1:「真田幸村」との再会 (政宗/旧蜀軍)
2:参軍 (妲妃/遠呂智軍)
3:二の足 (妲妃/遠呂智軍)
4:決戦 (卑弥呼/遠呂智軍)
5:別離と再会 (政宗/遠呂智軍)
政宗にとって「真田幸村」を冠する男は、唯一人だった。その男はもののふとして、武士の一分を貫き死んだ。その死を愚かと評する者もいる。だが、政宗にとって彼ほど眩しい男はなかった。殺めた瞬間、それに気付いた。
政宗を呼び止めた男は、困った様子で政宗の顔色を覗っている。降将とはいえ、政宗の方が高位の将だ。不躾な真似、分不相応な事をしたと思っているのかもしれない。その後悔と同様に揺れ動く瞳に政宗の求めた者の影はない。その事実を認め、政宗は男に対し予てから抱いていた諦観と絶望に、幾らかの軽蔑も加えることとなった。
「…用がないならば、わしは行く。」
硬い表情で呟き踵を返した政宗は、その時、強く腕を引かれて後ろを振り向いた。同時に、待ってください、と嘆願か命令も聞こえた気もするが、政宗の頭に届くことはなかった。
見なければ良かった。
「 。」
全てを舐め尽す青白い炎。
それは、政宗がいつか見た「幸村」の焔だった。武田信玄を主と仰ぎ、明るい未来だけを抱くこの男が、持つはずのない暗く熱い焔だった。
初めて政宗の口から聞いた自身の名に、眼前の男が嬉しそうに笑った。
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「逃げ場所なら他にもあったでしょ?」
その言葉は政宗の本心を言い当てたもので、政宗は顔色を失った。その青白い頬に、赤く染め上げた爪を当てて妲妃は密やかに息を洩らした。儚さにすぐさま消え入りそうな、妲妃が浮かべるには不相応な笑みだった。
「でも選べるわけないわ、政宗さんには。同じよ。私にも選べない。遠呂智様がいるんだもの、他なんて選択肢いらないでしょう?」
吐息が触れるほど唇を寄せて、妲妃は嬉しそうに目を細め囁いた。
「死にたいなら死なせてあげる。でも、政宗さんには無理だわ。今の、政宗さんには。だったら、会う前に戻って死ねば良いじゃない?いいえ、会わずに生き続けることだって出来る。時空を操る遠呂智様がいれば。だって、そうでもしなきゃ、貴方が生きるには辛すぎるでしょう?」
妲妃の金色に輝く瞳には、まんじりともせず凝視する己の姿がある。政宗は、その影の瞳が僅かに揺らぐのを見た。
男と出会う前に死ねていたら。男と出会うことなくいられたら。
何度願ったかわからない望みだ。死んだ幸村に惹かれた政宗に、幸村と共に生きる道はない。ならばいっそ、知り合う事なく生を終えたかった。
心の闇を覗く術に長ける女狐は、政宗の首に腕を絡めて唇を寄せた。どれだけ距離が縮んでも口付けはしない。これは恋ではない、まして愛でもない。政宗はそれを重々知っていた。
「だから、私の味方になって。」
鏡に映る虚像のように、妲妃は冷たい声で命じた。
「人をいたぶるのが好きだねえ。」
壁に寄りかかった孫悟空の言葉に、妲妃は鋭い眼差しを向けた。
「…、清盛の部下がここに何の用?偵察?だとしたら悪趣味なんじゃない?もし覗きだとしたら、それこそ、趣味悪すぎ。」
「べっつにー?妲妃ほどじゃねえさ。」
「…死にたいの?」
血のように紅い唇を舌で舐め、妲妃が右手を緩く持ち上げると、傾国が燐光を放ち始めた。
「馬鹿は死ななきゃ直らないっていうし、一度くらい死んでおいたら?躾の行き届いてない猿ほど性質の悪いものはないわ。」
紛うことのない殺気が立ち昇った時点で、悟空は壁から背中を放した。いつも余裕を崩さない妲妃にしては、異様なまでに沸点が低い。
「そんなに、清盛のオッサンに知られちゃまずいことかい。」
いや、まずいっつーか嫌なのか。
悟空が言い終えるより先に、妲妃の右手が振り翳された。
轟音と共に壁が弾け飛ぶ。だが、そこに既に悟空の姿はない。悟空が俊足を誇る猿であることを思い出し、妲妃は大きく舌打ちをした。
僅かに遅れて残響が届いた。
「んなこと言ったっておめえさん、死なせてやる気なんざありゃしねえくせに。」
「…だってしょうがないじゃない。手放したくないんだもの。見るも無残で、惨いほど醜悪で、屈折してるくせに馬鹿みたいに真っ直ぐ。あんなに心地好い愛憎、あんなに深い絶望。滅多にない。でしょ?」
妲妃は吐き捨てると、その場を後にした。背後で猿の笑い声がした。
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妲妃はかつかつと踵を鳴らし回廊を歩いていた。その半歩後ろを着いてくるのは、妲妃を無二と慕う卑弥呼だ。元々妲妃は卑弥呼を、遠呂智を復活させるための道具の一つとしてしか見ていなかった。それがどうしたことだろう。天真爛漫な振る舞いに絆され、温かい想いで満ちる己を妲妃は持て余してしまっていた。
本来なら、こんなことはあってはならない出来事だった。全ては復讐、唯それのみだった。
いくら残虐でろうたけているといえども、妲妃とて女だ。感傷の一つや二つ抱いている。その中で一等悲惨な記憶の帝、妲妃が愛し愛された男は、姓を帝、名を辛と言った。
帝辛は恐ろしいほど才に溢れて、見目麗しい人間だった。ゆえに、仙界の手に滅ぼされることとなった。帝辛は妲妃と国を守るため、只一人になっても戦い続けた。数を頼みにする仙人達に勝てるはずもないのに、戦いきった。そういう意味で帝辛は、帝として歩むべき道を知る男だった。そして、残された者を思わない、子供のように残酷な男だった。
だからこそ、妲妃は全てをかなぐり捨てて愛せたのかもしれない。
まめが潰れて血の轍となるまで、妲妃は方々を捜し求めた。求めたのは、只一つ、復讐する術だった。
「…もしかしたら太公望さんは、薄々察しているかもしれないわね。」
「妲妃ちゃん、何が?」
「何でもないわ、卑弥呼。ちゃんと前を見ないと躓くわよ。」
妲妃が、名で伝え聞くのみの存在である遠呂智を故意に脱走させたのは、彼ら仙人への復讐だった。そして遠呂智の力を借りて世界を混乱に陥れたのは、帝辛を許さない偏狭な世界への復讐だった。
だから、童心の娘に惹かれてはならなかった。かつて愛した男に似ているからといって、あの竜に心を割いてはいけなかった。
愛は復讐を刃毀れさせて、鈍ら刀に変えてしまう。それでは駄目なのだ。妲妃は全てを打ち壊したいのだから、その決心を鈍らせてはいけなかった。
「それでも…ねえ、卑弥呼。」
「なあに、妲妃ちゃん。」
声をかけられたことが嬉しいのか、頬を染めはにかむ卑弥呼に妲妃も微笑み返した。
只、生き延びて欲しい。自分より先に死なないで欲しい。看取るのは、先の遠呂智様の死でもう十分。それがどんなに過酷で残酷な道でも、貴方たち二人には私の最期を見届けて欲しい。
「お願いね。」
「?ようわからんけど、任せとき!妲妃ちゃんのお願い、叶えたんねん!」
「あは。頼もしいなあ、卑弥呼は。」
けらけら妲妃は笑い声を立てながら、心中、片割れに想いを馳せた。あのへそ曲がりの振りして真っ直ぐな竜は、こんな妲妃の感傷を鼻で笑うだろうか。それとも、赤を重ねて同意するだろうか。
たった一つ酷い創があった。それは妲妃を破滅へ向かわせた。だが。
全てを焼き払うつもりが、創を癒されていた。
駆け足は遅くなった。速度は鈍くなった。それでも、足は止められなかった。
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「みんな、…みんな、おかしなってんねん。」
卑弥呼は地面にへたり込み、顔を覆った。
妲妃は躁鬱激しく、錯誤しやすかった。残酷な仕打ちを楽しんでいるかと思えば、急に得物を放り出して泣き出すことも多々あった。こんなはずじゃなかった、と妲妃が小さく呻くのを、卑弥呼は一度耳にしている。泣きじゃくる妲妃の背を擦る卑弥呼の手首をしかと掴んで、卑弥呼と政宗さんのせいよ、と言った。その言葉は責める類のものだったが、声は哀しいくらい優しいものだった。
政宗は遠くを見ることが多くなった。卑弥呼の知る限り、以前から遠くを見る男だったが、「遠く」の種類が異なっていた。それは、何かに想いを馳せているような、思いあぐねているような横顔だった。全てを曝け出し惑う妲妃とは対称的に、只管沈鬱に政宗は悩んでいた。
その原因を、卑弥呼は知らなかった。教えてくれたのは、清盛だった。
「全部、全部全部あんたら仙人のせいや!あんたらなんか嫌い!うちの前から消えたって!」
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「…政宗さんなんて嫌いよ。大っ嫌い。私と同じくせに、遠呂智様に寄りかかってたくせに。政宗さんにはまだ彼がいるじゃない。私にはもう、…いないのに…。」
妲妃は掠れ声で低く呻くと、政宗を挑発するように笑った。紅を塗り付けたように血の滴る唇は、弓なりに弧を描き、只愚かなまでに不敵だった。
「地獄!私は遠呂智様を追って地獄に行くわ。並み居る強者を打ち滅ぼして、それまでのものが地獄だったなんて言うのもおこがましい…凄惨な世界を作り上げるの!遠呂智様と私で…そこに、貴方の居場所はないの、政宗さん。貴方なんて要らない。…だから、」
炯々と光る瞳に一瞬心からの懇願が浮かび上がり、それを肯定するように妲妃は力なく頭を垂れると、政宗の胸倉を掴み小さく吐き捨てた。
「私と遠呂智様の…邪魔をしないでよ…。ねえ、お願い…卑弥…呼…、…。」
最期に妲妃が何と告げたのか、わからない。それが政宗の耳に届く前に、声は消え入り、息も途絶えた。
押し付けられた肢体が次第に重さを増し、冷たくなり始めた。その身体に、最早生の息吹は微塵も感じられない。政宗は妲妃の遺骸を掻き抱き、唇を血が出るまで強く噛み締めた。
どれほどの時間が流れただろう。
炎上し咽返るような熱を発する城に一人留まる政宗の存在を、気にかけたのだろうか。何故この男が、と思いながら、政宗は絶望に掠れる声で囁いた。
「やはり貴様がわしを殺したな、幸村。」
天下を臨み大望を抱く、伊達藤次郎政宗は殺された。もはや残るのは、只の、「政宗」だ。何の価値も持ちえない「政宗」に一体何が出来るというのだ。
どれだけ問いかけても返事を欲しても、腕の中の骸が答えることはなかった。
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「…、貴様がわしを殺すのか。」
吐き出された台詞に幸村は目を丸くし、それから、どこか見覚えのある青年が己の記憶の中の「伊達政宗」という子供の成長した姿だと気付くのに幾分が時間を費やした。そして、幸村が政宗を殺すとはどういうことなのか尋ねようとしたときには、その姿は掻き消えていたのである。
以来、政宗は幸村を避けて会おうとしない。戦評定などで会うのを避けられない際は、必要最低限の会話を為すのみだ。
あの言葉の意味を、今なお、幸村は知らされていない。
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初掲載 2008年7月頃
改訂 同年11月8日