今夜、一杯の愛情を   現代パラレル

Tonight, Lave is rationed (今夜“愛”が配給されるって)
TONIGHT, TONIGHT, TONIGHT / BEAT CRUSADERS


 チョコバー。トリュフ。オレンジピールショコラ。チョコレートマカロン。ガトーショコラ。ブラウニース。ズッパ・イングレーゼ。アマンド・ショコラ。カーディナル・シュニッテン。プロフィットロール。ショコラティーヌ。ブッセ。ザッハトルテ。ボネ。
 扉を開けるなり甘い香りが鼻先を掠め、孫市は思わず瞑目した。ショコラトリーでも開くつもりなのだろうか。テーブルの上に所狭しと並べられたショコラの隣には、極めつけのように、淹れたばかりらしき湯気立つ生クリームたっぷりのショコラショーまである。これどーすんだ、と孫市は見ただけで胸焼けを催した胸を抑え、換気するため窓へと向かった。
 ガラシャは嬉しそうに目を輝かせ、手を叩いて歓声を上げた。昨夜、眉間に深い皺を寄せ料理を決行すると言っていた政宗に、「なら、ショコラが食べたいのじゃ!」とねだった当人だ。ガラシャはばっと政宗を仰いだ。
 「政宗!これ、食べても良いのか?!」
 期待に声が弾んでいる。ガラシャの今にも涎を垂らしそうな様子に、政宗は年頃の娘がと心配になった。食い意地が張っているのは料理人としてまだ許せるが、涎は垂らすべきではない。仮にも年頃の娘なのだ。故郷に帰れば彼氏もいると、確か言っていたではないか。
 エプロンを後ろ手で外しながら、政宗はそっと嘆息した。注意したところで詮無きこと、ガラシャはきっと聴く耳持つまい。
 「好きにせい。お主が食べねばどうにもならん…正直、わしはもう見とうない。」
 「それで気は済んだのか?」
 「…まあまあじゃな。ショコラは物足りんことはようわかった。やはり、生地を練る系が一番じゃな。」
 「なら政宗!妾、次はピザが良い!マルゲリータ!マリラーナ、クアットロ・フォルマッジにクアットロ・スタジョーニ。秋じゃから茸たっぷりのボスカイオラでも良いし、ロマーナ…ナポレターナも捨てがたいのう!」
 言って、普段はピザを載せるのに用いる大皿の上に積み上げられた大量のプロフィットロールを一つ舌先に乗せて、ガラシャはうっとり頬を緩めた。解けるように溶け淡雪のように消えてゆく儚さ、口内に広がる気高いまでの繊細な芳香。ソースには、ショコラ界のロマネコンティと名高いアメディ社のショコラを使用しているに違いない。素人には難しいにもかかわらず、絶妙な匙加減でさっくり焼き上げられているシュー生地の中には、アーモンドクリーム、ピスタチオクリーム、グランマルニエ、フランボワーズと様々なクリームが詰められていた。取り上げるごとに中身が違う、その芸の細かさが憎らしい。
 流石は政宗なのじゃと感心しつつ丹念に味わいながらも、傍から見れば異常な速さで、ガラシャが次々にプロフィットロールの山を切り崩していく。
 「ピザって…、皿見て反射的に言っただけかもしれねえけど、もう、次を考えてるのかよ。すげえな。」
 孫市が引き攣った笑みで感想を口にし、改めて政宗に向き直った。
 「で、政宗。何であんな機嫌悪かったんだよ。」
 「…別に。」
 「別にって。お前がすげえ勢いで料理するのなんて、大抵、憂さ晴らしじゃねえか。…兼続とまた何かやらかしたのか?」
 「あやつは関係ない!」
 すぐさま叫んで否定した政宗に、ボネに伸ばした手を止めガラシャが寂しそうに眉根を寄せた。
 「…政宗はまた兼続と喧嘩してしまったのか?二人とも大人なのじゃから、………、あまり、そういうことはせぬ方が良いぞ?」
 「ガラシャも、話の途中で我慢しきれなくなって物を食べるのはせぬ方が良いぞ。」
 「う、うむ。」
 答えて、ガラシャはボネをスプーンで掬って口に運んだ。ビターチョコレートを使用したプティング部分の華やかさは言うまでもない。ラムも加えられているらしく、すぐさま芳香が口内に広がった。そこに遅れて、プティングに細かく砕かれ入れられていたアマレッティの紛れえぬアーモンドパウダーとアマレットの香ばしい風味が加わる。かけられたキャラメルソースも相俟って、口の中で渾然一体となった瞬間の感動は、筆舌に尽くし難い。ボネ特有の歯触りである、柔らかく触れた端からほろほろと崩れていくプティングと焼き菓子のアマレッティの調和も巧みに引き出されていた。
 完璧じゃと政宗に喝采しつつ、ガラシャはごくんとそれを嚥下した。政宗のショコラは可憐で繊細、優雅にして艶美。まったく非の打ちどころがない。プロフィットロールの天辺に乗せられていたマジパンの人形など、食べるのが勿体ないほど芸術的な仕上がりだ。
 「こんなにも、政宗の料理は美味しいのじゃ。何故それを誇らぬ?妾には出来ぬことなのに。」
 料理について勉強しなさいと父に送り出された日を思い返して、ガラシャは物憂げにボネを掬った。政宗も孫市も、漂う甘ったるい空気に嫌気がさしてリビングを出て行ってしまっている。「独り言になってしまうの。」と小さく呟き、ガラシャはトリュフへ矛先を変えた。
 ガラシャは魔女見習いである。今は修行として人間界の政宗の元に滞在しているが、立派な家柄の箱入り娘だ。蝶よ花よと育てられ、今まで様々なパティシエやショコラティエのショコラを食べてきた。しかし、これほどまでに見事なショコラに会ったことはない。ショコラだけではない。政宗の料理は全て魅力的で、まるで魔法にかけられたようなうっとりとした幸せを人に与える。それは魔術ではもたらしえないものだ。
 「魔術じゃ力じゃと政宗は求めるが、こちらの方がよっぽど凄いと妾は思うがのう…。」
 部外者は魔術のことを何でも出来るように錯覚するが、それは魔法で、生憎魔術は有限だ。何より様々な条件に縛られていて、実際に手足を動かした方が早いものの方が断然多い。知識を得れば得た分だけ、夢がなくなるような代物が魔術である。
 そもそも、魔女の基本たる魔術といえば薬の調合を指す。公孫樹、菫、蒲公英、蓬、南天、野薔薇、桔梗、柘榴。誰もが目にしたことのあるものが、人を死に至らしめる毒を持っている。しかし、毒は同時に薬になりうる。それらを適当な量計り、適切に処理することが魔女として求められる最低条件だ。
 ガラシャはこの能力に欠けていた。だからこそ今、政宗の元で修行をしている。調理と調合、知識にレシピ。料理と魔術は基礎が似ているのだ。それでも、魔術ではこれほど人を幸せに出来ないともガラシャは思う。料理音痴ゆえ、尚更憧れが募るかもしれない。
 沈鬱な表情でトリュフを口にし、すぐさま表情を晴れやかにして、ガラシャは「そうじゃ。」と呟いた。


 今日会おうと決めたのは随分前のことだった。
 昨夜喧嘩別れをしたのだ。正直、積極的に会いたいと思える状況でもない。政宗としても、兼続が言い出した約束ならさっさと蹴っていただろう。しかし、自分で言い出したことを勝手に反故にするのは気が引け、またガラシャに背を押されたこともあり、いっそ直接嫌味の一つでも言ってやろうと腹をくくって政宗は兼続の元を訪れた。
 兼続はインターフォン越しに文句の一つ洩らすでもなく、政宗に入ってくるよう告げた。妙に大人しい。それが何故なのかわからずいぶかしみながら、政宗が兼続の部屋の扉を開けると、途端、ふわりと甘い香りが鼻先を掠めた。昼間、嫌というほど関わっていたあの香りだ。
 「…一体、どうした?」
 「政宗のところの娘が、これでショコラショーでも作ってもらえと言って持って来た。」
 「ガラシャが?」
 「ああ。」
 神妙な面持ちで頷いた兼続は政宗にエプロンを押し付けると、カウンターに座ってしまった。作れということなのだろう。政宗は心中嘆息して、エプロンを纏うとキッチンに立った。兼続のために料理をするのは初めてのことだ。するつもりも毛頭なかった。
 ガラシャが家から持ってきたのか山積みされた材料を一瞥してから、勝手のわからないキッチンを見回し棚を漁った。兼続らしく几帳面に並べられた鍋の中からミルクパンを取り出し、ガス台に置く。
 冷蔵庫から牛乳を出した時点で、兼続がようやく口を開いた。
 「…ショコラショーとは何だ?」
 今日の兼続はやはりしおらしい。政宗は怪訝に眉をひそめた。
 「chocolat chaud. ホットチョコレートのことじゃな。」
 「ホットチョコレート…チョコレートフォンデュのことか?」
 「そうではのうて、いわゆる、ココアのことじゃ。」
 目分量で牛乳をパンに注ぎ入れて、政宗はチョコレート選びへ入った。
 ポルチェラーナ。チュアオ。ノーヴェ。ヘーゼルナッツ・ミルク。ピスタチオ・ホワイト。トスカーノ・ブラックにトスカーノ・ブラウン。
 束の間の夢を与えてくれるそれらからトスカーナ・ブラックを選び取り、細かく削りパンへ追加し点火した。中火でミルクを煮立たせないよう配慮しながらグランマルニエの蓋を開くと、コニャックとオレンジの華やいだ芳香があまやかに広がり、パンのトスカーナ・ブラックの持つ典雅なものと交わり満ちる。カップで合わさる瞬間を思い、政宗はそっと溜め息を吐いた。
 政宗は料理をするのが好きだ。調理の間は品が出来上がる瞬間を楽しみ、食べる人の笑みを思い描く。出した料理を嬉しそうに平らげられれば、それだけで何かが満たされる。切っ掛けは、風邪を引いた実母に林檎を剥いて差し出したことだった。拙く剥き終えた林檎を手にして、あのとき、母は柔らかく笑んだ。――遠い昔のことだ。
 一瞬遠い目をした政宗の姿に、兼続が小さく呟いた。
 「私は、政宗が料理をするなど知らなかった。」
 「知らせなかったからな。不満か?」
 「…あの娘が、」
 急に話題を変えた兼続に、政宗はパンから面を上げた。
 「妾たちと兼続は違うと言っていた。妾たちは政宗の家族じゃが、兼続は違うであろう?だそうだ。確かに考えてみれば、私は政宗に作らされることはあっても作ってもらったことはなかった。」
 「…。出来たぞ。」
 沸騰寸前で火を止め掻き混ぜてから、グランマニエを一匙加え、政宗はショコラショーを兼続に出した。カタリと静かに置いたカップの中で注がれたショコラショーが渦巻いている。それを一口、兼続は黙って口にした。辛うじて記憶に引っ掛かっている市販のココアとはまるで違う、口内にしめやかに広がる風味は濃厚でいて後味が良い。
 政宗が新たに作り始めたショコラショーからは、バニラとシナモンの甘いがした。兼続は小さく唇を噛んだ。
 「あの娘が言っていた。政宗、料理は愛情だそうだ。」
 「如何にもガラシャの言いそうなことじゃ。」
 「政宗は、家族には惜しみなく与えるが、欲しがるとも言っていた。」
 「…何が言いたい?」
 カウンター越しに怪訝な顔をする政宗の態度に、顰め面らしくしていた兼続はとうとう堪えきれずに笑みを零した。


 「…私は家族ではないからな。」
 歯痒さに俯く兼続にガラシャはきょとんと目を見開いた。心底、不思議だったのだろう。テーブルの上に材料を並べ、頬に指を当て小首を傾げた。
 「不満か?兼続は、政宗の恋人じゃろう?家族と恋人じゃ違うのに何故両方欲しがるのじゃ?好いた者の愛情を求めたいのは普通ではないか。政宗は、兼続の愛がまるっと全部欲しいのじゃ。じゃから昨日もどうせくだらない嫉妬で喧嘩したのじゃろう?孫が言っておった。違うのか?」
 続けて、晴れやかに手を打って笑った。
 「じゃから、ショコラショーを作ってもらえば良い。妾の言っていることが絶対わかる。政宗のショコラショーは天下一品じゃぞ!それはな、食べる人の好みに合わせて味を変えるからじゃ!絶対絶対、兼続のは美味しいに決まっとる!」


 「愛がなくては、ショコラショーは美味しく出来ない。飲む人を知悉していなければ、美味しいショコラショーにならない。…あの娘もよく言ったものだ。政宗、お前は私の愛がまるっと全部独り占めしたかったのだな!」
 カップをテーブルの上に置き嬉しそうに笑う兼続の様子に、政宗は目を見開いて言葉に詰まった。言葉の意味を把握した途端、顔に熱が集中してくる。何か言わねばと気ばかり急いて、何も言葉が浮かばない。口を幾度か開閉した後、漂ってきた甘い香りにやっとの思いで火を止めて、政宗は歯噛みし俯いた。魔女であることが関係するのか、ガラシャの読心は侮れない。魔女の本分は魔力関係のみだと見くびっていたのだと思う。ガラシャめ、あやつちくりおって!と内心非難し、政宗は諦めて兼続を見た。満面の笑みだ。
 「…ショコラショーの代わりはどうじゃ?」
 震える声でそれだけ告げると兼続は大きく頷いた後、笑って政宗を手招いた。
 カウンター越しに寄こされたキスは甘いショコラの香りがした。











初掲載 2007年10月31日