政宗様が、と言って莢迷(がまずみ)を採る幸村様を、あたしはしらけた顔で見ていた。普通、そんなことを城主がしない。女中にでも任せれば良いのだ。それなのに幸村様ときたら、山中にある木に生った赤い果実を一房ずつ丁寧にもぐと、あたしが持つざるに載せるのだ。手伝いましょうかあと言いはしたけれど、延々とこれじゃあたしは詰まらない。
夏から秋に変わる時節だ。他にも色々山にはあった。葡萄、栗、茸。いわゆる秋の味覚ってやつだ。でもそれらには見向きもしないで、幸村様は莢迷だけを取っていく。一度だけ、葡萄は採らないんですかあと尋ねると、幸村様は採らないと答えた。政宗様が、政宗様が。聴き飽きた名前ばかり口からは出てくる。
何でもこの前訪れた折、その政宗様は莢迷を焼酎に漬け込んだ果実酒をことのほかお気に召したらしい。子供だからじゃないんですかあ、とあたしは言ってやりたかったけれど、幸村様の顔を見て止めた。主が幸せそうなのに水を差すほど、あたしも馬鹿じゃないってことだ。
とはいえ、向こうは米が取れるから日本酒、対するこちらは米より麦。ただでさえ呑まない焼酎が、その上果実酒だったものだから、単に珍しかったんだろう。焼酎なんて普通お偉方は呑まないんだけど、名より実を取る幸村様らしい。あるいは、流石は傾いた伊達男というとこか。
莢迷がざるに山を作っている。あたしは大きく溜め息を吐いた。似たような実なら、南天に百両千両万両の方がよっぽど縁起が良いし、珊瑚樹や常磐山櫨子(ときわさんざし)の方がなんとなく響きが良いと思う。常磐山櫨子なんて、大陸では火棘(かきょく)なんて恰好良く呼ばれているのだ。絶対、そっちの方が良い。もっとも、橘擬(たちばなもどき)という不本意な名前もあるから、相殺ってとこか。
ぶつくさ文句を言い始めたあたしに、飽きたことを悟ったのだろう。幸村様はそれを部屋に置いたら好きにして良いぞと言ってくれた。あたしは喜んではあいと答えた。
赤揃えの人が馬を駆り走る。それをあたしは天主から見ていた。まるでその姿は火棘だ。火の色をした幸村様が槍の棘を手に敵本陣へ駆ける。単騎突入。いかにも真っ直ぐに生きた幸村様らしい。それともやけっぱちなのかも。
一緒に死んであげる予定が、突然狂って暇を出された。死にに行くんですかと問うあたしに、死より愛を失うことが怖い、幸村様はそう言って笑った。秀頼の馬鹿が出陣を拒んだ直後だ。当然、顔色はいつもより良くない。それを強がる様子は、今にして思えば、やっぱりやけっぱちだったのかも。
お前は武士ではない。忍だ。無駄死にすることもないだろう。
幸村様ははっきりそう言った。無駄死にと自分でも言っている。じゃあ、何で死にに行くんですか。愛って――。
幸村様はただ微笑んだ。
火棘だ。
あたしは屋根に腹這って頬杖をついた。幸村様はあたしが本当に知らないとでも思っていたのか。あたしは今でも不思議に思う。幸村様が政宗様のことを想ってることも、それが相思相愛なことも、たまに劣情を抱くことだって、あたしは全部黙ってただけなのだ。本当は全部、知っていた。幸村様だって、あたしに対してはあまり隠そうとはしていなかった。だから承知していたのだろう。そこまではわかる。
あの血の色に染まった果実酒。
どうせならもっと巧く隠せば良いのに、とあたしは常々思っていた。
『あら、莢迷のお酒?』
珍しそうに首をかしげて、今は敵方の稲ちんは酒を覗き込んだ。
『それ、幸村様のだから呑んじゃ駄目だよん。』
『人を食いしん坊みたいに言わないで。』
稲ちんは嫌そうに顔をしかめて、それからしげしげと酒の莢迷を眺めた。
『莢迷って、確か、凄い意味があるのよね。』
花言葉なんて高尚なもの、下賎な忍のあたしは知らなかった。だから幸村様は、あたしに気付かれないとでも思ったのかもしれない。でも、だったら、政宗様はどうなのだ。知っていたのか、知らなかったのか。
陣に至る手前、火棘に緑が対峙した。
稲ちんは笑いまじりにあのとき言った。
『私を見て、無視したら死にます。なんて過激なのもあるけれど。』
死より強い愛、それによる結合。
幸村様はそんなものを求めた。政宗様が、政宗様が。あの幸せそうな声は今でもあたしの耳に甦る。政宗様が、政宗様が。幸せそうなだらしない笑顔。
莢迷の酒を送る裏で、一人自己満足していたに違いない。そしてきっとあの馬鹿な男は、そんな生き様を貫く自分だから政宗様は好いてくださっているのだ、とか穿った考えをしたのだろう。たぶん、それで実践した。
愛を失うのが怖いからって、それが実際どうなのか確かめず、何故男は死にに行くのだろうか。愛を失うかどうかなんて、わからないじゃないか。泥を啜ってでも生き抜こうとは思わないのか。死も恐れないほど愛していたのだと言いたかったのか。直接伝えては何故駄目なのか。
何で死にに行くんですか。何でそうも死にたがるんですか。あたしにはさっぱり理解できません。愛って大体なんですか。どうしてそんなに馬鹿なんですか。
一際高く銃声が響いた。一瞬の静止。火棘が倒れて、血が広がった。抑えても抑えても堪えきれない。血は次々と溢れ出していく。自分で止めを刺したくせして、幸村様を抱きしめる奴は震えている。ここは戦場なのに、とっさの分別がつかなくなって、周囲の目も気にならない。こんなことしたら狸から叱責を食らうだろうに。大体失うのがそんなに嫌なんだったら、自分で壊さなきゃ良い話なのだ。なんで男は馬鹿ばかりなのだろう。
事切れたのか、血に染まった掌を握り締め、政宗様が空を見上げた。
雨だ。
防衛、慈悲。火の色をした実と棘で身を守る。火棘の花言葉。
幸村様は結局、自分を守っただけなのだ。所詮、自己満足。政宗様はいつまでも悔いるし、幸村様を忘れないだろう。燃え尽きた棘は子供の心に深く突き刺さって抜けることはない。
予想通りで満足ですかあ、なんてあたしは空を見上げる。ざあざあ降りしきる雨は泣けない子供の代役みたいで、見事なくらい土砂降りだった。それに打たれて、あたしは思った。せめて、一緒に、死にたかった。
でも幸村様はそんなことすら許してくれない、自己中心的で勝手すぎる最低な男だった。自分は政宗様のために死んだくせして。
なんでそんな馬鹿が好きだったんだろう。
雨に紛れて、あたしは泣いた。
初掲載 2008年1月10日