「日ノ本では面白いことするのね。」
腕を組み、雛壇に飾られた雛人形をしげしげと見ながら、星彩は言った。
「こんなものを飾ってどうするの?何かの神事?」
星彩が首を傾げるのも無理はない、と隣にいた政宗は思った。日ノ本出身ではあるが、女児とは縁なく生きてきたため、政宗にも雛祭りの意味がわからなかった。
「丑の刻参りと似て、何か、人形でするのじゃったか?禍を詰め込んで、川に流した気がするぞ?」
首を傾げ、惜しい気がしないでもない不穏な勘違いを告げた政宗に、星彩は眉をひそめて頭を振った。
「その丑の刻参り、も、私にはわからないわ。何よ、それ?丑の刻は、日ノ本の時間でしょう?深夜を指すのよね?」
「元々は、直接相手を殺すだけの力がない、女子が行なう呪いの儀式でのう。深夜、殺したいものの髪を仕込んだ藁人形に五寸釘を打って、百日か何か過ごすのじゃ。まあ、それも興味がないから、よう知らんが…。わしは男じゃし、力もある。第一、百日に渡ってこそこそ裏で立ち回るくらいなら、直接敵を葬り去るわ。」
「政宗らしい返答ね。で、それ、丑の刻参りって効果のほどはあるの?」
「知らん。が、現実として、祭壇で儀式をして風が呼べたり、兵が倒せなかったり、祈祷で岩が転がったり火山が噴火したりするくらいなのじゃから、呪い殺すくらいお手の物であろう。きっと。」
「そう言われてみると、確かにそうね。諸葛亮殿はもっと効果的な呪殺の儀式を執り行うでしょうけど、司馬イ辺りはやってそうだわ。…ああ、でも女の儀式だったわね。でも、司馬イならやるかしら?」
「司馬イならやるかもしれんのう。あやつ、女ではないが女装はしたし。」
「あら、してないわよ。女物の衣服を贈りつけられただけよ。着たところで似合わないじゃない。政宗は着ないの?」
「何故わしが着るのじゃ。それは挑発か?喧嘩ならば買うぞ。」
「馬鹿言わないで。単なる提案よ。着て挑発したら良いじゃない、幸村殿を。」
「…っ馬鹿め!」
どのような視点から検討してみても、これは、桃の節句に相応しい会話ではない。そもそもの出発点が間違えている上、話が逸れている。これは、先ほど二人に振舞われた酒のせいだろう、と、雛壇の持ち主であるァ千代は思った。
室町からの風習で、この日には桃を浸した酒を呑むのが通例となっているのだが、それを振舞ったのが悪かったらしい。実は、まだこれで政宗や星彩はましな方で、後ろでは花見という名の酒盛りが真っ昼間から展開中である。花より団子の精神に真正面から向き合う酒盛りだ。桃の節句が台無しである。頭が痛い。
ァ千代は重い口を開いた。
「政宗が最初に言ったのは、流し雛のことだろう。だが、丑の刻参りのように呪殺の儀式ではない。確か、子供が健やかに育つよう、雛人形に一生の厄災を肩代わりしてもらい、船に乗せて流す儀式だ。源氏物語にも記されていた気がする。」
「じゃあ、これも流すの。折角綺麗なのに勿体ないわね。大体、高いんでしょう?」
「流し雛は昔の話で、今は飾るためのものだ。子供の母性を育てるのが目的ではなかったか。」
「そうなの。お人形さん遊び、ってやつね。」
一応の納得はしたらしく、星彩はそこで引き下がったが、政宗がまた余計なことを思い出した。
「そういえば、長い間出しておくと嫁に行けぬというな。こんなに出しておいて、ァ千代は良いのか?」
それは、酒癖の悪い、そして案外面倒見の良い政宗らしい台詞だった。
もっとも、心配された方はまるでありがたくない。余計な世話だとばかりに、ァ千代は唸った。
「立花はもう一度婿を貰ったから良いのだ!」
「それに雛人形って可愛いし?」
「そう…せ、星彩っ!」
「あら、良いじゃない。愛らしいものが好きなことを隠さなくても。ねえ、それで人形はわかったとして、このぼんぼりとかも人形を人らしく見せるための小道具でしょう?じゃあ、この餅は何なの?三段重なっている。」
星彩が指差したのは、上から桃白緑に着色されている菱餅だった。
ァ千代は不確かな記憶を掘り起こし、四苦八苦答えた。
「これは母から子へ医療…薬効を伝えるための道具で、中に桃、菱、母子草が練りこまれている。桃の節句に、雪はまだ残っているが、その下では若葉が芽吹いている、というような意味合いだった気がするが…。」
「そうなの、色々あるのね。人形を飾るだけなのにそれだけ意味を込めるなんて、几帳面というか、面倒臭くならないのかしら。」
「行事なんぞ、そういうものであろう。盛り込みすぎて本来の意味を忘れて、形骸化して、それでも、とりあえずは成立する。」
「そうね。」
ァ千代はもう酔っ払いは捨て置くことに決め、酒を呑ませてしまった己を責めた。だが、もっとも断罪されるべきは呑ませすぎた義弘だと気付き、彼の元へ向かった。本気で腹が立っているのか、その手には刀が握られていた。おそらく決闘でも申し込むのだろう、と星彩は思った。
そのとき、ぼんやりそれらを眺めていた政宗が、ふと、嬉しそうに頬を綻ばせた。
星彩がその視線の先を追うと、所要で呉へ出かけていた幸村が立っていた。愛しの政宗に贈るべく、街道で手折ってきたのだろう。その手には桃が大量に抱えられていた。花が契機で付き合い始めたこともあり、幸村はことあるごとに政宗へ花を贈りつけるのだ。
「幸村、よう帰った。」
「あら、おかえりなさい。幸村殿。」
「…ただいま戻りました。皆さん、呑んでいらっしゃるのですか?」
まさか、桃の節句が、酔っ払いの饗宴になっているなどとは思いもよらない。幸村はその光景に目を見張りつつ、案の定、その腕の桃を政宗へ手渡した。
そうなると、何となく面白くないのが星彩だ。星彩がちらりと視線を向けると、星彩が密かに想いを寄せている趙雲は張飛に絡まれ、困っていた。へべれけだ。そもそも恋愛感情を抱かれていない上、この泥酔具合では、それならばせめて花を、と望むことも出来ない。それも全て父上のせいよ、と、星彩は恨みがましい目で趙雲に酒を飲ませた張飛を睨んだ。
自分の恋が巧くいかない八つ当たりだとはわかっていても、どうにもならないのが人間である。
大体、先に政宗と仲良く話していたのは私よ、と内心弁解すると、星彩はこほんとわざとらしく咳き込み、何やら良い雰囲気になりつつある二人の間に割って入った。
「そういえば、幸村殿。この餅には意味があるらしいの。幸村殿は知っていて?」
「菱餅ですか?」
しばらく、幸村は考え込んでいた。
そうして何か悟ったのか、政宗をじっと眺めること十数秒。その熱い視線に、政宗が酒以外の原因で顔を赤らめ始めた頃に、幸村は晴れ晴れと答えを口にした。
「わかりました。雪は奥州、緑は伊達軍。桃は、それらの頂点に君臨する、花も恥らう政宗様ですね!」
張り切って答えてもらったところ、幸村には悪いが、まったく違う。もしかして、呉には稲姫や濃姫もいるし、呑まされて来たのだろうか。
だが、指摘するのも阿呆らしくなってしまい、「ご馳走様。」と呟くと星彩は身を翻した。酒でも呑まねばやっていられなかった。
意地でも、後ろは振り返らなかった。
初掲載 2008年3月3日