空中庭園 / 川原由美子 第四話   観用少女パラレル


 湯気の立つ香り高い紅茶に苺のショートケーキが眼前に出されている。隣にちんまり腰を下ろして専用のミルクを飲むガラシャへと視線を向けて、政宗は再び食べ物へ目を戻した。洋菓子、それも苺のショートケーキ。やはり女子供と同列扱いだ。それでも政宗は文句を言わず、正面に座る家康を見やった。
 「遺言ですか?」
 「そうなのだ。遺言状に書いてある。遺言を執行する場合にまず少女の言葉を聞けと。それがわからないから、亡くなってからずっと宙ぶらりんなのだ。だから頼む!聞かせてくれ!」
 「…しかし、そんな言葉のようには。」
 思わず首を捻る政宗に、家康が身を乗り出した。
 「それしか話さないはずなのだ!もう二ヶ月…このままではうちの動きは全てストップしてしまう。そうなるくらいならばあやつに座を譲っても良い。一族でそこまで話し合っているのだ!」
 「それは…。」
 それはさぞ決死の覚悟だろう。あのような男がトップでは先が思いやられるものだ。しかし、と政宗がガラシャへ視線を向けると、ガラシャがにっこり笑いかけた。
 政宗は緩みそうになる頬を必死に我慢し、真面目面して、今にも泣きそうな家康へ言った。
 「しかし、もうじき…大丈夫だと思います。新年最初の日にきっと。」
 その後、身の危険を感じたこともあり帰宅を許された政宗は、ガラシャを連れて庭園へ戻った。庭園では三成が定位置に座り、黙々と文庫を読んでいた。政宗の帰りを待っていたのか、単に習慣としてここにいるだけか。三成の真意がいまだ読めず、政宗は胡乱な視線を向けた。
 「貴様の性格、父親譲りなのじゃな。人騒がせな。」
 三成が文庫を閉じ、政宗を振り返り尋ねた。
 「虐められたか?」
 「泣かれた。」
 三成が鼻先で笑った。
 「相当切羽づまっているようだな。本当は政宗と二人で過ごすつもりだったが、致し方あるまい。新年になったらあいつらも呼んでやるか。」
 ガラシャもいるから二人ではないし、そもそも政宗がここで過ごす必要はないし、帰宅の許可も下りているのだが、それらを告げた方が良いものか、一瞬、政宗は迷った。しかし、家康に懇願されてもいる。政宗は変わらず仕事をこなしにここへ来るのだ。
 政宗は小さく嘆息をして、隣のガラシャに笑いかけた。
 「まあ、わしも顛末はちゃんと確認しておきたいしの。」
 新年最初の日に何があるのか。政宗の笑みにガラシャが笑って応じた。


 庭園の扉を開けた途端、暖かい空気が流れ込んできた。見れば、柔らかい薄桃色の花弁がひらひらと宙を舞っている。約束の新年最初の日、家康たちと共にやって来た政宗は嘆息して足を止めた。以前はコートを羽織っていて尚寒さが身に沁みたというのに、今ではじわりと汗ばむような暑さだ。
 「…つい最近まで廃園じゃったのに。これは、桜か?」
 コートを脱ぎながら尋ねる政宗に、定位置に腰を下ろし隣にガラシャを侍らせた三成が感慨深そうに呟いた。
 「寒かっただろう、温室なのに。不思議に思わなかったのか?長い冬の終わった後の…秀吉様の、貴様らの故郷の春だ。」
 『この街は季節の移り変わりがなくて寂しいのう。わしの生まれ育った場所は冬はもっと凍えじゃが、春はそりゃあ美しかった。』
 車椅子に座る秀吉はそう言って、庭園から地上をよく眺めていた。三成は斜め後ろに立つのが低位置で、身を乗り出しすぎないようにと秀吉に小言を洩らしては嫌な顔をされたものだ。
 『出かけてゆくのは芸がないから、この場所で、あの場所の風景をいつか見たいもんじゃのぅ。』
 『…それは言外に、俺にやれと言っているのですか?』
 『さあて、三成の耳にゃそう聞こえたんか?』
 『…わかりました。俺がやれば良いんでしょう。秀吉様もそれまで生きててくださいよ。』
 『すまんなあ。』
 少しも悪びれた様子もなく、秀吉はからからと笑った。
 あれは一年前の出来事だった。老齢ということもあるが、人には約束を守らせて、自分はさっさとあの世へ行く辺りいかにも秀吉らしい勝手さだ。守りましたよと内心呟き、三成は席を立ち上がるとぽかんとしている家康に告げた。
 「すまなかったな。俺はこれが見たかっただけだ、秀吉様の代わりに。相続権放棄の書類は弁護士の左近にもう預けてある。」
 「…。少女の遺言は、」
 呆然とそれだけ問うた家康に政宗が緩く苦笑を浮かべた。
 にやりと笑った三成に軽く頭を叩かれ、ガラシャが反射的に言った。
 「キラクニヤレヤー。」
 「…。」
 その後叫んだ家康の台詞は、忍耐が主義の男のものとは思えないほど酷かった。しかしそれも当然だろう。政宗はガラシャに手を引かれるまま、空中庭園を後にした。給金は後で口座に振り込まれるし、もうこの場に居続ける理由もないだろう。家康も自分の醜態は見られたくはないはずだ。政宗もあまり家庭内の恨み言を聞きたくない。
 ガードマンに別れの挨拶を告げ、エレベーターで大きく伸びをするとようやく人心地ついて、政宗はほっと嘆息した。
 「報酬もたんまり貰うたし、実家に帰るか。」
 「…ところで、俺には帰る場所がないのだが。」
 不穏なものを感じさせる三成の言葉に合わせてガラシャが政宗を見上げた。それを極力意識しないよう努め、政宗は平坦な声で返した。ものすごく嫌な予感がした。
 「…、それがどうした。わしには関係なかろう。」
 「今ならガラシャもつけてやる。」
 ガラシャはまだ政宗を見詰めている。じっと付いて回る視線にもしや三成とガラシャで何か打ち合わせでも事前にしていたのではなかろうな、と政宗は疑念を抱いた。今までの様子から二人の組み合わせはありえないものだと思っていたが、ここまで示し合わせたように行動されては勘繰りたくもなるというものだ。
 じーーと見続けるガラシャに耐え切れず、政宗は大きく溜め息を吐いた。
 「…。……。わかった。致し方あるまい。付いて来い。わしの故郷の春を見せてやる。」
 ぱあと晴れやかな笑みを浮かべて、ガラシャが政宗に抱きついた。
 「その後も頼むぞ。」
 何か不吉なことを耳にした気がする。政宗が頬を引き攣らせ隣を見ると、三成はにっこりと笑った。
 それを真似して、政宗に抱きついたガラシャも花のような笑みを浮かべた。政宗は、あ、わし早まったかも、と早くも後悔していた。











初掲載 2007年10月21〜24日