If大坂


 「こらっ!何してんの!よりによって、あなたたち二人が…!みんなの手本にならなきゃ駄目でしょ!」
 その台詞と同時に政宗は後頭部を殴られた。兜で保護された頭が揺れる。どうも、保護が仇となったらしい。くらくらする。最早、一騎討ちどころの騒ぎではない。政宗は顔面から地面へ飛び込んだ。
 前方では、同じように幸村が顔面に拳を食らっていた。これでいて、まだ、政宗にはそれなりに手加減していたのだろうか。顔面、とは。地べたに頬をつき、何故かいる北政所ねねの暴挙を眺めていた政宗は、幸村が鼻血を吹きながら己の上に倒れ込んできたのでぎょっとした。が、時既に遅し。政宗は己より遥かに重い幸村の身体を思いっきり受け止めることになった。何が嬉しくて、己よりがたいの良い男を、背中で、抱きとめねばならんのだ。軽く脳震盪でも起こしたのか、いまだする眩暈と頭痛に幸村の身体を押しのけることもできず、政宗は、ねねが「こらーっ!喧嘩は駄目だって言ってるでしょー!」と拳を振り上げながらいずこかへ去っていく様を見送った。その後ろに、「流石は叔母上、素敵だ!」「…おねね様、もうちょっと、時代の流れを考慮してください。」「いやあ、殿。おねね様には言っても無駄でしょう。」と言っている男二人およびその右腕の姿を見た気もするのだが、前者はともかく、後者は、先の関が原で死んだはずである。よもや幽霊が…?!と、怪談の類にめっぽう弱い政宗は、ぎゅっと瞼を閉じて、彼らをやり過ごした。あの、ねねがいるのだから、彼ら主従が生き延びていたとしても少しもおかしくない状況なのだ、とは思わなかった。
 すると、身体を引っくり返され、抱きしめられた。政宗が呆れ半分、それでも怪奇現象ではないかという恐れ半分で、強く瞑っていた目を開けて眼前を見やれば、視界が肌色にぼやけていた。同時に、唇にかさついた肌が重ねられた。慣れ親しんだ幸村の口付けだ。ねねに殴られ丁度折りよく政宗を押し倒す形になったついでに、接吻しようという魂胆らしい。この数年敵という間柄になり、満足に逢瀬を重ねることもできなかった。場所が戦場であることはわかっていたものの、まあ、仕方あるまい、と政宗は口付けを許した。それにしても、山のように屍を築いたせいでもあるのだろうが、鼻血のせいで鉄臭かった。
 二三度戯れるように啄ばまれ、ようやくこれで離れるのかと思いきや、幸村は政宗の予想に反して、ぎゅうと抱きつき、かえって離れまいとする。無論、政宗も無情ではないから、久しぶりに愛人とこのように、不可抗力の賜物ではあるといえ、抱き合うことが出来て嬉しくないわけではない。これで戦場ではなく、鎧さえ纏っていなければ、状況は、事後にいちゃいちゃしているときと酷似している。が、酷似していても、結局のところ、場所は戦場、鎧つき、である。
 「…重いわ、馬鹿めっ!」
 ただでさえ、幸村の方が、政宗より目方がある。そこに更に鎧を追加すれば、政宗の背骨が軋んで悲鳴を上げ、結果、政宗が幸村を押しのけるため髪の毛を力いっぱい引っ張っても致し方ない。実際、嬉しいとか何とかより、重さが辛いのだ。当然、髪を引かれて、幸村は悲鳴を上げた。
 「退けっ!ゆ、き、む、ら!重いのじゃ!」
 「…も、申し訳ありません!でも、もう少しだけ…いた、いたたた!」
 「駄、目、じゃっ!」
 その後も幸村はめげる様子を見せず、政宗に頭突きを喰らうに至って、ようやく、身を引いた。何だかんだで、それなりの間抱き合っていたことになる。幸村は、ここでも、政宗曰くのつまらん意地を押し通したようだ。内心、安い意地じゃと苦笑しながら、抱き締められていた、というよりは、しがみつかれていたという表現の方がしっくりくる政宗は、乱暴な手つきで幸村の鼻血を拭ってやった。
 「馬鹿め。これでは、折角の男前が台無しじゃ。鼻は折れておるまいな。…。何じゃ、べそでもかきそうな顔をしおって。」
 眉をひそめて、そう政宗が問えば、
 「いえ…お久しぶりに、このような政宗様のお顔を拝見して…お恥ずかしいことですが、この幸村。感動しております。」
 今にも男泣きを始めんとする幸村に、さしもの政宗もぎょっとした。想いの深さを競えるわけではないが、こうしてみると、政宗の方が冷めているのかもしれない。
 泣かれたらどうしよう。
 そのとき、異様な戦況も時代の流れも何もかも吹っ飛んで、政宗の頭には泣かれたらどうしようという不安しかなかった。ここで泣かれても、政宗としてはどうして良いかわからない。どうにかして泣かれることだけは阻止せねば。
 政宗は両手を広げ、幸村に抱きついた。
 「幸村!」
 「何でしょ、…。政宗、さ、……。」
 幸村の落涙を阻止するための軽い接吻が、状況を忘れ去るほど深いものになるのに、そう時間はかからなかった。


 「やってくれるよなあ、ねねのやつ。秀吉のやつ、まじで良い嫁さんもらいやがって。いってー。」
 孫市は、「孫市、あなたまで何やってんのっ!」という怒声と共に左右顎の順で殴られた顔を抑え、新しく仕えることにした政宗の元へ向かった。現在、戦の主要面子は一列に正座させられ、ねねにがみがみ説教されているのだが、孫市は、政宗を探してくるからという言い訳を口にして、その場を後にしたのだった。
 が、これでは、ねねに大人しく説教されておいた方がましだったのかもしれない。道理で、ねねと三成が怪訝そうな面持ちで孫市を送り出したはずだ。
 「今更戻んのも微妙だし…っても、こんなん見てるわけにもいかねえし。さて、どうしたもんかね。」
 誰かやつらに戦場だってこと教えてやれよ、と嘆息しながら、孫市は、接吻に夢中になっている二人に教えてやる気力もなく、踵を返した。内心、幸村の脱衣の手際の良さに感嘆し、一方で、幸村の膝に引き上げられ良いように鎧を剥ぎ取られている政宗に、そのまんまだと食われるぞーと警告を与えながら。
 もっとも、孫市の警告は心の中で発されたものであったので、当然、二人に届くわけもない。幸村と政宗が連れたって姿を見せたのは、一刻にも及ぶねねの長い説教が終わりに近づいたころのことだった。











初掲載 2009年1月3日