蝙蝠


 長曾我部元親が伊達政宗という部下を有するに至った事情を、知っている者は存外少ない。
 元親が父無き子を哀れんだためとも言われるし、また、政宗の亡き父が事後を元親に託したとも言われている。いずれにせよ、今は亡き政宗の父輝宗が何らかの役割を果たしていることになるわけだが、四国と奥羽という距離を鑑みれば、それらはあまりに荒唐無稽である。輝宗が関係しないものでは、幼い頃の境遇が、二人に、何らかの共感を抱かせたのかもしれないという説が有力である。しかし何にせよ、長曾我部と伊達がどのようにして接点を持ち、義父子のような関係を持つに至ったのか、定かではない。
 事情を知悉しているはずの片倉や菜々は、ただ微笑むばかりで答えようとしない。
 元親の同盟相手で、現在、政宗の夫である三成に対してさえそうなのである。他の人間が二人から答えを窺い知る機会があるとも思えないので、三成は自分も知らないのは癪だが、結局のところ知らないままでいる。もっとも、三成も以前は知りたくてたまらなかったが、最近では、時折空想を巡らしてみては、詰まらんことで時間を消費したと自嘲の笑みを浮かべる程度の関心になってしまった。知りたくても相手が答えようとしないのだから、それも致し方ないことである。
 とにかく、元親は政宗を己の子供のようにたいそう慈しんで、その成長を見守っていた。関ヶ原で東西別れて敵対したときでさえ、政宗が自分の意思で道を選んだのだ、と嬉しそうに笑うばかりであった。そんな元親に対して、内心三成は、度量の大きい男だとも、阿呆だとも思った。そして、辛くも西軍が勝利を手にした後、やはり父の度量で元親は政宗をそれなりに庇った。表立って庇わなかったのは、政宗の対面を気にしてのことだろう。あるいは、罰を受けても己で選んだ道なのだから、と半ば放り出していたのかもしれない。片意地に凝り固まった三成から言わせれば、元親も政宗も自由で勝手で、妙なやつらだった。
 それがどうして、その妙なやつらの一方と友情を育み、一方を嫁にもらうことになったのかは、今もなお三成はわからないでいる。五十歩百歩目糞鼻糞を笑う、で、自分も妙なやつらの一員だったということなのか、と日々悩み唸るばかりである。


 前置きが長くなったようだ。
 ともあれ、今春、三成は妻帯することとなった。相手は、散々三成から嫌がらせを仕掛けては、その揚げ足を巧みに取って伸し上がってきた伊達当主政宗だ。仲人は長曾我部元親が務めた。土佐人の意地か、親としての喜びか、嫁入り道具はたいそう立派なものが取り揃えられ、三成はいかにも長曾我部夫妻らしいものだと思った。
 そしてその中の一品、蝙蝠柄の着物が、今回の騒動の原因なのだ。
 長曾我部元親は、織田信長に鳥無き里の蝙蝠に引っ掛けて、鳥無き島の蝙蝠、と揶揄されたことで有名だ。本来、周囲に強者のいない四国だからこそ、覇権を唱えることの出来る弱者、と悪し様に用いられた言葉は、元親が逆手に取って用いることで、いつしか、元親の二つ名のようになっていた。生前秀吉も、三成に、四国の蝙蝠は侮れない、と感嘆交じりに洩らしていたほどだ。
 その、元親の象徴である蝙蝠が沢山刺繍された着物を、政宗が好んでまとうのである。
 蝙蝠は夏の季語だ。だから、夏に至る晩春のことなら、三成も政宗が粋を好むことを重々承知しているために、納得することもできただろう。だが、どうしたことか、政宗は季節にかかわらず、始終その着物をまとっているのだ。無論、政務や日常生活の中では、伊達女らしく、華やかで時節にあった格好をしているのだが、ふと気がつけば、蝙蝠の着物でいる。
 こうなると三成としては、嫁いでなお心は土佐にあると言われているようで何となく面白くない。しかも、それを口にするたびに、政宗は怪訝そうに眉をひそめてから、少し間を開けて、「何じゃ、嫉妬か。」などと笑い声を立てるものだから、良人としては居たたまれない。
 そんなやり取りが積もり積もって、とうとう先日、三成の堪忍袋の緒が切れたのである。元々、三成は我慢強いとはいえない気質だ。だから、逆に、良くこれほどまでに我慢したと褒めるべきだろう。
 三成の怒りに、しばらく、政宗は良人が何にそんなに腹を立てているのか意味がわからない風であった。それから、蝙蝠文の着物が原因だとわかると、なおさら戸惑った様子だった。そして、三成の口から説明を受けて、いつも通り政宗は憤った。良人に負けず劣らず、妻の矜持も山の如く高かった。
 そのまま、一月口を利いていない。最近では政宗も蝙蝠文の着物をまとわなくなっていたが、一度こじれた仲は中々修復できないのが、この矜持が高すぎる夫婦の欠点だった。
 初めは、またくだらないことで、と主夫妻の痴話喧嘩に呆れ返っていた島左近も、このままではまた戦が起るのでは、と心配になって来た。結婚以前、秀吉が没する前の三成と政宗の仲の悪さと言えば、それが三成の一方的な敵意であったとはいえ、目を見張るほどのものであった。政宗は兼続とも仲が悪いが、あれは子供の喧嘩の延長だ。当時のこの夫妻の仲の悪さは、陰険で陰湿で陰惨な性質だった。とはいえ、政宗のために弁明しておくとするならば、それは伊達が徳川方だと勘違いした三成の一方的な敵意だった。この早とちりの敵意が元で、本当に敵になられてしまうのだから、人生というものはわからない。
 実際、そのような前例があったこともあり、左近の心配は現実味があった。太平の世が訪れたとはいえ、何が戦の火種になるかわからない、まだ不安定な時期なのである。左近はいくつか選択肢を検討した上で、もしかしたら油に火を注ぐ行為かもしれないと危惧しつつも、四国から元親と菜々を呼び寄せた。


 元親の妻である菜々は到着するなり、三成への挨拶もそこそこに政宗の部屋へ篭もってしまった。対して元親は、妻の逸る行動を嗜めるでもなく、悠々と持ってきた酒を杯に注ぎ、三成の方へ差し出した。義理とはいえ舅の酒だ。多少緊張しながら、三成は受け取った。
 手探りで会話の糸口も掴めぬままに杯を重ねていると、空に舞い始めたものがいる。蝙蝠だ。思わずむっと眉間に皺を寄せた三成に、元親が悠長な態度で洩らした。
 「蝙蝠は嫌いか。」
 「…嫌いではない。ただ、…少し、疎ましいだけだ。」
 蝙蝠が象徴である元親を前にして、率直な男だ。その片意地とも取れる率直さを、元親は大いに気に入っていた。
 「そうか、蝙蝠が疎ましいか。だが、何故だ?」
 「何故…?率直に言えば、政宗の心が貴様ら夫妻のところにあるようで、気に喰わん。」
 「率直だな。」
 「…気分を害したか?」
 「いや?」
 心配そうにこちらの様子を覗う三成に、元親はくつくつ笑って否定した。
 「どうやら、本当に三成は、蝙蝠の意味を知らないと見える。」
 「?蝙蝠の意味?土佐の雄以外に何か意味があるのか?」
 興味があることに関しては造形が深いが、興味がないことにはとことん知識のない三成らしい解答に、元親はとうとう笑い声を立てた。
 「三成らしい!左近は蝙蝠について何も説明しなかったのか?」
 三成はその言葉に仏頂面で頷いた。


 「最近、百蝠文を着てないそうね。藤。土佐に帰ってくる?」
 帰って来るとは可笑しな言い方だ。政宗は元来奥羽の武将で、四国に故郷があるわけではない。しかし、その言葉から菜々が現状を知悉している事実を察した政宗は、とりあえずゆるゆると首を振った。
 「でも、幸せではないのでしょう?」
 「だからというて、不幸なわけでもない。」
 「そんなこと言っても、藤。」
 「藤と言うな!わしは伊達藤次郎政宗様じゃ!」
 藤次郎の頭を取って「藤」と娘の名前で呼ぶ菜々に対して、政宗は頬を膨らませ、地団太を踏んだ。このような態度を取るから、子ども扱いされるのだ。しかし、幼少からの長い付き合いであるだけに、今更直せるわけもない。そのような政宗の態度に、菜々はにっこり笑みを溢した。
 「はいはい。それで、その政宗様はどうするの?こんな喧嘩ばかりしてもいられないでしょう?そのうち、放っておいても片倉さんに噂が伝わっちゃうわよ。ただでさえ、伊達での三成殿の心証は良くないんだから…それはわかってるでしょう?」
 「う、ううー…。」
 「唸ってないで、ほら。わかったの、わかってないの?」
 初めの心配したような言動はどこへやら、流石は美濃からはるばる四国まで嫁ぎに行った女だ。肝っ玉が据わっている。幼少期からそうであったが、政宗は菜々に勝てた験しが一度もなかった。
 政宗は二三度目を右往左往させると、「馬鹿め!」と言い捨てて部屋を飛び出した。
 その幼少期から変わることのない政宗の捨て台詞に、菜々はからからと笑い声を立てた。


 どたばたと、常は沈着冷静にして粋がっている政宗のらしくない足音が聞こえる。どうやら菜々に取っちめられて、良人の部屋に逃げ帰って来たらしい。喧嘩していることを覚えているのか、それとも、菜々に諭されたのか。これまたらしくなく、耳をそばだてそわそわと落ち着きのない三成の姿に、元親は酒瓶を掴むとその場を辞退することにした。
 吉祥を表す文字と、発音や意味や同じくする文字を大切にする大陸において、蝠と福は同義語に当たる。そのため、蝙蝠は福を呼ぶものとして扱われ、蝙蝠を沢山配した柄である「百蝠文」は、福が多い、という意味で用いられている。
 いつの間にこの離れまでやって来たのか、元親の隣で菜々が花のような笑みをこぼした。
 「あなたの口癖を借りるなら、凄絶に、あの子達の幸せにあてられそうだわ。」
 同感だ、と元親も笑い返した。











初掲載 2008年5月25日