BECAUSE / ビート・クルセイダース


 開け放した窓から冷たい空気が流れ込み、政宗の頬を撫でた。暖かかった部屋は急によそよそしい寒さで満たされ、舞い込む雪の欠片が袖を濡らした。
 政宗はそれらを構うこともせず、眼下に広がる町を見下ろした。自分がここまで育てた町、国の中心部。北の商業の一切を取り仕切る大都市でもある。この地は、政宗にとってこれ以上ない誇りだった。政宗が選定し、土台から作り上げた町は、もはや我が子に他ならなかった。
 我が町、我が民、我が誇り。
 政宗は嘆息を洩らし、視界一面に広がるかつてあった都市から目を離した。背を向けると同時に町は掻き消えた。幻影の都市だ、それも致し方あるまい。政宗は己に失ったものを思い起こさせた男と正面から向き合い、問いかけた。
 「確かに、わしはこの場所を、民を、全てを失くした。だが、それがどうしたというのじゃ?それは、誰もみな同じであろう。今更、何になる?」
 はじめ、政宗はこの世界をいかさまだと思った。いかさまやぺてんが大手を振り、虚構が我が物顔で歩く薄っぺらな世界だ、と。死した者が甦り、あるいは死する前に呼び寄せられ、掻き混ぜられて一緒くたに合わさった世界は混沌そのものだった。継ぎ接ぎだらけで、その継ぎすら滅茶苦茶で、秩序に相当する代物は一切ない。この世界を構成するのは、いかさまだけだ。
 しかし、政宗はそのいかさまが気に入っていた。小手先だけのものでなく、世界の根本すら変えてしまうような規模は、魔王の力の強大さを表していた。無理矢理背中を押されてではあったが、人間では到達できない領域に足を踏み入れた事実は、力を求める政宗を酔わせた。政宗は己がちっぽけな存在であると思い知っていた。自分が生きていても、死んでも、所詮変わらない。伊達が滅ぼうと、天下を取ろうと、世界には何の影響も及ぼさない。日は昇り、そして沈み、夜が来て、明ける。自分は無力だ。それを思い知らせたのは、目の前の男の死だった。
 政宗は冷たくなった指先で刀の柄を掴み、引き抜くと、眼前の男に突きつけた。
 「遠呂智を憎めば何か変わるのか?わしらはもうこの世界で歩き出してしまった。あったはずの未来を知ってしまった。知った今、知らなかった昔に戻って、その未来どおりに歩める自信が、覚悟が、貴様にはあるのか、幸村?」
 くるくると、あったはずのない過去が政宗の脳裏で踊る。今の幸村の顔は、そのときの幸村の顔に似ていた。くのいちの得物が閃き、幸村が呆れた様子で立ち上がる。信玄は死んだ。もはや、幸村に生を望ませる存在はいない。それでも、幸村はくのいちに言われ、生きるため立ち上がった。まるで幽鬼のように、目ばかり異様な熱に浮かされていた。大坂で見た、決意に固く閉ざされた焼け石のような瞳とは違い、それは全てを燃やし尽くす焔そのものだった。
 見たはずのない過去の映像を、政宗は知っていた。それも遠呂智がいかさまをした影響だった。政宗はあったはずの過去、あったはずの未来、それらとそこに生きた者たちの手札を知っていた。
 政宗は、幸村がこれからの生涯を復讐に費やすことを思い、気が重くなった。死を望み、死に臨み、結局、望んだ死を得た幸村は、その生から死の影を払拭することはなかった。遠呂智と同じだ。二人の手札には死神しかなかった。そして、幸村も遠呂智も、手ぐすねを引いて、それを引くに相応しい敵が現れるのを待っていた。それは、政宗ではなかった。
 だが、その幸村が生気に満ちて、眼前にいる。信玄が生存しているためだろう。それも、自分の影響ではない。事実、あの夏、政宗は引きとめたが、幸村は死んでしまった。
 「本来であれば死した貴様が生き長らえているのは、遠呂智のお陰ではないか。」
 きつい口調で政宗は言った。しかし、その遠呂智も討たれてしまった。目の前の幸村に。もう決して戻ることのない魔王を思い、政宗は強く唇を噛み締めた。
 「だが、貴様は殺した。」
 「…確かに、遠呂智は私の命を救ったかもしれません。あったかもしれない未来の指し示すとおりに、私が生きたならば。しかし、遠呂智のせいで未来は歪んでしまった。それは、政宗様もご存知でしょう。ですから、私がそのことで遠呂智に感謝することはありません。私が感謝するのは、政宗様を生かしてくれたことに対してです。…あなたを失って……、ようやく、愚鈍な私も気付いたのです。」
 己を奮い起こすように、幸村は呟いた。
 その言葉の意味を政宗は判じかねた。幸村が言っているのは単に言葉どおりの意味なのか、それとも、いずれかの未来で自分は落命したのか。
 燃え盛る炎の中、幸村の姿を求めて走り回ったいつかの未来を思い出し、政宗は僅かに目を眇めた。炎上する城で待ち構えていたのは、幸村の影武者だった。熱い空気が咽喉を焦がした。そして、それ以上の想いが、胸を。
 また、いかさまだ。政宗は首を振った。それは、自分が体験した未来ではない。
 突きつけられた刀の切っ先が僅かながら下がったことに気づき、幸村が緊張の面持ちで提案した。
 「政宗様におかれましては、賭け事にただならぬ執着がおありとのこと。此度は、不躾ながら、私と一戦交えていただきたく、参りました。」
 「一対一で…まるでいつかの夏のようじゃが、賭けならば…良い、受けてたとうではないか。」
 古志城、人が求めるものを目に投じる幻影の城。政宗は眼前の幸村が本物なのか、それとも自分が求めるあまり作り出した偽物なのかわからないまま、提案を受け入れた。
 「ふん、清廉潔白な貴様にしてはおかしな誘いじゃ。賭け事など興味あるまいに。しかし、本当に勝ちたいときには、手段を選ばぬ貴様らしい提案でもある。…して、その賭けとは?わしに、また、味方に下れと申すつもりか?」
 「そのような生温いこと。」
 そう首を振って否定した幸村は、苦い胸の内を吐露した。
 「私の想いは既に告げたはず。私は、政宗様の全てが欲しいのです。あのとき、戦に乱入してきた幼子のあなたを攫っていれば、今頃このように思い苦しむこともなかったでしょうに。」
 「……わしが勝てば、貴様は何を寄こす?それ相応のものでなければ、こんな賭け、わしに不利なだけじゃ。」
 「もう煩わせることはありません。どこへなりとも行かせて差し上げましょう。例え、政宗様が遠呂智を追って死のうとも、私は止めません。それとも、私の命をお望みですか?あなたを失ってなお生き続ける意味が見出せませんから、それでも良いでしょう。」
 「やけっぱちの決断に何を求めても無駄じゃぞ、幸村。貴様は…狂っておる。」
 幸村は肩を竦めると、諦めまじりの皮肉な笑みを浮かべた。
 「こんな時勢ですから…。そうでなくとも、もとより、私はあなたへの恋に狂っているのです。」
 政宗は幸村の燃え滾る目を見た。死を望み、死に臨み、望みどおりの死を勝ち取った幸村が、今再び生死の取捨選択を迫られ、近い未来、政宗のために、失意のうちに死ぬかもしれない事実は政宗の心を慰めた。
 政宗は忘れていた。その事実を思い出した。
 自分は幸村の糧になりたかった。幸村にこのような目をさせ、自分だけを見詰めさせ、そして、自分の影響で生を選ばせたかった。眼前の幸村が本物か偽物かいまだ惑いながらも、政宗は薄く笑った。自分の願望に取り殺されるのも良いかもしれない。政宗は乾き切った唇を舐めて湿らせた。
 「…そうと決まれば、賭けを始めようではないか。」
 くるくると脳裏で何かが踊る。あった未来、なかった未来、あった過去、なかった過去。いかさまの世界で、生涯最大の賭け事が始まる。
 勝利、敗北。自分のために長らえる幸村の生と、自分のために失意のうち迎えられる幸村の死。はたして自分が本当に欲しいのはどちらなのだろう。幸村の手札はあからさまなまでにわかる。だが、自分が引きたい札は―――生か、死か。
 全てが崩れ去り戻らないいかさまの世界で、急に力を与えられた政宗は、銃の引き金を引く間際、思った。











初掲載 2008年9月21日