 「これは、おねねさまの企てがばれたか。」
 「お前も加担していたのか。」
 「わしが手を貸さず、どうして、あれらを実現できる?お主の書くことは、わしのことばかりではないか。」
 咎める口調の三成に言い返すと、政宗は三成の手を引き、隣に寝かせた。
 「そんなことは後で良い。わしは眠いのじゃ、もう少し、待っておれ。」
 「しかし、俺は…!」
 「いくら面白そうだからといえ、わしもその気がなければ、半年にわたって助力はせん。良いから黙れ、三成。」
 政宗は三成に身を寄せると、欠伸まじりに囁いた。
 「時間はまだまだあるのじゃ。」
 やがて寝入ってしまった政宗を前に、三成はどうしたものか判断がつきかねて、身を固くしていた。くのいちの口から真相を知らされた後、大坂から慌てて馬を走らせたので、正直なところ、三成も疲弊していた。しかし、嫁入り前の娘と一緒に横になるのは、道徳的に躊躇われた。しかも、場所は縁側だ。板の上に直接横になるのは、身体が痛くて嫌だった。
 せめて、布団に寝かせてやるべきだろう。
 政宗から身を離そうとした三成は、ふいに、胸元に目を向けて嘆息した。政宗の手は三成の袂をしかと握っている。引き剥がすのも躊躇われ、三成はしばし考えを巡らせたが、考えが同じところをぐるぐる行きかっている事実に気づき、再び溜め息をこぼした。
 政宗の身体は温かい。それに、良い香りがした。
 三成は逡巡を見せてから、政宗の肩を抱き寄せた。そうして、政宗が起きるまで、そのままでいた。











初掲載 2013年1月6日