わたしはいくが、あなたはげんきで


 六つの瓢箪が糸によって束ねられ、賽子に通されている。
 刀を佩いているわけでもないので、柄に紐で括りつけるでもなく、それは腰元でゆらりと揺れた。大陸の者にはわからなかったが、それは根付けと呼ばれるものだそうで、帯に物を入れた際にするりと落ちぬようにする重石のようなものらしい。
 幸村がそれを後生大切にしているというのは有名な話だった。昔の世界から愛用している大切なものらしい。しかし、一方で、それの意味するところを解する者は蜀軍において存外少なかった。「彼」の親友であった孫市がそれを知っていたのか定かではない。孫市はおしゃべりのように見えて口を噤むべきことはきちんと弁えている男であったし、また、幸村も決して多弁な男ではなかったから、それについて、「彼」について、話し合うような機会は得られなかった。



 遠呂智軍から降された政宗が眉をひそめたのは、幸村の腰元に揺れる根付けを見たときだった、と星彩は思う。
 小僧といわれる度に顔をしかめる政宗が年相応の少年にしか見えず、今は離れてしまった幼なじみや星彩が無二と慕う趙雲叔父はそのように接すると困ったように眉尻を下げるだけだったので、そのことを思うと、星彩にとって政宗は未知なる存在でしかなかった。ただでさえ、星彩にとって年下の異性など珍しい上に、その人物がどうやら日の本では一目置かれている人物らしいとただただ驚いた。
 孫市はわかる。孫市はわかるのだ。彼は誰に対しても身分の差など感じさせぬ接し方で楽しそうに話しかけてくる。星彩に対しても、月英に対しても、趙雲に対してもそうだった。だから、政宗もその中の一人でしかないと思っていたところに、それが違うと知らされたときの星彩の驚きといえば、並々ならぬものがあった。街亭での戦の際、鷹揚な態度のその裏で、孫市が実は躍起になっている事実は星彩も薄々察していた。しかし、あの幸村の、尾があれば今にも振り出しそうな嬉しそうな態度、幸村の腰元に根付けを見つけたときの驚いた様子の政宗の表情。そして、傷付いたように逸らされてしまった政宗の隻眼に幸村の落胆。
 それらは一瞬のことだった。
 あれは何なの、と訊いてみても良かったのだろうか。あれから何事もなかったかのように、幸村と政宗は接している。星彩は喉元に何か小骨でも引っかかったかのような思いで、あれからの日々を過ごしている。


 あれは、何なの。


 幸村の腰元では今日も根付けがゆらゆら揺れている。一時見つめて、星彩は思わず視線を逸らした。
 九度山に奉ぜられた幸村に対して政宗が贈った唯一のものであることを星彩が知るのは、遠呂智を倒してからのことだった。六つの瓢箪を糸で束ねて、賽子に通した六瓢束賽(むびょうそくさい)。判じ物による言葉遊びで、無病息災(むびょうそくさい)を意味するらしい。
 それが幸村にとって何を意味するのか、それが政宗にとって何を意味したのか。
 星彩は静かに眺めるしかなく、今日も変らず黙したままでいる。自分が口を出せるはずもないことを、星彩は本能で知っていた。
 鍛錬場の隅、視界の端で、躊躇いがちに伸ばされた指が、政宗の頬に優しく触れた。哀れむように伏せられる瞼、ゆっくり伝う雫。
 星彩は矛を振るう腕を休めて、束の間それを眺め、すぐさま逸らした。親の睦言を耳にしたような、居た堪れぬ思いがゆっくりと胸に広がっていき、それを振り払うように、星彩は再び矛を振るった。何故、政宗は泣いたのだろう。ふとしたひょうしに、そんな疑問が浮かんでは消えた。
 本当はわかっていた。これほどまでに居た堪れないのは、それが逢引に他ならないせいだと、星彩も本当はわかっていた。ただ、その現実を認めたくなかった。互いに傷付けあうような恋を、予ねてから決められていた婚姻に恵まれぬ恋と涙した星彩は、決して認めたくないと思った。
 甘いだけの御伽噺のような、夢物語でしか在り得ない幸せ。そういう愛情に満たされきった、二人が笑って暮らせる生活。実際にはそんなものが存在し得ないことを、星彩だとてわかってはいたのだ。
 星彩は黙って矛を振るった。



 大坂で幸村は浮き世を去った。その最期を介錯仕ったのは、幸村の幸せを願った政宗だ。
 それを星彩が知らされることはない。











初掲載 2008年1月18日