翌日の昼過ぎ。三成は出会い頭、ァ千代に頬を張られた。場所は大阪城の執務室だった。
何をすると三成が非難する前に、ァ千代は叫んだ。
「三成、貴様、よく自分を慕う娘にあのような仕打ちが出来るな!自分が何をしたか覚えていないとは言わせない!貴様は政宗の想いを踏み躙って、…立花は見損なった!」
ァ千代は矢継ぎ早に捲くし立てると、床に尻餅をついている三成をそのままに立ち去った。
馬鹿にされたのは自分の方だ。三成は怒りに舌打ちした。好いた男の元へ嫁げぬからと、一切己に興味を示さない三成のことを避難場所に用い、結局、不義の山犬は山犬のままだった。見目や口調を愛らしいものに変えたところで、本性は変わらない。所詮、女だ。
昨夜を思い返し唇を噛む三成に、後ろの左近が溜め息を吐いた。
政宗はぼんやり縁側に腰を下ろして、童女の鞠つきを眺めていた。どうにでもなれという捨て鉢な気分だった。伊達政宗でない自分に価値はない。女としても、価値が見出せない。女らしく振舞いもしたが、結局、それも無駄だった。
昨夜のことがある。三成は自分を離縁するだろう。しかし、元は伊達政宗を監視するため、蟄居の代わりに縁付いたのだ。次は誰の元へ行くことになるのだろう。それとも、尼になれば終るのだろうか。
眠れぬまま夜を過ごし、朝日が昇ると同時に伊達に帰るため荷造りをし始めたが、元から、持ち帰るような持ち物などなかった。伊達時代のものは殆ど伊達に置いてきていた。今手元にあるのは、左近から贈られた品ばかりだ。しかしそれは石田家の奥方宛のもので、政宗個人宛ではない。
結局、二人で逃避行した折に昭光から貰った風車や簪を行李に入れて、それきりだった。自分にはそれしか持ち物がない。空しさばかりが募って、蓋を閉める気にもなれなかった。
安っぽい壊れかけの風車に、鍍金の簪。今手に入るものとは比べる価値もない代物だ。伊達の名のない素のままの政宗には、こんな価値しかない。当時は素直に嬉しかったはずなのに、今はそれが喜べない。風車を一つ手に取って息を吹いたが、古い風車はぎこちなく震えて回転する気配はなく、政宗は諦めて膝の上に載せた。
昼頃に、昨日に引き続きァ千代が来た。何を話したかは覚えていない。
心此処に在らずの政宗は、手毬歌が止んだことにも気付かなかった。ふっと陰が差し、そちらへ顔を向けると三成が居た。何があったのか、頬が赤く腫れている。三成は風車を一瞥し、苛立たしそうに眉間にしわを寄せた。
何処か泣きそうだと、政宗は思った。
「三成様、如何なさいました。」
「敬語は使うな。昔のままが良い。」
立とうとするのを、三成が手で制した。いぶかしんで政宗は瞬きした。三成は一体どうしたのだろう。
手が伸ばされて、嘘のように優しく抱きしめられた。
「すまなかった。全て俺の落ち度だ。」
無視しない、刺激しない、話し合う。政宗と度々接触していた左近は、全てを承知した上で、三成にきちんと忠告した。それを無視したのは三成だ。
思い込みが激しいのだと叱責された。横柄で出しゃばり、自分の理論を前面に推しすぎる。
親友の大谷吉継には面と向かって言われた。清正や正則にも陰口を叩かれた。しかし、左近に咎められたのはこれが初めてだった。余程見かねかけたのだろう。
ァ千代も腹に据えかねて、三成の頬を張った。
「お前を…政宗を、傷付けた。」
肩口に額をすりつけ、三成が震える声で囁いた。その背に腕を回しながら、政宗はゆっくり溜め息を吐いた。自分は今、願望を夢見ているのだろうか。
ぴーひょろろろろと泣き声がした。見上げた空で、鳶がくるりと弧を描いていた。
政宗は黙って、回した腕に力を込めた。
初掲載 2007年12月24日