God:05「新世界のバラッドより」


 「貴様、死んだような目をしているな。」
 その第一声に、会釈をして脇を通り過ぎようとしていた兼続は眉をひそめ足を止めた。腕を組んだ政宗が不遜な態度で立っていた。元々、兼続と政宗は仲がよいわけではない。政治的な意味合いから成り立っている関係ではあるが、犬猿と称されるほど、仲は悪い。しかし政宗の地位は、先の戦いで西軍に属していた兼続よりも高い。先程の言葉は腹に据えかねたものの、政宗が立ち止まったので先に立ち去ることも出来ず、兼続は皮肉を返した。
 「…そういう貴様こそ。天下は、諦めたのか。」
 思わず敬語を忘れ昔の口調で問うた兼続の、無礼にして不穏な問いかけを気にする素振りもなく、政宗は鼻を鳴らした。
 「ふん。…それが伊達のためになるならば、わしは、諦めることも厭わん。」
 迷いのない目で言いきり、政宗ははたとその目を頭上に向けた。白いどこまでも続く曇天からは、今にも雪が降り出そうとしていた。
 「…雪は好かん。」
 不機嫌そうに眉根を寄せ歩き出した政宗は、数歩歩いてから、不審そうに兼続を振り返った。まるで訳がわからないという風に言う。
 「いつまで立ち尽くして居る。貴様、余程干されて暇なのか?来い。そんなところに居っては風邪を召す。優しいわしが特別に茶でも立ててやろう。」
 何か裏でもあるのかと思い、兼続が戸惑いの入り混じった不審の目を向けると、政宗がふんと鼻を鳴らして笑った。
 「貴様、わしの陣地に入るのが恐ろしいのか?」
 「そのようなわけあるまい。」
 「ならば早く来い。それで無礼な口利きもなかったことにしてやろうと言うのだ。寛大なわしに感謝するのだ。何なら、土下座して構わんぞ?」
 言い捨ててさっさと歩き出す政宗の後を、兼続は不承不承追うことにした。政宗の挑発に乗った訳ではない、あくまで真意を探ってやろうという思いからだった。数歩後ろを歩く兼続を確認するように、政宗はちらりと視線を投げかけ、嘯いた。
 「言い忘れたが、貴様の敬語は気分が悪くなる。体面がない場であれば、昔どおり無礼講でよい。」
 「…伊達様、先程のお言葉と違えるようですが。」
 「あんなもの方便じゃ。その言い様止めんか。見よ、鳥肌が立っておる。」
 わざと敬語で兼続が言えば、眉間に皺を寄せ、いかにも気分が悪そうに政宗が袖をまくってみせた。細腕は、雪国の人間らしく白く肌が木目細かい。そこに、鳥肌が浮いている。腕をさすってすぐさま政宗は袖の中に隠してしまったものの、白い残像が陽光を弾いた雪原のように、兼続の網膜に焼きついていた。


 「それ、着いたぞ。あがるが良い。」
 案内された伊達の江戸での邸宅は、身分にあったものだった。伊達男の名に相応しく豪奢すぎる訳でも、江戸に居ないからと質素な訳でもない。徳川への気遣いと従順が窺えた。
 主の帰還に参じた家臣はみな一様に、兼続が伊達の後ろに控えていることに関して、驚いた様子を見せた。兼続は家臣の態度に感心した。家臣たちは兼続が共にいることに関して、何かを問うたりしなかった。単に主の行為を信用しているのか、客人の前で無礼な態度も見せられないと判断したのか。
 それにしては、何故か、どこか安堵したような目だった。


 政宗に連れられるまま茶室に招かれ、兼続は政宗手ずから茶を出された。利休に教えを乞うた、茶に造詣の深い政宗らしく、いかにも趣味の良い茶室に高そうな茶道具。不本意だが、兼続でも認めざるを得ない品の良い所作で、政宗が茶碗を差し出した。
 ふと窓の外を見やれば、政宗と邂逅したときには降り始めたばかりだった雪は、既に降り積もりそこかしこを白く染めている。
 兼続は茶を飲むと、姿勢を正し、茶碗を置いた。
 「それで、…何の用だ?」
 「何故、わしが貴様に用があると思う?」
 問いかけに問いかけで返し、面白そうに目を細めた政宗を真っ向から見つめ、兼続が言葉を返す。
 「用もなしに私を邸宅に招く貴様でもあるまい。」
 ただでさえ、先日、兼続は政宗を衆目の前で馬鹿にしたばかりだった。政宗が何の理由もなしに、兼続を邸に呼び出す訳がないのだ。
 兼続の言は正解だったらしく、政宗は口端を吊り上げ、ちらりと窓の方へ目を向けると、顔を僅かながら顰め窓へ歩み寄り閉めた。外に声の漏れ出ぬようにとの配慮からかと兼続は思ったが、すぐさま、あからさまな行動に間諜対策でもなさそうだと選択肢を除外する。もとより、既に表から伊達の門を潜った時点で、徳川に知れるのは時間の問題だろう。しかし、では何故伊達が窓を閉めたのかと問われれば、兼続に見当もつかなかった。雪と共に冷たい空気が舞い込むゆえだろうか。
 それにしては、一瞬、政宗の隻眼を過ぎった嫌悪の色が解せない。
 「貴様は先の戦、西軍に属しておったな。」
 「…それが、どうした。」
 「あやつ…はどうであった?」
 政宗がいう「あやつ」に思い至り、兼続は固い口調で返した。
 「それは貴様の方が知っておろう。最期を見取ったのは貴様だと聞いている。」
 「わしが知りたいのは、」
 政宗は視線を落とし唇を噛み締めると、膝の上で拳を握り締め、束の間、黙り込んだ。
 「…いや、何でもない。変なことを問うた。許せ。」
 未だ迷いの見える様子で、政宗が前言を撤回した。
 兼続はこのとき、訪れた際政宗の配下が見せた態度の理由を理解した。あの、どこか安堵したような目。おそらく政宗はずっと、西軍に属し幸村にも近しかった者に、幸村のことを尋ねたかったのだ。政宗は兼続に幸村のことを尋ねることで、幸村を振り切りたかったのか、幸村が世界に存在したことを確認したかったのか。
 『来世では、』
 脳裏に浮かんだ残像に、兼続はそっと目を伏せた。


 上杉邸に使いを呼びにやろうかという提案を断り、兼続は伊達邸を出た。訪れた際に見え出した雪は、深々と降り続けている。己が呼んだ客人ということもあり見送りに出た政宗は、緋色の傘を兼続に差し出した。
 「しかし、」
 借りるということは、返すということだ。上杉の立場を慮り言いよどむ兼続を、政宗は不遜な常の態度で笑った。
 「返さずとも良い。明日からはどうせ、また元の犬猿の仲に戻るのじゃからな。」
 「すまない。」
 兼続は礼を言って、傘を受け取った。目にも鮮やかな緋色は誰かを思い起こさせる。もしかして、この傘を処分するために体よく使われただけなのではないか、と疑念が兼続の頭を過ぎった。先程幸村の話をしていたためだろうか。
 政宗は目を眇め傘を一瞥した後、雪の舞い散る空を見上げた。
 「雪は好かん。」
 「来る途中も言っていたな。」
 ふと思い出し兼続が問えば、政宗は固い瞳で答えた。
 「雪国に住まう貴様ならわかるじゃろう。雪は人家を潰し、人をその冷たさで殺め、外交を絶やす。…全てを埋め尽くすくせに、」
 はらりと落ちた雪が、差し伸べた政宗の掌で溶ける。政宗は掌を握り締め、不敵に笑った。
 「呆気なく溶けて消えてしまう…。綺麗に散るのは、楽しかろうな。」
 鼻を鳴らす政宗の姿が、兼続には、今にも泣き出しそうなものとして映った。
 「だが、私は嫌いではない。その潔さに憧れた。」
 「…憧憬だけで生きていける、綺麗な世界でもあるまい。」
 「そう、だな。私はそれを痛感させられた。」
 『来世では、』
 あの言葉を政宗に伝えようか迷い、結局、兼続は口を噤んだ。今更だ。何より、兼続は本当は幸村が何を言おうとしたのか知らない。憶測を口にするには、あまりにも二人の絆が強いように思われた。
 いつの間に、政宗と幸村はそのような絆を結んでいたのだろう。
 頭の片隅で不思議に思いながら傘を広げ差し、兼続は政宗に相対した。
 「では。また会うときは犬猿だが。」
 「ああ、会わぬことを祈る。」
 ひらりと政宗が、追い払うように手を振った。
 兼続は暫く無言で道を進み、ふと、思い立って後ろを振り返った。背後では、政宗が空を睨みつけるように見つめていた。兼続は束の間それを見てから、視線を逸らすと再び歩き出した。
 脳裏に浮かぶ、幸村と最後に対峙したときの言葉。
 『来世では、』
 呑み込まれた続きを、そのとき兼続は知ろうとしなかった。来世ではなんだというのだ。いくら義が西軍にあるとはいえ、東軍に数で圧倒され、既に負け戦の色が濃かった。来世では東軍につく、そういう意味合いに受け取って、兼続は唇を噛んだ。上杉と違い、徳川に憎まれている幸村が、今更、反旗を翻す訳にはいかない。不甲斐無い己が情けなかった。
 幸村はただ、雪の降りしきる城下を無言で眺めていた。
 『来世では、』
 来世など、政宗は信じていない。
 兼続は傘を握り締める手に力を込めた。
 定かならぬ来世で想いを果たすよりも、幸村は、泥を啜ってでも今生を生きるべきだった。
 江戸の城下を、滔々と降り積もる雪が、ただ無言で白く塗り潰している。











初掲載 2007年6月8日
Rachaelさま