インディゴの夜 / 加藤実秋


 場所は大坂、伊達屋敷。
 ぱあああああぁぁぁん、と、小気味良い音が響いた。


 時は、四半刻ほど前に戻る。
 伊達当主政宗に呼び出され、三成は眉間にしわを寄せていた。そのしわの理由は、まず一つには、太閤秀吉の直属の部下である三成が外様の政宗ごときに呼び出される筋合いはないというもの、二つには、三成は散々伊達家に対して嫌がらせをしてきた自覚があるだけにそんな相手の拠点に呼び出される理由が悪いものしか思い浮かばないこと(何せ、両者の仲の険悪さといえば、太閤夫妻の頭を悩ませる諸問題の中でも筆頭に挙げられる。)、三つ目には。
 朱色の襦袢に、萌黄色の重ね。山吹色の内掛けは、北の政所ねねに似合いそうだ、と、三成にしては縁遠いことを思ってしまうほど、その状況は現実味がなかった。いや、というよりも、三成が、現実として認識したくない状況だった。
 眼前の女は、薄っすらと桃色に染めた頬を隠すように掌で覆うと、ちら、と三成を上目遣いに見やった。
 「信じられぬとは思うが、わしは、おなごなのじゃ。」
 そう言ったきり、「政宗」は、恥ずかしそうに視線を落としてしまう。まるきり乙女、といった風な態度に、三成はどう対応して良いものかわからず、眉間のしわを深めた。何か、嫌な汗が額に滲んでくるのを自覚する。それは、忍城の水攻めに失敗したときの汗にも似ていた。
 これならば、訪れるなりずどんと殺されて海にでも沈められた方が万倍ましだった。混乱しすぎて、次に打つ一手さえ思い浮かばない。つい先だって、政宗は新たに妾を迎えたという話だったが、あれは嘘だったのか。それとも、そういうただれた関係なのか。
 混乱していた三成は、政宗が本当に女なのかどうか確かめようとして、三成らしい分別に欠けた、混乱ゆえの短慮な行為に走った。――つまり、政宗の胸を触り、あまつさえ、にせものでないか確かめるように揉んだのである。
 一瞬の間を空け、政宗はぶわっと耳まで赤く染めると、唇に浮かぶ笑みを引きつらせて、大きく腕を振りかぶった。
 ぱあああああぁぁぁん、と、小気味良い音が響いた。


 そして、三成の頬を強かに打った後、真っ赤な顔で部屋から飛び出した政宗が、物思う様子で部屋に舞い戻ってきた場面から、物語は再開される。
 「馬鹿め。まったく。ああいう真似は、思慮分別に欠けるわ。貴様は、おねね様に教わらんかったのか。」
 政宗はどことなく疲れた様子で、溜め息をこぼした。対する三成は面白くない。むっとして、口を開いた。
 「おねね様に育てられた覚えはない。」
 「…貴様が無神経なのは、そのせいか。」
 見せ付けるように再度溜め息を吐くと、政宗は、「まあ、良い。」と居住まいを正した。ちら、と三成を上目遣いに見やって、曰く。
 「思わず動揺して頬を張ってしまったが…わしは、三成…おことのことが好きなのじゃ。」
 ぽっと頬を染めて、政宗がのたまう。流石に、長時間放置されていたことで、覚悟が決まっていたのか、今度は動揺することもなく、しかし、怪訝そうに三成は問いかけた。
 「…それはどういう意味だ。」
 三成が怪訝に思うのも不思議ではない。何せ、三成は伊達家に対して、散々、訪れるなりずどんと殺されて海に沈められても仕方ないような嫌がらせをし続けてきたのだ。伊達家臣は勿論のこと、伊達家当主である政宗がどれほど三成を憎く思っていることか…想像に難くない。
 しかし、政宗はそんな軋轢やしこりを全てなかったものとして、答えた。
 「無論、おなごとしてじゃ…わしがおなごなのは、先ほど、告げたであろう?」
 「…謝る気は毛頭ないとはいえ…俺は、貴様らに対して散々なことをした気がするのだが。」
 その言葉に、政宗が目を眇めた。その目は、いや謝れよ、と三成を強く非難していた。しかし、政宗がそのような殺気を露にしたのは、一瞬のこと。三成が気付くより早く、政宗は殺気を収めると、満面の笑みで三成に迫った。
 「それしきのこと。愛の前には、問題にならん。」
 三成の膝の上に乗り上げた政宗が、その首に両腕を回す。束の間逡巡する様子を見せたものの、あからさまな誘いに乗るように、三成は政宗の耳元で囁いた。
 「まるで…兼続のようなことを言うのだな?」
 「!あの馬鹿と一緒にするでないわ、馬鹿め!」
 ぞわぞわと這い寄る怖気に、政宗が目を見開いた。正面で相対している三成には見えないが、政宗の項には蕁麻疹が出来ている。しかし、そんな実態をひた隠すように、政宗はこほんと息を吐いて、場を仕切りなおした。
 「…いや、しかし、あやつの言うことももっともであった。三成、おとこの愛の前に、全ては無力じゃ。」
 そうきっぱりはっきり告げた政宗に、襖に一瞥投げかけてから、三成もきっぱりはっきり返してやった。
 「それで、これを企んだのは、秀吉様か?それとも、貴様が秀吉様に、これを持ち込んだのか?ああ、貴様と俺の不仲を懸念する、おねね様の策かもしれないな。」
 「……。」
 がたん、と襖の裏で何かが慌てて転んだような音がする。だが、悪びれた様子を微塵も見せず、満面の笑みを揺らがせることすらせずに、政宗はしゃあしゃあと言ってのけた。
 「一体、何のことかわからぬ。」
 「ふん。白を切るならば良い。…そうか、先ほどの女は、貴様が最近迎えたという妾か。なるほど、影武者に仕立てられる程度には似ているわけだ。もっとも、俺には、同じ顔の女を妾に迎えようという考えがわからんが。悪趣味だな。」
 政宗は答えようとせず、満面の笑みを浮かべたままだ。しかし、段々隠し切れない殺気が漏れ出ている。三成はそんな政宗を面白がるように、真正面から目を覗き込んだ。
 「今日は海向こうの国で、確か、嘘を一つ吐いても良い日だったな。あの女は、自分が伊達政宗だと嘘を吐いた。」
 そして、花のような笑顔で、政宗の腰を引き寄せ囁く。
 「貴様は、己を女だと偽った。そうか。そんなに長い間、俺のことを想っていたのか。」
 ぶわっと、本日二度目の怖気が政宗を襲った。
 「ち、違うわ馬鹿め!頭が腐っておるのか!どう考えても、あれは単なる嫌がらせに決まっておろう!」
 「馬鹿は貴様の方だ。今日吐いて良い嘘は一つ。貴様が女でないことは明白な事実。あれこそ、真っ赤な嘘だ。」
 真っ赤な嘘ですでに真っ青な政宗を更に青くさせるようなことを、三成はほざいた。
 「なら、他のことは真実に決まっているではないか。奇遇だな。俺も、貴様のことは随分前から想っていた。これで相思相愛だ。」
 何が相思相愛なものか。そう吐き捨てようとした政宗は、勢い良く床に押し倒されて息が詰まった。衝撃を耐えて瞼を開ければ、天井を背景に三成が政宗を見下ろしている。
 「大丈夫だ。優しくしてやる。」
 三成は見たこともないほど綺麗に笑った。
 その目は笑っていなかった。


 後日。
 「手荒い男は好かれんぞ、三成。ちぃっとばかり見てたが、ありゃ、明らかにやりすぎじゃ。」
 そう言って、秀吉は金の扇子で三成を叩いた。場所は大阪城の一角、黄金の茶室である。その指摘にある事実に気付いたらしく、三成が扇子を払いのけ憮然と答える。
 「見てたんですか…悪趣味な。流石は、黄金の茶室なんて作るだけのことはありますね。」
 三成の毒舌に、うっと秀吉が言葉に詰まった。自慢の茶室は、どういうわけか、評判が悪い。一体どこが悪い、と秀吉などは思うのだが、それが自分でわからない限り、わびさびに到達することはないだろう。秀吉は口をへの字に曲げた。
 「そう言うおみゃあさんは、政宗が女だって嘘吐いたとき、動揺しとったなあ。」
 「…一体、どこからどこまで見てたんですか。本当、悪趣味ですね。」
 さらっと再度毒を吐いて、三成はあのときのことを思い出したのか、眉間にしわを寄せた。
 「伊達に行ったら、政宗そっくりの女が女の格好をしている。それで、引かないやつがどこにいるというんです。」
 「ま、そう言うなや。」
 ひらひらと秀吉は手を振ると、かかと笑った。
 「しかし、良かったなあ。おみゃあさんも、衆道しか興味がない…ってわけでもないことがわかって。本当に、政宗が好きなだけなんか…因果と言うか何と言うか…それもまあ普通じゃあないが、まだ、ありじゃろ。」
 思わず、三成は顔を背けた。それが、真実だったからだ。
 女の格好をしたあのものに、三成はぴんと来なかった。今にして思えば、あれは政宗に似ているだけの別人なので問題ないのだが、想い人が「女」だとわかった途端自分の中で政宗に対する恋心が失せたのかと思って、三成は動揺したのだ。
 だからといって、政宗だけにしか興味を持てないのも問題ではあるのだが、まあ、それは良しとしよう。その問題については、とっくに、三成の中で答えが出ている。
 「しかしな、三成。マジで、好いとるんじゃったら、優しくしないと駄目じゃて。」
 「助言不要です、秀吉様。俺には、俺のやり方がありますから。」
 そう言って三成はそれ以上何事か言おうとする秀吉を黙らせ、無理矢理退室を願った。
 吐いても許される嘘は一つ――それにこだわっていた三成が、あからさまに嘘であることを証明したのが、「優しくしてやる。」、その一言だった。そもそも、嫌がらせで男を抱けるほど、三成は器用でもない。
 それに政宗が気付くかどうか、三成には関係ない。
 黄金の茶室から退室し、三成は暗く深い夜空を見上げた。朝鮮出兵での失敗以来、秀吉の体調は思わしくない。あと一年も待たず、逝去することだろう。その後に待ち受けているのは、徳川との天下争い、そして、伊達との決別だ。すでに、方々に声をかけ始めているが、豊臣が徳川に勝つことが出来るかどうかはわからない。豊臣は、あの朝鮮出兵の失態で力を失ってしまった。
 だから、せめて――三成は空から視線を振り切り、歩き出した。
 せめて、政宗の心に残りたかった。それが深い傷であろうと、永劫癒えないものであるならば、三成は意に介さなかった。
 三成は、愛着より憎悪の方が深く根付くことを理解していた。











初掲載 2009年5月2日