「この一年世話になった。お主には助けられてばかりじゃ。来年も頼むぞ。」
除夜の鐘が鳴り始めた頃、ふと、政宗が今まさに己を抱かんとする男に告げると、その言葉に驚いたのだろう、幸村は目を瞬かせた。
「…いかがされたのです?」
そう神妙な様子で尋ねられると、政宗としても返答に困った。
幸村は、よほど、政宗に労をねぎらわれたことが意外だったらしい。つい先ほど、政宗の襦袢を脱がそうと袂に手をかけていたとは思えぬ態度で、正座をしている。そして、政宗を見つめる幸村の眼差しは、溢れかえるほどの感動と、若干の不安に彩られていた。
思い返してみれば、政宗も幸村にきちんとした言葉をかけてやったことがない。政宗は一つ咳をして、改まった態度で幸村に対峙した。
「お主が父殿の手により人質として伊達に送られてから、長い月日を共に過ごした。…その間にお主は参謀となり、この半年は愛人としても、良くわしを支えてくれた。お主の存在が当たり前にありすぎて、どうも、きちんとした礼を告げられておらんかったように思う。すまぬな。」
言葉をかける中で幸村と出会ってからの日々、その流れで、その直前の引きこもっていた幼少期すらも思い出してしまい、政宗は溜め息を一つこぼして、視線を落とした。
「かように痘痕だらけで、実母にも見捨てられたようなわしを、抱いたところでお主は面白くなかろうに…。真に悪いことをしたな。」
「何を仰られているのです!本来であれば、己と比べるべくもないほど身分が貴い政宗様のようなお方を抱くなど、不敬罪で首を落とされても仕方ないというのに…。そのようなことを仰らないでください。」
戦の後、二人きりで酒を酌み交わす習慣が出来て久しい。その酒の席の勢いで、今まで恋焦がれてきた政宗を抱いてしまって、どれだけ幸村が煩悶したことか。
政宗は奥州一帯を取り仕切る大大名で、幸村の主君だ。幸村が抱かれることはあっても、幸村が抱いて良い道理がない。
事が終わり正気に返った後、幸村は隣で死んだように眠る政宗を見つめながら、いっそこの流れで謀反を起こして下克上してやろうか、と思いつめたことを本気で思案した。実は具体案まで練っていたと知ったら、政宗は幸村に次げた先ほどのねぎらいを撤回するだろう。
うっかりもう少しで参謀に稚児扱いされるところだった、などとは当然毛頭知らない政宗は、物憂げに睫を伏せた。
「わしに気を遣わんでも良い。己がどれほど醜く浅ましいか、わしが一等知っておる。」
「…。いかがしたら、政宗様は信じてくださるのですか。」
そのとき、再度遠くで鳴り響いた除夜の鐘に、幸村は提案した。
「この鐘の数だけ政宗様の愛おしい美点を挙げれば、信じてくださるのでしょうか。」
除夜の鐘はまだ鳴り始めたばかりだ。せいぜい、鳴って五、六回だろう。残り一〇〇弱、美点を挙げると言う幸村に虚をつかれて、政宗は目を丸くした。
「まさか。一〇〇も挙げられるわけがなかろう!」
対して、伊達に幼少期から恋患ってきたわけではない。内心自信満々の幸村は、しごく真面目な表情で告げた。
「政宗様。それは、真田の忍びの諜報力を甘く見ていらっしゃるのです。」
「馬鹿め、それとこれとでは話がまったくの別物じゃ!」
「でなければ、この幸村の政宗様への愛を軽んじてらっしゃるのでしょう。」
幸村はそう言うと、呆気に取られている政宗の手首を取り、そこにある痘痕を舐めるように甘噛みした。
「まず、負けん気が強くいらっしゃる。これまで、どれだけ私がその負けん気に翻弄されたか、政宗様はご存知しょうか?」
「…何かあったかのう。」
「戦で挙げた首級の数を比べては、機嫌を損ねていらっしゃいました。政宗様は御大将。おいそれと先陣を切るわけにはいかぬのですから、数など違うに決まっているでしょう。」
これは、暗に叱られているのだろうか。
「それに、私の方が大柄なので、男として見栄えがするとお怒りを受けたこともありました。毎日のように、背丈、掌の大きさを比べては、何か食べているものが違うのではないか、と疑惑の眼差しを向けられ…懐かしい限りです。あの頃、大きさや背丈を比べるために掌や額を合わせるたび、どれだけ私の胸が高鳴ったことか。あの頃から、政宗様は愛らしくいらっしゃいました。」
これは、やはり、誉められているのではないと思う。
遠い昔から想いを寄せられていたと知り赤面する政宗に気づかない振りで、幸村はとうとうと続けた。
「そういえば、私の方が遅く寝て早く目覚めるので、寝顔が見られないと叱られたことも。あれは本当に可愛らしくて…、叱責の間に笑うな、とまた機嫌を損ねてしまい、とりなすのに苦労いたしました。」
幸村曰くのとりなす行為、が、結局、閨での行為に雪崩込んだことを思い出し、政宗は、今度は打って変わって一人苦い顔をした。考えてみれば、最近、そのような形で流されたことが事のほか多い。幸村とこのような間柄になって、半年。たった半年である。だのに、なあなあで済まされた諸問題は、もはや、両手の数では利かないくらいだ。
これは大問題だ。男としての沽券に関わる。
「……………それは、負けん気ではなく、愚かさではないのか?」
眉間にしわを寄せる政宗とは対照的に、それらを思い返しながら微笑む幸村に問いかけると、
「ならば、私はその愚かさを愛しているのでしょう。」
幸村は笑みを浮かべて、政宗の掌に薄く残っている痘痕に口付けた。
己の気まぐれの言葉と感傷が原因で、何やら妙なことになった。政宗は気恥ずかしさに、そのまま掌で、接吻出来ぬよう幸村の口元を押さえつけた。
「なにゆえ、先ほどから痘痕ばかり口付けておるのじゃ。…こら!くすぐったい、止めんか!」
「…。政宗様が質問なさったのですから、返答できねば話にならないでしょう。」
舐められた掌を背の後ろに隠す政宗に、幸村は答えた。
「政宗様は御自身の痘痕がお気に召さない様子でいらしたので、この幸村が、どれだけ政宗様を愛おしく思っているかを伝えるには丁度良いと思ったのです。」
政宗が胡乱な視線を向ければ、心底楽しそうに、幸村は笑った。
「政宗様はご存じないのです。熱に浮かされたとき、日に晒されることのない政宗様の雪原の如く白い肌に、それが赤く浮かび上がり、どれほど扇情的な光景にな」
これには流石に、政宗が制止をかけた。
「だああああもおおお!止めじゃ止め!聞いているわしの方がこっ恥ずかしいわ馬鹿め!お主は少し黙れ!恥を知れっ!」
「ならば、実施で教えて差し上げましょう。」
そう言って幸村に腰を引き寄せられ、政宗は嘆息し瞼を閉じた。
これ以上言葉で攻められるのは嬉しいものではない。何より、冬の夜気に冷え始めた肌が温もりを求めている。
当然、政宗に否やはなかった。
初掲載 2009年1月1日