満天星


 世界が変わっても、立場が変わっても、変らないものがある。
 そのとき政宗は幸村と、とりとめもなく、四方山話に花を咲かせていた。酒が入って口が軽くなっていたのは政宗だけではないらしく、普段は物静かな幸村もいささか饒舌だった。
 その幸村は、幼少期に体験した不思議な話を口にした。かつて体調を崩したことがあったらしい。ただの風邪らしいが、幼少期のこと、侮れない。真田家にくのいちがいなかった頃、というのだから、本当に昔のことなのだろう。
 「お恥ずかしい話ですが、星が見たい、と私はねだったのです。まだ年端もいかない子供でしたから。」
 「欲しいものを正直にねだって何が悪いのじゃ。星くらい、金がかかるでもなし、無邪気なものではないか。」
 政宗が率直に感想を述べると、幸村は「いえ。」と困った様子で眉尻を下げた。
 「それが、雨が続いていた日のことなのです。入梅はしていませんでしたが、一週間ほど降り続いたでしょうか…。私が星をねだったのは、丁度、その中ごろのことでして。」
 それは両親もさぞ困っただろう。口にしないまま、政宗はちびりと酒を舐めた。
 「そのような天候ゆえ、空は雲で覆われて星など見えるはずもないのですが…。」
 「見たのか。」
 「はい。熱で朦朧としていましたが、あれは本当に見事な星空でした。後になってから、あの満天の星は何だったのかと家族に尋ねたのですが、知っていると思われる父は笑うばかりでして。兄はどうも知らないようですし…。仮に父が体調を崩している子どもを雨の降りしきる外に連れ出そうものなら、私が黙って見ているはずもないでしょう!と母がいきり立ち…。その、夫婦喧嘩の種を蒔いてしまい…。」
 「それ以降、気が引けて訊けず仕舞いか。」
 「…はい。」
 確かに、自分のせいで両親が喧嘩になったら気後れもしよう。もっともあの夫婦を考えるに、例え嫁が怒り狂っていたとしても昌幸によって巧いことくるめられて終わりだろうが、再びその話題を口にする勇気は、幸村にはあるまい。
 しばし思案した末、政宗は幸村に声をかけた。
 「外に出るぞ。今宵は晴れておったろう。…丁度、春、じゃしな。」
 部屋を出て庭に下りると、満天の星が二人を迎えた。春先のこと、夜の帳が落ちるといささか寒い。火照った体には丁度良いようにも思えたが、何か上に羽織れば良かった、と政宗は内心後悔した。これでは、酔いが冷めてしまう。
 「北斗七星の道教における役割を知っておるか?」
 「四三の星のことですよね。軍略の関係上、位置は把握していますが、話、とは?」
 北斗七星の延長上には北極星がある。真北の方角を知るのに、北斗七星は非常に便利だ。
 いかにも真田の人間らしい返答だ、と政宗は思いながら、北斗を指差した。
 「北斗七星は、上から貪狼星、巨門星、禄存星、文曲星、で魁。続く、廉貞星、武曲星、破軍星を杓。合わせて斗と言う。劉禅の幼名である阿斗はここから来ておるらしいが…。」
 自覚はないが、酔っているらしい。「話が逸れた。すまぬ。」とばつが悪い顔で謝り、政宗は話を本筋に戻した。
 「道教における北斗七星…というより、北斗七星の神は北斗聖君と呼ばれるな。聖君は「聖」ではなく、「星」を用いることもある。北斗聖君は、「生」を司る南斗六星の神、南斗聖君と対称的に「死」を司る神じゃ。ゆえに、末端にある破軍は凶星、杓を剣先になぞらえて、破軍が指す方角は「万事に凶」などといって厭われる。」
 「はあ。」
 最近興味を持って諸葛亮の下で勉強している政宗と異なり、幸村は星など門外漢だ。反応に困るのも無理はない。
 しかし、政宗の講釈は続いた。
 「じゃが、北斗聖君が死を司るようになったのは、対比するために南斗聖君が作られてからのことじゃ。本来は日ノ本における閻魔のような神であって、死のみを司るわけではない。それにそれを別にしても、死を司る神ゆえ、長生や富貴貧賤の神でもある。日ノ本でも、神は祟るが、その分きちんと祀れば守ってくれたりするであろう。あんなものじゃ。」
 「はあ。」
 「星の件じゃが、たぶん、昌幸はそれを知っておったと思うぞ。春といえば北斗七星がよう出ておるし、長生の神でもあるし。北斗聖君のお陰で寿命が百歳くらいまで延びた者の話もあるくらいじゃし、それにかけたのであろう。無事病が治りますように、といった具合で。」
 意味を図りかねたのか一時間を置き、それから、幸村が恐々政宗に問いかけた。
 「あの…星の件とは、私の幼少期のあれですか?」
 「それじゃ。病に臥せっているお主が星を見たい、と言うたから思いついたのじゃろうな。子供の願いを叶えてやりたい親心、それに、信玄譲りの茶目っ気か。」
 何故その茶目っ気、というか、要領の良さが幸村には備わっていないのだろう。ちらり、と政宗は幸村に視線を向けた。信玄や昌幸は言うに及ばず、兄の信之ですら堅物の稲姫を篭絡する腕前を持つにもかかわらず、幸村といえば照れ屋なのか初心なのか天然なのか。
 いや、と政宗は頭を振った。つい愚痴っぽくなってしまったが、考えても詮無きこと。政宗は自分の推測を語った。
 「結論から言えば、幸村の見たものは本物の星ではないと思う。熱で朦朧としておったから、幸村は勘違いしただけであろう。無論、昌幸がそれを狙ったというのもあるが…。幸村はそれを、満天の星、と言っておったが、それこそがそのものの正体であったのじゃ。」
 酔いのせいなのか謎かけのような政宗の答えに、困った幸村が口を挟む前に、政宗が続けた。
 「太上老君…まあ、神格化された老子を指すのじゃが、太上老君が仙宮で霊薬を練っていた折に、誤って玉盤の霊水をこぼしたことがあった。散らばって落ちたその霊水がかたまって壺状の玉になった様子が、あたかも、満天の星のように輝いた…と言われるのが、あれじゃ。」
 くい、と政宗はとある庭木を指し示した。夜ということもあり良く見えない。しかし、その植物は、闇に紛れて葉が見えにくい分、白色をした小花が黒に映え、まるで星空のようだった。
 「春と季節も合致するし、あれを部屋に張り巡らせたのであろう。それならば、本物の星でないから天候も関係ない。その上、熱で意識が朦朧としておるような子供を外に連れ出すわけでもないから安全じゃ。事情を説明されて、細君もすぐ怒りを納めたであろうし。」
 そこでおかしそうに政宗が笑った。
 「何より、「満天の星」の正体を尋ねたら、昌幸は笑ったのであろう?」
 「はい。…それが、どうかしたのですか?」
 首をかしげる幸村に答えず、政宗は星空へ手を伸ばすと何かを掴む動作をしてから、幸村の手を取り掌に何か落とした。
 「昌幸のように満天の星は無理じゃが、星はくれてやる。」
 政宗に握らされた掌を幸村が開くと、そこには金平糖があった。おそらく品玉だろうが、品玉も種から、というようにこの手のことには仕込みがいる。いつの間に金平糖を仕込んでいたのだろう、呑みの席に金平糖が出ていただろうか、と幸村が驚いて見つめると、政宗が満足そうに笑った。
 「あの木は、どうだんつつじと言うのじゃ。」
 「どうだんつつじ…。躑躅(つつじ)というと、赤くて花らしい花のものを想像しますが…あのように鈴蘭に似た類もあるのですか。」
 「あるある。それでな、満天の星と書いて、満天星(どうだんつつじ)と読むのじゃ。奇抜な仮名遣いであろう?」
 道理で昌幸が笑うわけだ。もう少しというところで正解に辿りつけぬまま十数年を生きてきた幸村は、長年の謎が解けてすっきりする一方で、恥ずかしさに思わず居た堪れなくなった。その様子をひとしきりにやにや見た後、政宗はふいに天を仰いだ。
 「星を欲しがるなぞ、いかにも子供らしいが…わしはどうせならば太陽が良いのう。」
 「太陽、ですか。」
 また何か謎かけめいた話が始まるのだろうか、と心してかかる幸村に、政宗は滔々と語った。
 「星と違って太陽は世界にたった一つで、わしが生きる上でなくてはならぬものじゃし。熱いし。…何より。」
 「何より?」
 「まるで、赤揃えのようじゃ。」
 そう言ってさっと掠める口付けをすると、政宗は笑ってその場を後にした。春先の夜こと、何も羽織らず外に出たため、すっかり酔いは冷めている。だから、酔った上での狼藉ではない。
 そのことに、幸村は気付くだろうか。











初掲載 2008年2月5日