傍白:3   十二国記パラレル


 幸村が奥王と成ってから、半年が過ぎた。
 風が頬をくすぐる。奥城の楼閣で、政宗は僅かに目を眇めて、天上高く輝く太陽を見上げた。冬特有の晴れ渡った空で白く輝く姿は、夜空に浮かぶ満月に似ている。雲海に照り返す陽光は、漣のようだ。
 政宗は瞼を閉ざし、腕に顔を埋めた。瞼を閉じれば、あの日の波の音が聞こえてくる気がする。政宗が初めて遠呂智と出会った日の音が。当時の遠呂智の、海客に他ならない束の間共にしただけの見慣れぬ容貌に思いを馳せながら、政宗は自らの影へ潜む使令へ問いかけた。
 「助けたそうじゃな。」
 半年前の昇山最終日、幸村は僅かな隙を突き、旅人を喰らいながら永きを生きていた大妖を討ち倒した。その僅かな隙を作り上げたのが、政宗の使令小十郎だという。その戦闘の際、偶然通りかかり加勢に入った稲が嘘を吐く理由もないので、小十郎が幸村を手助けしたのは事実なのだろう。
 束の間を差し挟んで、小十郎が詫びた。
 『…出過ぎた真似を致しました。』
 「良い。お主のしたことじゃ、これこそがわしの望みであったのじゃろう。」
 恐らく、小十郎が幸村に助力したことも、稲があの場に居合わせたことも、天命なのだろう。そして、政宗が幸村を王と仰ぐことも、また天命なのだ。
 政宗は閉ざした瞼を開け、雲海を見下ろした。相も変わらず、雲海は陽光を弾き、煌いている。此処はあまりにも高すぎて、守るべき民の在る場所が見えない。政宗はそのように思う。波間が割れ、透き通った海水が地上を透かし通すことも間々あるが、大抵は、このように雲海で蓋をされている。
 だから、人心を見失い、道を違うのだろうか。
 「小十郎。」
 慣れ親しんだ気配に振り返ることもなく、政宗は呼びかけた。使令に対してではない。やって来た人物に対してである。
 奥国にそのものありと謳われた小十郎は、使令ばかりを指すわけではなく、片倉重綱と呼ばれる側近もまた、小十郎という名で親しまれている。孫市などは紛らわしいと愚痴をこぼし、実際政宗もそのように思わないでもないのだが、幼少期の己を責めることも出来ず、その名で通らせている。
 そもそも文官として登用された重綱は剣の腕も優れており、その剣技が、小十郎を憑かせたものに似ていた。また、雰囲気も同様である。それゆえ、政宗が小十郎と誤って重綱を呼んだのが切欠だった。妲妃を初めとした当時の重臣らが面白がって真似をし、そうして政宗をからかううちに、小十郎という渾名で定着してしまったのだ。
 ふと、政宗は違和感を覚え、視線を落とした。遠呂智が崩御した折、様々なものが死に、多くの官もまた道連れにされた。今政宗が留まっている奥城は死臭に満ち、方々に討ち捨てられ折り重なる遺体は、火葬の際大きな山を作るほどであった。だが、長らく政宗に仕えてきた小十郎が存命している。幼少期から時を共にしている女官たちも、身元が無事だ。
 はたしてそれすらも、政宗の負担を減らし、麒麟として幸村に仕えさせようとする天命なのであろうか。
 「暫し、城を留守にするゆえ、守りを頼む。」
 「…何処へ?」
 「主上が王として学ぶべき事は多い。仙州に数多くの仁官を輩出した老師が在る。わしは其処へ主上を連れてゆこうと思う。」
 「如何ほどになりましょうか。」
 「半月、一ヶ月…主上次第か。老師を城へ招ければとも思うが、招いて来るような御仁でもあるまい。…火急の用件は受けるゆえ、そう大事と捉えぬでも良い。在位半年の王など、在っても無くても、主らならば巧くやるであろう。小十郎、お主もみなを助けてやれ。」
 用件は済んだとばかりに口を噤む政宗の様子を、察せぬほど愚かな重綱ではない。また、それは使令筆頭である小十郎にしても同じことだった。暗に、政宗は独りにしろと命じているのだ。重綱は一礼すると、小十郎を自らの影へ伴って階下へ姿を消した。
 完全に気配が遠ざかったことを確認してから、政宗が溜め息をこぼす。
 重臣重綱が居る。古くから政宗に仕える女官頭、愛が居る。幼少期より政宗の護衛を任された近衛兵、猫が居る。同じ喪失の苦渋を味わった女官、卑弥呼が居る。
 それすらも、政宗の負担を減らし、麒麟として幸村に仕えさせようとする天命なのであろうか。
 あるいは、一人残される政宗に対する、遠呂智の最期の思い遣りなのであろうか。
 「…遠呂智。」
 麒麟の性は、仁。民のために生きる獣。
 渇き切った政宗の瞳からは、涙一粒零れない。











初掲載 2009年10月18日