三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい


 鈍痛がした。
 いったんそれを認識すると、再び眠りに就くことも出来ず、それ以上に彼のことが気になって、政宗は重い腰を上げた。腰は紛い物であるかのように重く、滑らかな動作に欠けた。それでも、政宗は床に手をつき無理矢理身を起こした。
 布団もだが、政宗は寝巻きを着せられていた。おそらく、彼が着せたのだろう。正気に返ると同時に頭をもたげる罪悪感に、彼がどれだけ苛まれたのか。柄にもないその優しさの原因を考えるだけで、政宗の気は大変咎めた。
 彼が悪いのではない。彼につりあわない自分が悪いのだ。
 脆弱な人の身は、あまりに脆いものでしかなかった。
 手首は彼に強く掴まれたあまり、その指の形に添って、青く痣が浮き出ていた。政宗は痣をいとおしげになぞり、本意ではなかったが、彼が気にするので手首を袖で覆った。政宗にとって遠呂智を傷付けることは、彼の痕跡を否定する以上に避けるべき最重要事項だった。
 だから、今、自分はここに居るのだ。


 静まり返った夜の冷たく澄んだ香りに紛れて、政宗の体からは血の臭いがした。深く噛まれた首筋は疼き、反らされた背骨は痛みに軋んだ。
 それに彼が気付かねば良い、と政宗はただそれだけを願った。
 それでも、知っているはずだ、とも政宗は思った。
 どれだけ創を残しても良いのだ。いかようにも傷付けてくれて良いのだ。体では生温い。もっと身の内に深く無残な傷をつけて欲しい、と、政宗は強く焦がれているのだ。それは惨たらしく、酸鼻を極めるものであればあるだけ、政宗は喜びに涙するだろう。
 だから、もっと、ずっと、傷付けて欲しかった。
 終焉の刻は近い。生温く暖かい闇も、どれだけ願おうと続きはしない。いずれ朝は来る。そのとき、彼は夜の露と化し消え去ってしまう。政宗はそれを重々知っていた。知っていたから、傷を望んでいる。


 三千世界の烏を殺し―――。


 政宗は首を振り、脳裏に浮かんだ歌を締め出した。
 朝寝など願って、何になる。彼の望みはたった一つ。己が強者に討たれることなのだ。己の死のみを願う彼の道を、政宗が妨げることは出来ない。
 玉のように完璧な魔王。愛しい魔王。哀れな魔王。
 完璧でそれゆえに退屈に苛まれ、自らの死を渇望する彼の姿は、生き物として歪みきっている。あまりに強すぎ、強すぎるがゆえ脆い姿は、政宗の心を惹きつけた。
 だから、それは偶像を守りたいという勝手でもあり、弱者を哀れむ勝手でもあったが、政宗は彼の意志を尊んだ。彼が望むならば、夜の終わりも拒みはしない。政宗も無理に引き止めはせず、暗闇の消滅を待ち受けるだろう。
 否、待ち受けなければならない。それは政宗の義務である。
 政宗は月明かり一つ落ちぬ暗闇の中を、彼を求めて進み続けた。
 朝が来ても良い。ただ、と、政宗はいずれ来る朝に瞼を伏せた。



 ただ、悲しみに満ち溢れた残酷なばかりの真昼の世界で、偲べるだけの貴方の痕を、この身に深く残してください。











初掲載 2008年3月20日