文未満   紅茶王子パラレル


 ある日。
 戦に出かけた直江は山越えの際、罠に引っ掛かった山犬を発見する。子犬だったこともあり、これも何かの縁と助けてやるのだった。
 戦後。
 無事凱旋を果たした直江は、上杉謙信直々に褒美もかね、茶席に招待される。異国から取り寄せたという珍しい茶葉を使用しての夜の茶会は、和やかに進むかに思えた。
 しかし。
 「月が浮いた茶というのも、風流なものですな。それがまして異国のものとあれば。」
 直江は自分の茶器の茶に浮いた月をまじまじと眺めつつ、そんなことを嘆息した。そのとき、茶の表面から何やら面妖な小人が出現する。
 「面妖なり…!これいかに。」
 謙信と直江と、他の面子とで小人に警戒していると、小人は自らを紅茶の精:伊達政宗だと名乗った。
 「馬鹿め!紅茶はこのような茶器に淹れるものではないわ!」
 上杉景勝に振舞われた羊羹を食べながら文句を言う政宗の対処に困る上杉軍。
 「…汝、何ゆえ現れしか。」
 「何度も言っておるであろう。そこの、わしを呼び出したやつの願いを3つ叶えるためにじゃ!叶えねばわしは帰れん。ほれ、さっさと願いを3つ言え。」
 政宗が直江のことを睨みつけてそうのたまったので、上杉軍は直江に全て任せることにしたのだった。
 しかし、直江は政宗のことを先日助けてやった山犬の化生だと信じているため、政宗の言い分をまるで信じない。
 「山犬…そのように無理をせずとも、さっさと山へ帰るがよい。私は気にしていない。」
 「違うと言っておろうが…!誰が山犬じゃ!」
 「そうでないなら妖怪であろう。私を試すために、愛染明王が遣わされたか…。」
 「…、話にならん…!」


 「なにゆえ、政宗は眼帯をしているのだ。」
 政宗がすっかり上杉に溶け込んだ頃、直江の素朴な疑問に、政宗は顔を顰めた。
 「呪われておるからじゃ。」
 「呪い?」
 「この目は、」
 政宗は右目を眼帯の上から押さえ、告げた。
 「呪われておる。見とうない未来が見える。」
 「…便利ではないか。」
 「未来は己で切り開くものじゃ。運命なぞ、わしは信じとうないからな。ゆえに、邪魔なだけのいらん目じゃ。この封じとる眼帯のせいで、視界も狭まるし。」
 政宗は眉間に皺を寄せ、ぶつぶつと文句を言い始めてしまった。
 やがて上杉謙信が倒れる。
 豊臣秀吉の世になり、その秀吉も倒れ、豊臣と徳川とで、世は再び天下分け目の戦をすることになるのだった。
 豊臣の配下武将同士、石田三成、真田幸村と親交を深め、また前田慶次という友を得た直江は、長谷堂で徳川軍と対峙することとなる。
 「直江、」
 戦の支度をしていた直江は、政宗が己を呼ぶ声が固いことに気付いた。
 「どうした、政宗?」
 「願いは、」
 「?」
 「願いはないか。3つ、叶えてやろうと言ったであろう。」
 ずいぶん昔の話なだけに、失念こそしていなかったものの、もう過ぎ去った約束だと思っていた直江は、なぜそのようなことを政宗が突然言い出すのかと不思議に思う。
 半刻後。直江のもとに、三成が徳川に捕縛された報告が届く。明日処刑が行われるらしい。
 その報告に愕然とする直江がはっとして政宗を見やると、政宗は無表情でそこにいた。
 「この呪われた目は、」
 いつかのように政宗が眼帯の上から右目をそっと撫で、言った。
 「未来が見えると、」
 ―――願いは?
 視線で尋ねられ、直江はわいたつばを呑んだ。
 さんざん、政宗のことを妖怪だ山犬だと言ってきた直江だったが、本当はわかっていた。政宗が嘘など告げていないことに。政宗が、願いを叶えて魂を地獄に連れて行く類の妖怪であろうはずがないことなど、とっくに、わかっていた。
 それでも願いを口にしなかったのは、政宗が未来は己の手で切り開くものと告げたためでもあるし、何より、政宗と離れたくなかったからであった。政宗は、願いを叶えたら帰ると最初に告げている。否、帰らねばならないと告げている。
 どうして政宗と離れることが耐えられようか。
 それでも、直江には、救う手立てがあるにもかかわらず、友を見捨てることなどできなかった。
 口内が渇いていた。絞り出した声は、かすれていた。
 翌日、三成が無事処刑から免れたとの報告が届いた。突如神風が起こり、その激しさに周囲が目を瞑った合間に、三成は忽然と消え去っていたらしい。


 それで、直江は己のためではなく友のために、願いを全て使い果たして。
 (詳細は考えてない。)


 「これでお別れだな。もう会うこともあるまい。さらばだ。」
 願いを全て叶え、消えいく政宗はふと感慨深そうに呟いた。注意せねば、聞き漏らしてしまいそうな小さな呟きだった。
 「存外、…悪くもない日々であった。」
 直江は政宗にかける言葉も出なかった。
 「行ってしまわれましたね。」
 「…ああ。」
 「しかし…死んでしまわれるわけではないのです。もしかしたらまた…、」
 今の直江にとっては気休めの言葉にすぎないかもしれないと思いながらも、幸村はそう口にした。
 幸村も政宗の力に―直江に助けられた一人であった。
 「…、そうだな。」
 直江が、小さく頷いた。


 「…で、何でわしはまたここにおる。」
 「それは、俺がお前を呼び出したからだ。この茶葉でな。」
 しんみりした別れの直後。
 もう会うこともあるまいと言った舌の根も乾かぬうちに、政宗は直江の目の前にいた。前に直江から政宗出現の話を聞いて、それから興味を持って茶葉を密かに取り寄せていた三成が、誰か他の者が召喚してしまう前にとすぐさま政宗を呼び寄せたらしい。だから、三成は別れの場にいなかったのだ。
 唖然としてしまう直江の前で、三成が政宗に言う。
 「俺の願いは、豊臣の天下を磐石にすること。」
 「秀吉に尽くした貴様らしい願いじゃな。」
 「もう一つ目は、…そこの呆然と立ち尽くしている男がいるだろう。直江兼続、というんだが。あいつが死ぬまで傍にいてやってくれ。末永く幸せにしてやれよ。」
 三成は扇子を閉じて笑った。
 「俺はお前のような妖精の力など借りずとも未来を切り開いていくだけの力があるのでな。願いはそれだけだ。」
 「殿、格好いい…とこの左近申したいところですがね。命助けられておいてその上豊臣の天下をすでに願ってるんで、あんまり。他力本願ですよ、すでに。」
 「うるさい左近!行くぞ。幸村も来い。茶でも振舞ってやろう。」
 「しかし、よかったんですか。残り一つ、まだ願い事のこってたじゃないですか。」
 「良い。先も述べただろう。俺は、俺の力で生きていく。」
 「じゃあ何で茶葉を事前に用意してあったんですか。」
 「…左近、叩っ切るぞ。」
 「………願い事が二つでは帰れんではないか。」
 沈黙を破ったのは、政宗だった。
 「ようやっと帰れると思うたのに。ったく。」
 「…帰りたかったのか?」
 直江の問いかけに、政宗はそっぽを向いて吐き捨てた。
 「…いや。まんざらでもないゆえ、帰らずとも構わぬ。」
 政宗の耳は赤かった。











初掲載 2007年6月