遠呂智短文集

1:慶次と政宗 (遠呂智軍)

2:街亭の戦い (政宗/遠呂智軍)

3:慶次考 (政宗/蜀軍)

4:「真田幸村」のいない世界 (政宗/蜀軍)

5:銃 (孫市/蜀軍)

6:邂逅 (幸村/蜀軍)

7:街亭の戦い2 (孫市と政宗/蜀と遠呂智軍)

































 

1:慶次と政宗 (遠呂智軍)


 容赦なく雨が降っている。夏にしては身を切るような冷たさの雨だ。兜の合間から入り込んだ雨に濡れ額に張り付いた前髪を掻き分け、空を見上げる。何処までも限りなく黒に近い灰色の空から降り注ぐ雨に目を細め、視線を落とす。赤揃えの男が泥と化した地面に横たわっている。
 強く目を瞑れば、男の駆ける姿が脳裏に浮かぶ。
 単身敵の本陣に突入してきた男を、浅はかと嗤う気にはなれなかった。命を賭してまで信念を貫く姿が、ただ、眩しかった。
 「こやつは…己が信念を貫き…逝った…。勝利し、生き残ったわしは…。」
 視界を閉ざしたことで常より敏感になっている感覚器官が、左手の震えを伝える。握り締めていたはずの刀は、疾うに地面に落としている。男を刺し貫いた感触が、未だに左手に張り付いている。雨で流し落とされた血が、未だに左手を濡らしている。
 もう、この左手は使い物にならない。
 震えを誤魔化すように強く、左手を握り締める。


 そこで、いつも目が覚める。


 身を起こした政宗は恐怖と緊張にじっとりと湿った掌を敷布団に押し付け、すぐさま、肩で息を吐く姿を窺う者が居ないか周囲を見渡し、舌打ちをした。赤い月に照らされた部屋で、酒を呷る者がいる。思考を巡らすまでもない。共に酒を呑んでいた、慶次だ。慶次は政宗の穿つような視線に気付き、のっそりと低く笑った。
 「また、夢かい。」
 「うるさいわ、馬鹿め!」
 政宗の不貞腐れたような声に、慶次はからりとした笑い声を上げた。
 どうも慶次は政宗を子どもだと思っている節がある。長篠の戦の戦闘直前から「今」にやって来た慶次の記憶している政宗は、未だ小さな子どもだ。突然目の前の年齢に合わせて付き合い方を変えろ、と命じても、部下ではなく気質もよく言えばおおらかな慶次相手では効果がまったくなかった。例えそれが詮無きことととはいえ、「今」、いくら童顔とはいえ17歳の政宗にしてみれば子ども扱いされることは屈辱に他ならないのだが、何故か慶次相手だと怒りが持続しないから不思議である。先に潰れた政宗のため布団を敷いたのも慶次だろう。実際に言われた覚えのある「子どもにゃまだ酒は早いんじゃないかい」、という台詞を返される前に、政宗は文句を飲み込んだ。
 慶次は政宗の様子にしばらく笑みをこぼしていたが、ふと黙り込み、外を眺めた。
 赤い月の浮かぶ、異界。慶次や政宗の知っていた世界の未来や過去から構成される、まるで知らない世界。
 ここは遠呂智によって作り上げられた世界だった。
 「…何があったか知らないが、あんたにゃ、ここは似合わないと思うぜ。」
 小さく呟かれた言葉に政宗は不快そうに眉根を寄せ、慶次をにらみつけた。
 「…わしでは遠呂智の傍にいる資格がないと、そう言うことか。」
 「違う。」
 「違わない、慶次の言っていることはそういうことだ。」
 「違うさ。」
 慶次は悲しそうに、そして政宗を哀れむかのように笑った。
 「頭の出来のいい政宗には、もう、わかってんだろう。俺が、口を出す問題じゃあないさ。」


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2:街亭の戦い (政宗/遠呂智軍)


 本来政宗は情報戦に優れた武将である。奥羽という親族ばかりが寄り集まった地にあって、武よりも情報をもって血を流さずに平定することを求められたためであった。無論、だからといって血を厭わないのが政宗の強みである。そうしなければ、奥羽を平定するなど叶わなかっただろう。
 政宗はもたらされた情報に、思わず口を吐いて出そうになる悪態と賞賛とを堪えた。両翼から敵が迫っているのだという。
 「…孫市め、」
 対策を練る頭の片隅で、諸葛亮に乞われるがまま黒ハバキを貸すのではなかった、と後悔がもたげるのを感じ、政宗は自分自身に怒りを覚えた。今回の戦を侮ったのは、自分なのだ。他に責任を擦り付けていいわけがない。
 今頃、諸葛亮は黒ハバキを用い、真田軍を撹乱しているだろう。
 己は死ぬかもしれない。そんな苦境でも、それを思うだけで胸の空く思いがした。


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3:慶次考 (政宗/蜀軍)


 「数だけが勝負の戦なんざつまらないねえ。華がない。俺は、あんなつまらない天下だけは許せないのさ。その点、遠呂智だったら数なんかに屈さないだろう。まあ、あの作戦が成功したかどうか、俺は実際始まる直前でこっちに来ちまったから知らないんだがねえ。」
 そう嘯く慶次の瞳は表情に反して固く、政宗は、慶次が長篠の戦の結果を知っていることを悟った。
 あの戦で、全ての戦の基礎は変わってしまった。一個の勇猛な武将より、多数の臆病な兵を重用する戦が到来してしまったのだ。戦人として強さの頂を確かめたい、それだけを欲して生きた慶次にしてみれば、信長の作り上げた未来は許せるものではなかっただろう。
 遠呂智であれば。
 何にも負けることのない強さを誇る遠呂智であれば、数に屈したりはしない。
 公言して憚らない遠呂智への共感のみが、慶次の中にあるのではない。信長への反感から慶次が遠呂智軍に与していることを、そのとき、政宗は知った。


 その慶次が、呉から成る反乱軍に降ったのだという。よりにもよって、あの、徳川に。
 政宗は諸葛亮によってもたらされた情報に、皮肉なものを感じた。


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4:「真田幸村」のいない世界 (政宗/蜀軍)


 かつて生きていた世界に、何も、見出せなかった。
 幸村の死後決意した徳川に対する謀反は失敗に終わり、結局、政宗は家康の追及をのらりくらりと避け、家を存続させる道を選んだ。そして家康も、本気で伊達を取り潰すつもりはなかった。副将軍として取り立てられ、跡取りを任せられたときに政宗はそれを思い知らされたのである。己では、幸村の器には及ばなかった、と。


 政宗の眼前では、鍛錬場で槍を手に幸村が趙雲と何やら談笑している。馬が合うのだろう。趙雲に用があった政宗は幸村の存在に眉を顰め、踵を返そうとした。
 「おっと、どうした急に後ろなんか向いて。」
 「、邪魔じゃ。退け。」
 いつから後ろに立っていたのか、大仰に驚いたふりを見せる孫市を政宗は睨みつけた。不機嫌な政宗の様子を一向に気にせず、孫市が視線を鍛錬場に向けた。
 「話かけてけばいいじゃねえか。」
 「うるさい。何故話しかけねばならぬ。用事などないわ、馬鹿め。わかったらそこを早よ退かんか。」
 政宗の隻眼が剣呑に光りを帯び、その左手が銃に伸びる。孫市は苦笑を浮かべ、降参のポーズを取りながら壁際に下がった。
 政宗が溜飲を下げその場を後にしようとした、そのとき、孫市が放った言葉が実際どれほどの効果を持っていたか。政宗の顔を窺うことのできなかった孫市は知らなかった。
 「真田が生きてるのを見るんが辛いからって、逃げてたって何にもなんないぜ?」


 この世界で幸村が生きていると知ったときの政宗の歓喜を、誰も知らないだろう。
 政宗の人生に一番影響を及ぼした人物が虎哉禅師であり、一番掛け替えのない人物が小十郎であるとすれば、一番衝撃を与えた人物は幸村だった。その喪失と引き換えの、生涯で一度のその衝撃を、政宗がどれほど惜しんだか。


 「なあ、政宗。」


 この世界の幸村は、政宗の人生に衝撃を与えた幸村ではないと知ったときの政宗の失望を、誰が知るだろう。
 唯一無二の信玄を失わず、九度山にも封ぜられていない幸村は、政宗にとって、明るい理想によって作り上げられた信念を振るう若造にすぎなかった。どうにもならない絶望を知らず、辛いだけの現実を思い知らされていない幸村は、政宗に感銘を与えるには至らなかった。
 かつての世界も、この遠呂智によって作り出された世界も、政宗の生きる意力を引き出すことはなかったのである。


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5:銃 (孫市/蜀軍)


 「…孫市、銃の扱いを教えろ。」
 政宗が愛用していた双刀は、一刀のみ鞘に収められていた。
 「政宗、お前。刀はどした?」
 「ふん。あのようなものいらんわ。文明の機器を使用してこそ、真の傾き者よ。」
 不遜な政宗の態度に何一つとして孫市は、変わった点を見出すことができなかった。だが、政宗の行動が本心に直結しているわけではないことを既に十分承知していた孫市は、政宗の虚言に惑わされることはなかった。
 しかし、結局は政宗の乞うとおり、孫市が片手でも扱えるよう極力反動を抑えた短銃を政宗に与えたのは、己が触れていいことではない、と孫市が感じたためである。
 あのときの禁忌が何であったのか、今にして初めて、孫市は知った。


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6:邂逅 (幸村/蜀軍)

「…、貴様がわしを殺すのか。」
 吐き出された台詞に幸村は目を丸くし、それから、どこか見覚えのある青年が己の記憶の中の「伊達政宗」という子供の成長した姿だと気付くのに幾分が時間を費やした。そして、幸村が政宗を殺すとはどういうことなのか尋ねようとしたときには、その姿は掻き消えていたのである。
 以来、政宗は幸村を避けて会おうとしない。戦評定などで会うのを避けられない際は、必要最低限の会話を為すのみだ。
 あの言葉の意味を、今なお、幸村は知らされていない。


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7:街亭の戦い2 (孫市と政宗/蜀と遠呂智軍)


 「なら、その首は俺のもんだ。俺と一緒に来てもらう。遠呂智の器、外から見極めるってのも…ありだろ?」
 孫市の台詞は普通に考えれば寛大なものだったが、政宗はゆるく首を振った。
 「わしはこんな世界、生きていたくない。」
 結局、自分の望んでいたことが自殺に他ならなかったと知ったときの感情は、なんと呼ぶべきなのか。政宗にはわからなかった。かつて生きた世界や、今生きている世界が憎かった。壊れてしまえと呪い、その力ゆえに世界の終焉を望む遠呂智の軍に身を投じた。遠呂智なら、この世界を壊してくれると思ったためである。
 「なあ、政宗。お前は、忘れてるんじゃないか?」
 殺せと告げる政宗の態度に苦笑し、片膝を落とした。正面から隻眼を覗き込まれ、僅かに身を引く政宗の肩に手を置き逃げることを許さず、孫市が言った。
 「お前が生きていたくないって思うような世界を作ったのは、お前が好きな遠呂智なんだぜ?」
 政宗が力なく笑い、その様子に孫市が眉を顰めた。
 確かに孫市の言うような現実に際し、政宗は遠呂智を憎んでもいたが、孫市の言うことはまるで見当違いなのだ。かつての世界でも政宗がもう生きたいとは思えない事実を、孫市は知らなかった。
 政宗が望むのは、ただ一つ、大阪で死んだ幸村が生き返った世界なのである。


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初掲載 2007年3月ごろ
改訂 2007年9月19日