アンナと王さま


 この世には魔王はいても神や仏はいない、と、政宗は固く信じている。それには、政宗なりの現実的で虚無的な考え方が根幹にある。だから、奇跡など起きない。
 同様に、この世には魔法などというものはない、と、政宗は固く信じている。それには、政宗なりの現実的で虚無的な考え方が何らかの作用をしているわけではなく、単に、そんなものがあったら不公平だ、と思うからだ。無から有を生む魔法、それは鉄屑から金を生み出そうとする錬金術と言い換えても良いかもしれない。何にせよ、政宗はそんなものがあったら世の中は成り立たない、と固く信じている。だから、否定する。
 世の中に魔法や記述を信じて仕事を怠ける者ばかり増えては、国主としては非常に困る。遊び呆けて生きていける世界など、政宗は決して欲しくなかった。たまに遊びに興じるからこそ、遊びは遊びなのだ。日常になった遊びは即ちただの怠惰だ。
 そう信じている政宗の目の前で、卵が瓶に落ちた。
 小喬と関平の持っていた瓶の口径はゆで卵が入るには些か狭く、そのため先ほどまでは、ちょこんと鎮座したゆで卵はすまし顔で入る気配もなかった。中には、無理に入れようとしたのか卵の残骸が散らばっていた。
 たまたまそこに通りかかった政宗は、どうして二人が卵を瓶の中に入れたいのかわからなかった。だが、知っている答えを提示してやっても悪くあるまい、と少し興を覚えて、煙草の吸いさしを瓶の中に落し、再び卵を載せてやった。
 卵はじりじりとゆっくり吸い込まれ、唐突に瓶の底に落下していった。小喬は嬉しそうに歓声を上げ、関平は感嘆の言葉を洩らした。
 「何故、かようなことをしておる。」
 「えー?あのねー、信長様が、答えがわかったらわかるだろうって。」
 要領を得ない小喬の返答に、政宗は僅かに眉根を寄せた。小喬のことを厭うわけではないが、要領の得ない内容と間延びする言葉に、政宗は苛立ちを覚えることがあった。小喬は能天気で教養に欠けるが、信長や光秀らの非業を変えたほど根は良い娘だ。
 噛んで含めるように政宗は問うた。
 「この卵が瓶に入る方法がわかったら、何がわかるのじゃ。」
 「んとー。えっとね。ほら、遠呂智を倒したでしょ?」
 政宗の胸中に翻った苦い思いに気付かず、小喬は愛らしく小首を傾げた。
 「それでー、みんな仲良くしたでしょ?国取り合戦しないで。」
 「まあな。」
 「でもさー、みんな元々は戦ってたじゃん?」
 元々、というのは元の世界を指すのだろうと察して、政宗は頷いた。
 「だから、嬉しいけど、何でみんな戦わないだろーって訊いたら、これを渡されたの。ねー、関平。」
 「そうなんだ。信長様はこれにその答えがある、と言っていた。」
 「でもさー。やってみたら無理じゃん!って思って、卵、何個か駄目にしちゃった。」
 「そうか。」
 次代を担う年若い二人に、信長は状況が変れば不可能、つまり戦乱のない世も可能になるのだと言いたかったのだろう。戦乱の世に生きてきた政宗らにしてみれば、戦乱のない世など夢のまた夢、玄宗皇帝が楊貴妃の従兄弟に下賜したという游仙枕の見せる仙境の夢より遠い理想だ。
 「確かに、こんな未来、夢物語でしかなかったからのう。」
 「えー、何が?何かわかったの?」
 「政宗、わかったなら教えてくれ。」
 小喬と関平に詰め寄られ、政宗は不覚にも吹き出してしまった。子犬のように健気に慕われる信長の心境が何となく薄っすら政宗にもわかった。確かに、このように懐かれては嫌がられるようなことは極力控え、なるべく喜ばせてやりたくなるだろう。案外、信長が世界の四分割で納得して太平を選んだのは、世界の変化云々以前に、二人の機嫌が取りたいから、という他愛もない理由な気がして、それが可笑しかった。
 「状況が変れば、不可能なこととて可能になる。戦乱だとて太平に変る。それを信長は言いたかったのじゃろう。」
 くつくつ笑いながら答えた政宗に、関平が感動に拳を握った。
 「流石は信長様…!某も信長様や義父上に追いつけるよう、精進せねば!」
 ふいに、声がかかった。
 「精進も良いけど、少しは生き抜きもしたらどうなの。」
 「せ、星彩!何故ここに。」
 「政宗と一緒に来たに決まっているでしょう。何馬鹿なこと言っているのよ。猪突猛進も良いけど、もう少し回りも見たら?」
 星彩は大人が子に向けるような呆れた様子で髪を掻き揚げ、真っ直ぐ政宗を見据えて、顎をしゃくった。
 「政宗、もう帰るわよ。このままじゃ、帰る前に陽が落ちるわ。」


 「幸村殿と何かあったの?」
 さり気なく唐突に尋ねた星彩を、政宗は感情の映らない視線を向けた。
 「別に。何もない。」
 「そう。それこそ最悪ね。」
 この世には魔王はいても神や仏はいない、と、政宗は固く信じている。それには、政宗なりの現実的で虚無的な考え方が根幹にある。だから、奇跡など起きない。
 同様に、この世には魔法などというものはない、と、政宗は固く信じている。それには、政宗なりの現実的で虚無的な考え方が何らかの作用をしているわけではなく、単に、そんなものがあったら不公平だ、と思うからだ。無から有を生む魔法、それは鉄屑から金を生み出そうとする錬金術と言い換えても良いかもしれない。何にせよ、政宗はそんなものがあったら世の中は成り立たない、と固く信じている。だから、否定する。
 『世の中に魔法や記述を信じて仕事を怠ける者ばかり増えては、国主としては非常に困る。』
 そんなのは、詭弁でしかない。ただ、政宗は魔法を厭うているだけだ。
 「ゆで卵だって、瓶に入ったでしょ。」
 関平に向けた眼差しで、星彩は言った。
 「状況は変ったの。もう不可能でも何でもないのよ。」
 噛んで含めるようなその言いように、政宗は黙って視線を逸らした。
 かつての世界は、神仏のいない世界だった。どれだけ願っても、奇跡や魔法など起きなかった。
 だから、遠呂智は良かれと思ってしたのかもしれないが、今更それらを当たり前のものとして目の前にぶら下げられたところで、政宗が手を伸ばそうはずもなかった。











初掲載 2008年3月9日