うかつだった。完全に自分の手落ちだと政宗は力なくドアノブから手を離し、壁伝いに地面へ腰を落とした。どうやら、閉じ込められたらしい。
政宗の通う高校には開かずの間と呼ばれている部屋がある。どのような目的でそのような部屋が作られたのか仔細は謎だが、自動的に鍵が閉まるタイプの扉で内側からは開かない。扉の表裏を間違えて設置したのだろうという意見が多いその部屋は、稀に閉じ込められる者が出る。とはいえ、場所が図書室後ろの書庫であること、誰もが注意していること、電話回線が引かれていることなどもあって、大抵はすぐさま発見され笑い話で済まされる。
この、短縮ボタンで事務室に電話を一本かければ、すぐにでも助けてもらえるだろう事態に政宗が絶望したのは、今日ばかりは電話が通じないためだった。確かネット接続がどうのという理由で、工事中であったはずだ。その上、携帯電話も生憎と持っていない。教室の机の上に放り出したままの鞄の中だ。
あの鞄を誰かが見つけてさえくれれば。そう一縷の望みを託しつつ、無理だろうなと政宗は諦めから嘆息した。テスト週間、その上地球温暖化対策ということで授業の終わった教室の暖房も切られている。こんな時間まで寒い部屋にいる奇特な人間もいないだろう。暖房の効いた学習室に引っ込んだ方が賢明だ。
室内のことだ。凍死はしないだろうが、風邪は免れないだろう。ぼんやり霞む頭でテストを受けるか、帰宅して最高80点の再試を受けるか。いずれにせよ、最低だ。
うかつだったと頭を抱え、何かないものか制服のポケットを探ると、ハンカチと以前駅前で貰った携帯会社のティッシュ、それにクラスの女子から貰ったキャラメル1粒しかなかった。政宗は眉間に皺を寄せそれらを睨みつけてから、再びポケットに戻し、窓の方へと歩いていった。3階。飛び降りて済む高さだろうか。下を見ると笑い話では済まされない高さだったので、政宗は諦めて引き下がった。
そういえば。ふっと政宗は目を眇めると、今朝のやり取りを思い返した。
激しい競争に打ち勝つためか、最近携帯会社はどこもCMに力を入れている。その中の、先のティッシュをくれた一社のCMはキャストを豪勢に集めたタイプのものだった。
今朝登校時、政宗は幼なじみの幸村と、更新されたそのシリーズCM最新作について話していたのだ。運命を信じるか。携帯で会話を続けながら、様々な国を旅する二人の男女。男が通話中にそのような問いかけをしたとき、二人は旅行先で運命的に落ち合う。「俺は信じるよ。」「私も。」
「幸村は、運命を信じるか?」
軽い口調で問いかけた政宗に、隣の幸村は笑みを浮かべて問い返した。
「政宗は?」
「…わしは――」
単騎駆けで疲労した身体は呆気なかった。
負け戦ならば命を惜しまず名を惜しめ。そう思い、せめて一矢報いようと徳川本陣に突撃、失敗。反転した直後遭遇した政宗に、幸村は膝を折ることになった。肺に穴が空いたのか、嫌な音のする浅い呼吸のたびに抑えた銃創から血があふれ出た。
「これが真田の意地か。」
「…政宗様には…わかりますまい。」
真田が徳川に厭われている限り、幸村にはこの道を選ぶしかなかった。父の代に決められた運命だ。
地に倒れ伏した幸村を見下ろしもの悲しげに呟いた政宗は、その返答に剣を一振りし血を払い落とした。傷に苦しむ者に止めを刺す。これが政宗の情けなのだろう。戦国を生きた武士らしい慈悲のかけ方だ。自分が政宗の立場でもそうしただろう。
答えを期待したわけではない。答えなどない方が逝き易かった。切っ先が振り下ろされた瞬間、幸村は重い口を叱咤し、政宗に問うた。
「政宗…様は、運命を…信じますか?」
最期の瞬間目にしたのは、痛みに揺れる隻眼だった。
「政宗、やはりここか。」
「幸村。」
突然現われた幸村の声に、瞼を閉ざし考えに耽っていた政宗は思わず驚きに目を見張った。閉じ込められてからまだ30分も経っていない。どうしてこの場所がわかったのだろうと思うと同時に、どうやって扉の鍵を開けたのだろうと疑問に思った。教師に失くさないよう閉じ込められないよう注意され、明日返す約束で借りた書庫の鍵は、政宗が持っている。マスターキーは事務室にあるはずだ。幸村が鍵を持っているわけがない。
「どうした?」
「それはこちらの台詞だ。教室に荷物だけで姿が見えないから探した。」
確かに、普段であれば下校も一緒にしているが。
「…委員会の方で用事があるから、今日は別々に帰ると言うておったではないか。」
「早めに終わったから、まだ教室にいるかと戻ってきた。帰ろう。」
手を引かれ立ち上がった政宗は、幸村が奇妙に曲げられたヘアピンを手にしているのを目ざとく見つけた。ヘアピンを曲げるなど相変わらずの馬鹿力だ。妙な特技だと繋いだ幸村の手に視線を落とし、政宗は小声で囁いた。
「幸村は、運命を信じるか?…まだ、朝の答えを聞いていない。」
朝は話題を変えられてしまい、返答を得られずじまいだった。
「朝も言ったが、わしは信じておるぞ。」
同姓同名、同じ見た目、そして奇妙な特技。小十郎も孫市も、他の知り合いが誰もいない新しい生で、幸村だけが例外だった。幼少期、引越し先の隣家の子供が幸村だったとき、運命なのだと政宗は思った。幸村を殺めることも運命だったというならば、それも甘んじて受け入れよう。再会できた今だからこそ、その事実も受け入れられる。
強く掌を握り締めた政宗に、幸村が掠れた声で呟いた。
「…傷付けたかったわけではない。」
かつて最期に見た表情。政宗に、あんな顔をさせたいわけではなかった。
「私も…、」
後ろは振り返らないまま、幸村は強く手を握り返した。
「私も、信じている。」
初掲載 2009年11月30日