子知らず


 「なあ、政宗はああいう格好しねえの?」
 孫市の視線の先には、服装について稲姫に説教されているねねの姿があった。ねねの格好は夫の趣味という話だが、戦場に立つにはあまりに薄手の防具に、政宗は呆れて眉をひそめた。
 「…おねね様のような格好か?するわけあるまい。忍びと戦人を一緒にするでないわ、馬鹿め!」
 そう言えば、孫市はつまらなさそうにふぅんと応え、それきりだった。
 だから、政宗はそのようなやり取りがあったことさえ、そのときまで忘れていたのである。


 隣国との戦いを控え陣中で夜を過ごした翌朝、政宗は絶句した。ない。ないないない。どこを探しても、兜も、具足も、何もない。動揺のあまり膝を突き、あちこち旗等捲っても見るが、どこにも政宗の鎧一式がない。昨夜眠りに落ちる前までは、手入れの行き届いた状態で目の前に置いてあったというのに、一体どこに消えたのであろう。そもそも、今身につけているこの服は何だ。さあと血の気の引いた状態で、政宗は身に着けた衣装に触れた。確かに、慣れぬ南部の暑さに辟易し、戦場であることを考慮に入れれば無分別と言って良いほどの薄着で寝たことは事実。だが、こんな薄着だっただろうか。いや、絶対そのようなはずはない。ありえない。
 虎服、などと。悪夢ではないか。
 幼少期のままの採寸なのか、明らかに丈の短い裾からは剥き出しの足が覗き出ている。胸元も開ききり、まるで、濃姫のようだ。その上、濃姫のように帯できちんと留めるでもなく、腰帯一枚で結んでいるだけの状態である。すでに稲姫が眦を吊り上げそうなあられもない格好だが、いつ、下穿きだけになったとしてもおかしくない。妙な方向で兵たちの士気は上がるかもしれないが、そのような士気の上昇など政宗は望んでいない。そんな始末になりでもしたら、政宗にとって生涯消えない恥の誕生である。
 「な…なにゆえ。」
 地面にへたり込み、政宗は驚愕と混乱と絶望に震える声で呻いた。そしてその次の瞬間には、瞳に殺意を滾らせ、勢い良く立ち上がった。犯人など考えるまでもない。先日の城でのやり取りが、すぐさま政宗の脳裏には浮かんだ。政宗の答えに不服そうだった孫市、そのダチにして今回の出陣面子を選んだ秀吉、そして、実行犯にさせられたであろう忍びのねね。とはいえ、雇われの身。大名夫妻に関しては殴るわけにもいかない。その分、孫市もはっ倒すと心に決めて、政宗は豊臣の家紋が施された旗を腰に巻きつけると、辛うじて残されていた武器を手に陣を抜き出た。小十郎たちとの出陣でない今回、自ら行動せねば、衣服は手に入りそうにない。かといって、一般兵士から鎧を奪い取ったとしても、確実に採寸が合わないだろう。本格的に戦闘が開始されてしまう前に、政宗はどうにかして、自らの甲冑を取り戻す必要があった。


 後方が騒がしい。伏兵だろうか。それにしては、味方軍の上げる声がいささかおかしい。敵軍との戦闘も始まり、今回戦を任された身として前線で部下に指示を与えていた三成は、いぶかしんで背後を振り返った。そして、驚きに思わず目を見張った。
 「…何をしている。」
 そう声をかければ、明らかに場にそぐわない格好をしている政宗が吼えた。
 「わしが知るか、馬鹿め!それより、孫市はどこじゃ!あやつ、見つけ次第しばく…!」
 「孫市ならば、俺に戦を任せて、おねね様と共に帰還した。元々、国の重鎮が出るまでもない戦だからな。」
 「あ、あやつ…逃げおったのか!」
 「何か、持ち帰る荷もあったようだが。」
 ちらと三成が視線を向ければ、その荷を察した政宗が目を見開き、おそらく激怒するあまり、今の格好を失念しているのだろう、腹立ちに耐え切れず地団太を踏んだ。そのひょうしに、腰に巻きつけた旗が捲れ、太股が覗いた。雪国生まれで肌理細やかな白さに加え、日の光も当たることのない箇所である。三成は思わず目を奪われた。だが、それも束の間。三成は瞑目すると、その事実を誤魔化すように眉間にしわを寄せ、自らの失態に対する苛立ちから吐き捨てた。
 「おねね様の真似か?妙な点ばかり真似したものだな。目障りなのだよ。それではもう戦にならん。帰れ。普通に邪魔だ。」
 左近がいれば、これは三成なりに政宗へ気を遣っているのであって、「そのような格好では目のやり場に困るし、怪我をされても困るから、後方に控えていたらどうだ。」という意味だと説明しただろう。しかし、現在左近は右翼に位置し、この場にはいない。そして、政宗が三成の本心を理解することもなかった。政宗は怒りに二の句も告げぬ様子で唇を慄かせてから、目つきを鋭くし、歯を食いしばった。
 「…わしだとて、豊臣の主将よ…。かような格好程度で足手纏いになってたまるか、馬鹿め!目に物見せてくれる…っ!」
 そう言い捨てると、政宗は自軍を率いて敵に攻め入るため、肩を怒らせてその場を立ち去った。取り残された三成はしばしの後、ようやく、己が言葉の選択を誤ったことを察した。どうもいけない。三成は舌打ちをこぼし、遅ればせながら、その後を追いかけた。
 「待て、政宗。」
 だが、怒りに聞く耳持たぬ政宗は、肩で風を切りさっさと歩いていく。三成は心中嘆息した。何故か、いつもこうなる。三成も決して、相手を怒らせたいわけではないのだ。これまでの経験から、己の対応の拙さは理解しているし、直したいとも思う。しかし、悲しいかな。未だ直すには至っていない。この調子では死ぬまで直らぬだろう。
 「政宗、良いから帰れ。そんな格好で戦えるはずがない。」
 「わしならばできる!馬鹿にするでないわ!」
 「片手が使えない状態でも、か?第一、そんな格好では、心臓を狙えと言っているようなものではないか。」
 三成の指摘に、旗が腰からずり落ちないよう片手で押さえつけている政宗も、その格好の無謀さを改めて思い知ったらしい。政宗は振り向くことなく、舌打ちをした。だが、それでも引き返す様子はない。元々、防御力や人目に触れることを恐れて、孫市らを探していた政宗だが、こうなれば、もはや意地である。へそ曲がりとしての本髄を見せてやらねば、気が済まぬ。政宗の態度からその思惑を悟ったのか、三成は長々と溜め息を吐いた。
 「世話の焼ける…俺が守ってやる。」
 「頼んでおらん!」
 「黙れ。元はといえば、この戦の責任者である俺の話を聞かないのが悪い。」
 そう言い、三成は陣羽織を脱ぐと、噛み付きそうな顔でこちらを睨みつけた政宗にそれを差し出した。だが、政宗は胡乱な目で見やり、受け取ろうとしない。とうとう業を煮やして、三成が言い吐いた。
 「面倒臭い奴だ。さっさと着ろ。わざわざ手で押さえんで済む。そんな旗よりましだろう。大体、そんな格好でいられては、周囲が迷惑だ。」
 三成の言い様に、政宗は眉間に深くしわを寄せた。しかし、これ以上ごねたところで三成相手には意味がないと悟ったのだろう。政宗も意固地だが、三成も大概意固地だ。政宗は引っ手繰るようにして三成の手から陣羽織を奪うと、不平を漏らしながらも身につけ、三成が裂いて寄越した旗で腰の部分を括った。まさか、露出が減った当の本人以上に目の前の男が安堵しているなど、政宗は知る由もない。三成は秀吉や孫市とは違う。そもそもがこの男、狭量である。そんな男が、恋い慕うものの肌を他の男の視線に晒されて嬉しいわけがない。
 「かような格好…貴様に降ったようで気に食わん。」
 石田の家紋を背負っていることに関しての不満だろう。どうも落ち着かないらしく、政宗は肩越しに、背に施された刺繍へと視線を投げかけては唸った。
 「降将は嫌か。」
 「決まっとる。絶対、嫌じゃ。」
 「なら、嫁はどうだ。」
 冗句と受け取ったのだろう。もっとも、政宗は豊臣に降る以前も、後も、散々三成に苦しめられている。まさか三成は本気だと悟れるはずもない。政宗は偉そうに鼻を鳴らした。
 「嫁も変わらぬ。降嫁なぞ払い下げじゃ。豊臣に降った身とはいえ、わしは伊達政宗よ。婿を取ると心に決めておる。」
 「相手はもう決めてあるのか。」
 「おらんが、貴様には関係ない。」
 どうも、内容が場にそぐわないものに傾いている。場所は戦場で、その上、前線。未だ敵は到来していないとはいえ、他の将兵たちが忙しなく立ち回る中、悠長に語るような内容ではない。何故このような会話になったのかいぶかしみつつ政宗が返せば、しばしの沈黙の後、三成は政宗の胸中など露知らず、話を蒸し返した。
 「……孫市か。」
 これには、政宗も思わず立ち止まり、しげしげと三成を見つめた。
 「は?何を言うておるのじゃ?貴様、自分で質問しておいて答えを聞く耳持たぬなぞ、失礼にもほどがあるわ。馬鹿め。しかも、よりによって、孫市……?頭でも腐ったか。」
 「うるさい。その格好は、孫市の趣味だろう。愛人が喜ぶからではないのか。」
 そのとき、政宗もようやく、稲姫がねねを説教している場面に三成も居合わせたことを思い出した。確かに、あの秀吉に対してねねがああ出るのだから、秀吉の親友である孫市に政宗がこう出たとしても不思議ではない。しかし、根本的なところで間違えている。ねねは秀吉の妻だが、政宗は孫市の友である。愛人と間違えられて、気分の良いものでもない。
 「貴様は、ダチの意味を知らんのか、それとも、目が腐っておるのか…。その相手がおらんのに、どうやって喜ばすというんじゃ?大体、わしは、勝手にかような格好にさせられておるのじゃぞ!」
 我ながら何を説明しているのだろう、と思いながらの政宗が吼えれば、三成は未だ納得がいかないのか、以前互いに言い合った形容を持ち出してきた。
 「知に過ぎれば嘘をつく…嘘ではないのか?」
 「そして、義に過ぎれば固くなる。…貴様はもう少し、その凝り固まった頭を柔らかくした方が良いわ、馬鹿め!」
 政宗が腹立ち紛れにそう吐き捨てると、しばしの沈黙が流れた。大きな声を出したせいか、はたまた、その格好のせいか。立ち止まったものだから、容赦なく向けられる好奇の視線がひしひしと痛い。さっさとこの場を立ち去ろうと心中固く誓う政宗とは異なり、何か考えあぐねている様子だった三成は結論が出たのか、政宗に言った。
 「なら、俺が伊達に行けば、妻になってくれるか。」
 虚を衝かれた。政宗は信じられぬ思いで、三成を見つめた。周囲が耳をそばだてていることなど、見事なまでに念頭から消えた。我が耳が信じられなかった。幻聴にしては、何故か、三成と目が合う。幻聴ならば、三成が政宗をじっと見つめる必要などないはずだ。混乱に二の句が告げず、政宗はわなわなと唇を震わせた。何か、何か言わねば。だが、気の利いた言葉は思いつかなかった。語彙が豊富なはずの政宗の脳は停止して、肝心なときに限って働く気配がない。仕方なしに、政宗は気難しく眉間にしわを寄せ、唇を引き伸ばした。
 「………男の貴様に、わしの鎧が纏えるとも思えんがな。」
 言い捨て、大股で歩き出す政宗の後を、何故か三成が黙って付いて来る。
 「付いて来るでないわ、馬鹿め!もう良い…貴様のせいで興が覚めた。本陣に帰る!」
 「そうか。」
 「この陣羽織も返す。わしにはもういらん。」
 何が原因なのか、自分の感情に戸惑いつつも赤くなった顔を見られぬよう俯きがちに政宗が言えば、三成は呆れた様子で問うた。
 「また旗でも纏う気だろう。」
 「出陣するわけでもない。悪いか?旗の私用くらい、渋るでないわ。既に一枚駄目にしたのは貴様の方であろう!」
 帯代わりにと裂いた旗を手渡されたことを念頭に置きつつ返すと、三成は苛立たしげに溜め息をこぼした。
 「気に障るのだよ。お前が秀吉様のものになったようで…悪いか?」
 流石に、これには政宗も言葉がなかった。そんな政宗の様子に気を良くしたのだろう。三成は僅かに口端を緩めた。
 「俺はもう行く。お前は本陣で待っていろ。」
 そう言い置いて歩き出した三成の後を、ようやく立ち直ったらしい政宗の罵声が追いかけた。だが、それすらも、今の三成の機嫌を損ねることは出来なかった。政宗と孫市は、城内で噂されるような男女の仲ではなかった。ダチ以下でも、それ以上でもない。単なるダチだった。これまで三成は信じていなかったが、秀吉の言っていたことこそ真実だったのだ。それに、と三成は小さく微笑んだ。政宗は、三成が婿に行くことに否定的ではなかった。あの政宗が、である。ばっさり斬って捨てられなかっただけでも、僥倖と言えよう。決して、可能性がないわけではないのだ。何れは、政宗を手に出来る日が来るかもしれない。そのことが、三成の機嫌をこの上なく良いものにしていた。この首尾を誰かに話したくてたまらなかった。


 さて、場所は右翼。がちゃがちゃと大きな音を立てながら帰ってきた二人に、それまで戦闘の指揮を取っていた左近は問いかけた。
 「それで、どうでした?殿と政宗さんは。」
 「うん、ガンバってるみたいだね。」
 ねねは笑みを浮かべて、愛息子の頑張りを褒め称えた。ねねは本城へと帰還したはずである。その隣から、これまた帰還したはずの孫市の得意げな声が届いた。
 「やっぱり、俺の言ったとおりじゃねえか。これくらいのことしねえと、無理だって。両方意固地だろ?」
 「ほんっと、信じられなかったけど、孫市の言うとおりになったわね。これで安心して、うちの人に報告できるよ!」
 「ま、策はなれり、ってな。」
 動いたひょうしに、また、がちゃがちゃと音が立った。二人とも、一般兵士の鎧を纏っているのである。この格好で、先ほどまで子供たちの様子を覗き見ていたのだ。ある程度纏い慣れてれば話は別なのだろうが、不慣れなだけに、勢いその音も大きくなった。この騒音では、陣から出ねば戦況も良く分からない。とはいえ、政宗が本陣に下がった今となっては、三成も己の職務に戻るだろう。元々が格下相手の戦だ。左近が少しくらい手を抜いたとて、問題ない。左近は二人から三成の首尾を詳しく窺うことにした。
 そこに、左近に首尾を語ろうと三成がやって来て、鎧姿の孫市やねねと鉢合わせするのは、その数十秒後のことである。











初掲載 2008年11月21日